渡った先に"何もない"!? 「竜ノ口橋」の謎

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします! 

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青葉城跡近くにある、「竜ノ口橋(たつのくちばし)」
地図で見ると、このあたり

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青葉山公園庭球場の先にある遊歩道、その更に奥にひっそりと架かっています。
しかしこの橋、渡った先に何もないのです。
一体誰が、何のために作ったのでしょうか?

探るうちに、この土地の意外な歴史も見えてきました! 

さっそく現地へ!


投稿にあった遊歩道を歩き進めること約5分。
幅3メートル、長さ10メートルにも満たない小さな橋を見つけました。
柵も壊れていて、ちょっと寂し気に見えます。


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残念ながら、橋の先には植物が生い茂っていて先に進むことはできませんでした。
ここには一体、何があったのでしょうか?

調査を進めていると意外な出会いが!


行き詰ったかと思われた橋の調査。しかし、以前近くの中学校で教師をしていた若生さんに話を伺うことができました。
当時の地図も残っており、見せてくださいました。

 

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画像の左から右に向かって伸びている青い線は川を表しています。
矢印が指しているあたりに橋があり(小さすぎて地図には載っていませんでした)、その先の赤く囲んである小さな黒い点。
これ、民家だったんです!


仙台ならではの「亜炭(あたん)」とは?

 地元の歴史に詳しい若生さん。お話の中で、この地域ではかつて、”ある資源”の採掘が盛んに行われていたと教えてくださいました。


「うちに亜炭のかけらあるよ」


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亜炭とは、化石燃料・石炭の一種で、炭化度が低く、生活燃料に使われてきた貴重な資源です。
戦争当時、資源不足に陥っていた宮城県で、人々の「心」「体」を温めてきたのだそう。

「各家庭の風呂場の燃料でしたね。

学校のストーブは全部、亜炭だった。」

一見、頼りなくも見えた竜ノ口橋でしたが、人々の生活を何世紀以上も助けてきた、地域の要でした。


亜炭ネックレスにも!


電気やガスの台頭で姿を見ることは難しくなってしまった亜炭ですが、実は今でもネックレスなどに加工され、「埋もれ木細工」と呼ばれ、その温かさで親しまれています。

 

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木ならではの温かさと柔らかさで、優しさを感じます。

人知れずひっそりと架かっていた“謎の橋”。
調べてみると当時の人々の温かい暮らしや地元の歴史を知ることができました。

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