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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

匿名希望 40代 男性
被災者の中には、有名人が開催するイベントに行ったり、TVなどのインタビューに答えたりする人達もいますが、そういう事をためらうような精神状態にある被災者も、たくさんいます。 元気で前向きな人達だけを取り上げて「被災者は・・・」とひと括りにしては、被災者の現状を伝えているとは言えないと思います。声を上げる事も出来ないような人達の姿を伝えることも、被災地の現実を伝えるためには必要なのではないのでしょうか?
福島県白河市 山ちゃんさん 80代 女性
福島県白河市も放射線が高くて心配です。まだ復興には時間がかかりそうです。安心して住める状態になってほしい。
匿名希望 40代 男性
福島県や原発事故被災地の自治体は、積極的に、放射線汚染に関しての正しい知識や情報を発信していく役目があると思います。例えば「放射線による人体への影響について」など・・・。放射線について不安に思う市民が多い今、その不安を少しでも少なくさせるには、大切な事ではないかと思います。このままでは、放射線での被害よりも、放射線に対しての不安や恐怖からくる精神的なストレスで体調を崩す人が続出してしまいます。「敵を知り 己を知れば 百戦危うからず」ということ わざがあります。原発事故との戦いを乗り越えるためにも、まず、放射線という「敵」をよく知る事が、行政にとっても私達にとっても、重要なのではないのでしょうか。
岩手県紫波郡 村元 則子さん 40代 女性

みなさんの声に向き合う津田さんの誠実なコメントにうなずきながら、毎週拝見しています。

時間のかかる復興にいつも、もどかしさを感じます。何も手助け出来ない自分が恥ずかしいです。自らも被災された津田さんが、この番組を続けて下さっているということで、復興の途上にある人たちのことを忘れがちな私たちが、それを意識することができます。

また、被災された方々の思いを国や自治体、支援団体にうまくつなげていけると感じます。

これからも、たくさんの人の声を伝えて下さい!応援しています。

いわき市 木本愛弓さん 50代 女性
いつも津田さん始めスタッフの皆さんは丁寧な取材をされていて頭が下がります。この番組を週1回見ていていつも感じることは、「この番組は東北以外の地域へは放送をしていない?」と言うことです。被災地である東北地方だけで共有しているのでは、もったいないと思っています。被災地以外では震災のことがだんだん薄れているという中で、テレビも震災関連番組が3月11日の翌日には全く日常に戻っているように感じました。週1のこの番組を全国放送でお願いしたいと思います。
秋田県湯沢市 匿名希望 50代 男性
凄く気に入ってる番組です。他の番組は“創られてる”感じがしますが、この番組は正直に真っ直ぐ情報を伝えてくれてる感じがします。アナウンサーがいいですね。
宮城県柴田郡 匿名希望 20代 男性

あの日からちょうど2年を迎えるにあたり、最近の震災関連報道について私の意見を述べさせていただきます。

私は、宮城県南部内陸の柴田郡柴田町に住んでいます。震災から月日が経つに連れ、いつしか被災地=岩手県・宮城県・福島県の沿岸部市町村、福島第一原発事故警戒区域内の市町村というイメージが定着し、津波被害がなかった内陸部市町村やいわゆる被災3県以外はほとんど報道されていません。内陸部でも地震による道路や家屋の被害が大きかったことを忘れないでいただきたい。「震災」とは地震災害のことで、津波や原発事故だけが震災ではありません。

また、最近は3月11日直前や当日に報道各局は震災特別報道番組が集中させる報道体制が取られ、通常の日はニュースの一部に震災関連のニュースを入れるだけの傾向にあり、本当に東日本大震災を後世に伝えたいのかと疑問を呈します。このままでは震災が風化してしまうのではないかと不安を感じています。震災を経験した者が後世に伝える役割は経験していない人に口だけで説明しても伝わりにくいと思います。そんなときに役に立つのが報道された写真や映像ではないでしょうか。

