福島第一原発を "世界遺産" に ~ 地元住民たちの思い ~

 

11月14日、東京電力福島第一原子力発電所、通称「1F」(イチエフ)を世界遺産に登録することを考えるシンポジウムがオンラインで開催されました。これまで、地元自治体は福島第一原発をさら地に戻すことを求めてきていますが、地元の住民たちが「廃炉にする際、原発の建屋の一部を残し、その周辺地域を含めて、世界遺産にしたい」という声を上げ始めたのです。そこには、事故の教訓を後世に伝えたいという強い思いが込められていました。


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先月、オンラインで開かれた「1F廃炉の将来像を考える」シンポジウム。参加したのは、地元住民をはじめ、環境や社会学の専門家など、100人以上に上りました。

「私が、この地域が世界遺産登録の価値があると感じたのは、この浜通り地区というのは地震、津波に加えて原発事故ということで多重災害を受けたと。世界で本当に唯一この地域だけだと。」(遠藤さん)

 

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世界遺産登録を提案したのは、福島第一原発から10キロほどの富岡町で会社を経営している遠藤秀文さんです。震災後、生まれ育った地元の復興に取り組んできた遠藤さん。避難した人の多くが、町に戻っていない現状を打開したいと考え、たどり着いたのが、世界遺産を目指すというアイデアでした。


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「帰還困難区域内にはまだまだ手つかずのいろんな施設があります。こういったものも非常に、当時のことを伝えるには大事なものであると思います。残すべきものを、リアル感をどういうふうに我々は大切にしていくかと。一番近いと思われるのは広島県の原爆ドーム。」(遠藤さん)


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世界平和を祈る象徴として知られ、多くの観光客が訪れる原爆ドーム。ところが、戦後、しばらくの間は保存に反対する声も多く挙がっていました。

「目の見えるところから一切、原爆の遺物はのけてしまって」(1963年当時の広島市長)

「悪いイメージを与える気がするので私としては存置する(残す)ことには反対です。」
(当時の市民)


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原爆ドームを見ると原爆の忌まわしい記憶がよみがえってくるっていうので、歓迎される形ではなかったんです。ただ原爆ドームっていうのは過去を思い出すだけじゃなくて、核時代の未来に平和のシンボルとしての役目もあるんじゃないかっていう考え方がどんどん出てくるようになりまして。」(菊楽さん)


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原爆ドームを永久に保存することが決まったのは、原爆投下から21年後のことでした。

原爆ドームのように、福島第一原発を世界遺産にするというアイデアに対し、地元の参加者からは賛成する声が相次ぎました。


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「原爆ドームが1945年の8月に見る人を連れていけるように、1Fも見る人を2011年の3月の福島に連れていけるような、想像力を飛ばせるような、そういう遺構になって欲しい。」(小磯さん)


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「次の世代に伝えていくことが私たちの世代では大切だと思っていて、震災について形にして残すものが何かないなといけないなというものを感じています。」(梅津さん)


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福島第一原発では、核燃料デブリの取り出しが進まず、いつ廃炉を終えることができるのか、はっきりした見通しは立っていません。

それでも遠藤さんは、今から議論を始めていく必要があると訴えています。


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「後世にどのような形で伝えるべきかということは、やっぱり今からいろいろ考えていくべきかなと思っております。壊してから、無くなってから、ああしておけばよかったっていうのを、どれだけ今のうちから考えれるかというのがすごく大事かなと思ってます。」(遠藤さん)