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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

えんじゃんじゃんさん   40代  女性
震災時、小五だった子供達が中学校を卒業しました。直接に、間接に、被災してきたことを昇華するには、まだまだ時と知恵とが必要な年齢だとかんじます。しかしながら、高校入試の面接に備えて語らせた目標や夢は、仮のものだったりした子供もいたのに、だんだん何だか本物じみて、たどり着くところは故郷の復興でした。どこまでも健気な、愚直なほどの福島の魂を、私は仕事として、わたくしの使命として、昨日完結した、嬉しいお知らせでした。
福島県福島市   匿名希望さん   50代  男性
仕事の関係で木曜日が休みの時は大抵見てます。冒頭の子供の笑顔が何ともやるせません。貴重な番組だと思うのでこれからも続けて下さい。全国にも放送してほしいです。
福井県福井市   匿名希望さん   60代  男性
被災地からの声、この番組を初めてみました。被災者の気持ちが直接ひしひしと伝わり、涙が出てきます。何百年に1回あるかないかの大災害、それに続いた原発事故ということで、東日本は大きく痛めつけられ、被災地の住民の方々は経済的にも精神的にも大変な痛みを今も味わっているんだと言うことがひしひしと伝わってきました。
この番組は、毎週放送されているようですが、全国放送はされていないのでしたら、是非とも全国放送してほしいと思います。
宮城県栗原市   高橋佳代さん   30代  女性
私は東松島市で被災しました。主人、当時5年生、一年生、5ヶ月の息子達と車で津波に流されました。
奇跡的にも主人と私と長男は助かりましたが、次男と三男は亡くなりました。
長男だけでも生かされた事が私の生きる支えとなり、今は栗原市で新しく産まれた弟と四人で暮らしています。
あの日から私の生き方は変わりました。
子供達を守ってあげられなかった罪悪感と後悔を胸に前を向いて歩いていきます。
宮城県石巻市   被災者○○○万人分の一さん   50代  男性
僅かな希望の光を支えに復興を誓ってから4年が経ちました。多くの方々から応援を頂き、楽しい出会いがあり、苦しくも楽しい4年間でした。でも・・・この先は、更なる苦しみが待ち構えていると実感し、恐々の日々を過ごしています。4年間眠っていた、痛みを知らない権力者達が、机上の理論で、弱者切り捨てをし、理不尽な復興を推進し始めたのが被災地の真実です。被災者の心境は「この先どうやって生きていこう?」から「人生の最期をどこで?」という気持ちに変化(衰退)しています。『みんな、生きていく覚悟と勇気があったのに・・・』
福島県いわき市   大将の父さん   60代  男性
12日の被災地からの声で霊山町の方が便利な生活を求めて原発を推進したが、原発事故の後では自然エネルギーの有効利用を考え、実践しているとはなされておりました。もっともなことです。今後自分たちだけではなく周りの人たちのことも考え、地球環境もあわせて将来の子孫の生活も考えられるような行動をしていきたいものだと思いました。
千葉県八千代市   大沼秀樹さん   30代  男性
今年の3月で震災発生してから4年になりますね。僕は震災発生前に被災地である宮城県石巻市や気仙沼市等へ足を伸ばしたことがあります。震災からの復興はまだ道半ば1日でも早く復興を願ってやみません。
福島県伊達郡   タマの母さん   60代  女性
キャスターの「責任とは国も自治体も、報道するメディアも負う」と言う発言を有難く見させていただきました。 福祉施設のご住職の責任を負っていくという言葉に、追いきれるものではないと思って見ていたからです。
画面から励まされたり打ちのめされたりの生活も4度目の冬となりました。
明日が見えない、わたしは何処の誰で、何処に流れて行くのだろうという不安を潜在的に抱えて、何でもないのに泣きたくなることがあります。 頑張って頑張っているけれど虚しくなるのです。住めない町還れない家、還ってはならない汚された土地。
そんな時に今日のキャスターの言葉に有難くて涙を流しながら正座して頭を下げていました。
福島県会津若松市   吉田邦吉さん   30代  男性
置き去りにされ始めているという東北。わたしたちは、何も変わっていないのに、どんどん忘れられ、人がどんどん死んでいき、危機感でいっぱいです。あかるいニュース良いニュースの前に、悲しいニュースが、知りたいと思います。
匿名希望さん   40代  男性
私は福島第一原発事故の影響で、両親と一緒に避難生活を続けています。地元には避難指示が出ているので、戻りたくても戻れません(日中の立ち入りは出来ます)。両親(共に70歳代)は、同じく避難している友人と、よく話をするそうです。