須藤奈津恵さん 40代 女性

3月11日の報道で繰り返される
被災地を忘れない
というフレーズ
被災地を忘れないではなく
忘れてはいけないことは
あの日震災について
自分が感じたこと考えたことを忘れてはいけないんだと思う
その事を忘れなければ被災地を忘れるなんてことはあり得ない

宮城県宮城郡 GTRさん 10代 男性
私は東日本大震災の時家族ばらばらでした。
大震災から2年が立ちましたが、まだ全然復興が進んでいないので1日でも早く復興をし てほしいです。
仙台市青葉区 阿部格子さん 60代 女性
あの大震災から2年。復興、復興と叫ばれていますが、人々が何世代にもわたって築いてきたものが一瞬にして失われ、それを元のように戻すには、やはりそれと同じくらい時間のかかるもの。沿岸部の穏やかな松林や海岸も、あの大津波で何もなくなっている状況。松林が元に戻るのでさえ、何十年とかかります。
そして地盤沈下。誰一人としてこれらを想像できませんでした。しかし、私たちは生きていかなければなりません。自分を大切にしながら、頑張れる人が頑張りながら、頑張っている自分を褒めながら、少しだけでもいいから一歩前へ。そこには東北人の粘り強さがあります。
鳥取市 カリュさん 40代 男性

あれから2年。。。被災地から遠く離れた鳥取。うちの会社の倉庫に石巻のメーカーの在庫。石巻って文字を見るたびにあのときのニュース映像。TVでは公開出来なかったインターネットの映像。。。震災直後に派遣された友達や知人の生々しい話。。。

「1人じゃない」。。。とか「頑張れ」。。。とかそれは何ともない側からの言葉。。。普通の生活をしている人がいくら優しい言葉をかけても、何も無くなった人からしたら「あなたには家も仕事もあるけど私たちは家も働く職場も何もないのに何を頑張るのか」。

言葉なんかではどうしようもない。何かしたくても何も出来ない。ただ忘れてはいけない。こんな恐ろしい災害があったことを。
今、アマチュアとはいえ音楽に携わってる僕たちに出来ることは、音楽を通して伝えていくことかもしれない。そう考え今回思いを込めた曲を作りました。曲はインターネットで公開しています。勿論営利目的ではありません。ただ小さな活動の一つとして知って欲しい気持ちでメールしました。

最後になりましたが、被災した方々の一日も早い日常を心から願っていますm (__)m

匿名希望 40代 男性
「被災地の復興」と言いますが、地元(震災や原発事故の被災地)には戻らないと決めた住民や事業者も少なくない事も、忘れてはいけない事実です。事業所や住民が減少する中で、いかに町・地域を再建していくのか。現実的な発想が求められていると思います。将来が見通せない被災者のためにも、夢物語のような復興プランではなく、現実を見据えた再建計画を、国や自治体は作るべきではないのでしょうか。
仙台市宮城野区 匿名希望 30代 女性
仙台市内で津波被害をうけた3人の子どもを持つ主婦です。最近気がかりなことがあるのです・・・。それは、子どもたちが通う小学校の存続についてです。市教委の意見交換会がこれまでに2度ほどありましたが、現在他小学校を間借りして運営されている小学校は、将来的に近隣の小学校に統合する方向で検討しているとのこと。小規模な小学校で、震災前から全学年1クラスだったんですが、単級での学校生活は環境状好ましくないし、すでに他の学区があるので校舎の建て替えは難しいと・・・ わたし個人としては、できれば歴史のある学校だし、小規模だからこそ得られる絆もあったので場所を新たに移転し、存続してほしいなと思ってます。既存の規定にとらわれず保護者と子どもたちの意見を尊重した意見交換会の進め方を アドバイスしてくれる方がいればいいなと思い投稿いたしました。
匿名希望 40代 男性
「いつまでも震災とか原発事故の被害を嘆いてもしかたない。行政任せにするんじゃなくて、自分達で何とかするしかないんだ。」・・・こういう前向きな意見を持っている人は、あまり番組では見ませんね。被災者には、後ろ向きな方もいれば、前向きな方もいます。それぞれの考え方があって当然だと思います。だからこそ、片方に偏らず、それぞれの意見を採り上げるべきだと思います。被災者の一人として、切に願います。
福島市 福太郎さん 50代 男性

今日(2月21日)の「被災地からの声」を見ました。

飯舘村は私の生まれ故郷です。当然ながら両親も兄弟も親せきもその他同級生や知人が大勢故郷を離れて避難生活をしています。両親はともに80歳を超えてますが、元気です。元気ですが慣れない避難先での生活には困惑しているようで、毎週自宅のある飯舘に帰ってます。やはり自分の家が一番だ、という事で。それは私にも痛いほどわかります。80歳を超えるまでずっと飯舘で暮らしてきて、人生最後の時間をなぜ知らない土地で暮らさないといけないのか?早く帰村できないとこの両親の願いはかなわないままです。帰村の条件に「確実な除染」と言われてますが、それを待っていては両親のようなお年寄りにはあまりにも時間が少なすぎます。

以前より思っていることですが、本当に今の環境放射線量は人が住めるような条件じゃないのでしょうか?今の社会の流れは完全に「少しの放射線でも危険」という方向で動いているために、帰村のためには最低限除染が必要となっています。しかし、除染には技術的にも限度があるようですし、しかも飯舘のようにその多くが山林ですからそこを除染となったら莫大な時間と労力が必要でしょうし、そもそもそんなことをしたらそれによる自然災害の方が、甚大な被害(土砂流失、山崩壊等)をひき起すことが想定されます。

世界には「高自然放射線地域」という地域があるようですが、そこには今の飯舘村程度、あるいはそれ以上の環境放射線量だそうです。しかし、そこに多くの人が何10年何世代と渡って生活しているそうです。そこの実態を番組として取材することはできないのでしょうか?取材により、そこの住民が特に健康被害もなく生活しているとなれば、今やっている除染の範囲や手法も大きく変わるでしょうし、つまりは早く故郷にも帰れるという事にもつながります。私は両親の願いを早くかなえてあげたいし、そして何より、自分の生まれ故郷が人気もなく荒れ果てている、あの惨状は見たくありません。そのためには何よりも早く人々が元に戻ることだと思っています。番組でも言っている人がいましたが、長引く避難生活によって、避難先が生活基盤になりつつあります。いや、すでに賠償金をもとに新たな生活先を探し出している人も結構耳にします。あの自然豊かな飯舘村が消滅の危機に瀕しています。可能であるならば、どうか取材をお願いしたいところです。

山形県 よっちゃんさん 60代 女性
いまだに放射能で苦しんでいるのに、県外の人達は農産物海産物などが放射能に汚染されているので買わないなどと言っています。しかし、福島県では国で決められた基準より更に厳しい基準を決めているので、けして汚染されたものは市場には出る事は無いのです。安心して買って食べて頂ければ、少しでも福島の復興の手助けになるのではないでしょうか。
山形県 マロンさん 40代 女性

津田アナウンサーへ

あれから、二年たちますね。石巻から山形に避難しています。雪国で生活は大変です。宮城の避難者とも交流がなく孤独生活を送っています。福島の情報ばかり入ってきます。宮城の被災者も慣れない土地で、頑張っています。取材をお願いします。

福島県二本松市 志賀千鶴さん 50代 女性

ふくしまをみまもって

わたしは、福島県浪江町に住んでいて、原発事故のため、福島県二本松市に避難しています。統合失調症を患っています。避難中、服薬できない時があり、症状が悪化しました。この先、浪江町に戻れるかどうかわかりません。不安です。そんな中、わたしの楽しみは、コーヒータイム(障がい者の福祉事業所)に通うことです。喫茶店を開いています。お客様から「また来るね」という言葉をもらうのは、うれしいです。また、全国の皆様からは、コーヒータイムに対して、たくさんの支援をいただきました。感謝です。ありがとうございました。これからも、ふくしまを、コーヒータイムを見守っていてください。