「元気なうちに地元(被災地)に帰りたい。もたもたしていたら死んでしまう。たとえ死ななくても、体が弱くなって病院に入院したり老人ホームに行くようになったら、もう地元には帰れなくなる。生活が不便でも放射線の不安はあっても、とにかく一日でもはやく帰りたい。この先何年も待っている余裕なんて無い」と。
原発事故の影響で避難している人達の中には、帰還に慎重な人達がいるのも知っています。
ただ、一日もはやい帰還を心から願う人達もいる事も、理解してほしいんです。
避難者の中には、帰還しない人や、数年後の帰還を考えている人もいるでしょう。
しかし、避難指示が解除されない限りは「とにかくはやく戻りたい」と願う人がどんなに戻りたくても、絶対に戻ることは出来ないんです。
「先が短いのだから、せめて元気な内に地元に帰らせてほしい。不自由は承知の上だ。」
その切実な願いを叶えるためにも、国や地元の行政は、一日も早く規制解除出来るように力を尽くしてほしい・・・と、思うばかりです。
秋田県大仙市  あきたおばこさん   60代  女性
「被災地からの声」を毎週見ております。見れない時はビデオに撮って見ております。東日本大震災から3年半が過ぎましたが、今なお多くの方が仮設住宅に入り、不自由な生活をしていることに心が痛みます。また、足踏み状態の復興の現状を目の当たりにしてもどかしさを感じております。被災した人々が一日も早く安らかな日を過ごせるようお祈りしております。また番組では、仙台放送局の津田アナウンサーがインタビューを受けた方の背景や想いを伝えてくれ状況が分かります。あの震災を忘れないためにも、また復興の現状を知るためにも番組が継続されることを望みます。
青森県弘前市  藤田温人さん   40代  男性
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。私は震災があった前年の夏、岩手県山田町に家族旅行に行きました。エメラルドグリーンの海と白い砂浜の荒神海水浴場、オランダ島、鯨博物館など妻と子供たちは大喜びでした。2日間だけでしたが、とってもいい思い出となっています。震災で山田町も被災したと知った時はとても悲しく残念でしたが、今は徐々に復興しているの様なので、町民の皆さんには頑張って欲しいです。機会があればまた観光に行きたいと思っています。隣の青森県から応援しています。
熊谷さん   30代  男性
被災して家は全壊で仮設に住んでます。私達は共働きです。職場を失ってないので震災後もずっと働いています。日中家に居ないので支援物資など一切もらえず働かなければ生活できませんでした。しかし若さと共働きで収入があると言う理由でローン減額できませんでした。1年くらいしか住んでいないので1000万以上残っていて二重ローンです。あれだけコマーシャルだニュースだでローンがなくなると言っていたのに。真面目に働いてるだけなのに。馬鹿らしいと思いませんか?周りは職失って収入なくてローンがなくなってます。今職はいっぱいあります。不平等すぎます。私達のように被災者なのに被災者扱いされずに苦しんでいる人もいる事をみなさんにわかってもらいたいです。
匿名希望さん   40代  男性
以前から、この番組を見ています。 番組の放送当初から比べて、「地元(被災地)に戻りたい」と話す被災者の方々が減ってきている気がします。
私も福島第一原発事故の影響で福島県浪江町から避難している被災者なのですが、アンケートの結果によると、今や「浪江町に戻らない」と決めた町民が半数近くになってしまったそうです。
被災地の状況や被災者の心情は、時の経過によって変わっていくのが現実です。
この番組は、そんな被災地や被災者のリアルを伝える、良い番組だと思います。
他の方も書いていますが、この番組はぜひ全国放送すべきだと思います。定期的にNHKスペシャルで特集するのもいいでしょう。
大震災や原発事故は、全国どこでも起こりえます。
「震災や原発事故を忘れない」というのは「明日は我が身」として考える事ではないかと思うのです。
福島県福島市  貝沼憲司さん   70代  男性
私は現在福島市に住んでおりますが、毎回「被災地からの声」見るたび皆さんが決してくじけず、力強く頑張っていることを感じます。
そして冒頭におかっぱ頭の可愛い女の子がカメラに向かってニコニコ顔で写っている場面にホットしています。
震災から3年余、あのお嬢さんも大きくなったと思いますが、その後の成長した姿を紹介して頂ければと思っております。
岩手県花巻市  清水良彦さん   50代  男性
今日の放送で、大船渡市の金野さんを紹介する津田キャスターのコメントにとても共感しました。
世代を継いでいくことに、そのコメントと同じ想い(たぶん?)で頑張っている岩手県西和賀町を視察した直後でもあり、我が町も、他人任せ&誰かがやってくれる期待などせず、主体的に取り組んでいこうと心新たにしたところです。
核心をつく放送に今後も注目しています。