「韓国がこの案で? すげえな」日韓協議の舞台裏

「韓国がこの解決案でいくと説明してきた時、正直すげえな、大統領はよく決断したなと」
協議に関わってきた日本の外務省幹部が取材にこう漏らした。
日韓関係の最大の懸案である、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、韓国が解決策を発表。3月16日には大統領・ユン・ソンニョルが来日し、首脳会談が行われた。
戦後最悪とも言われた日韓関係は、なぜ改善に向けて動き出すことができたのか。
水面下の協議に迫った。
(吉岡淳平、森田あゆ美、清水大志、家喜誠也)
極秘交渉の真相は
「極秘訪韓? よく似た人がいたんじゃない?」
韓国が解決策を発表するおよそ1週間前の2月下旬。
太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、韓国側との協議を担った日本の外務省幹部は、隠密行動をしたのかと記者から問われ、はぐらかした。

実際には「徴用」をめぐる問題の協議が最終局面を迎えていた。幹部は韓国を極秘に訪れて韓国側と詰めの交渉を行っていたことが後の取材で分かった。
知られざる攻防について、官邸幹部は、こう明かす。
「どういう合意パッケージにするかで、日韓がどうしても折り合えないという場面があった。このままでは潰れる、決裂だという空気になった」
報告を受けた総理大臣・岸田文雄は、外務省にこう指示したという。
「日本ができないこと、そこは変わらないが、なんとかまとめてくれ」
岸田の指示を受け、最終的な交渉に臨んだ外務省。
「日本が何かを譲ったとか、そういう話ではない。いろいろなことが複雑に絡み合う中、最後の落としどころを探ったということだ」(官邸幹部)
「徴用」をめぐる問題とは
太平洋戦争中に、朝鮮半島の人たちが日本の炭鉱や建設現場などで過酷な労働を強いられたと韓国側が主張する「徴用」をめぐる問題は、近年、日韓関係の中で最大の懸案となっていた。

日本政府は、1965年の国交正常化に伴って結んだ日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」との立場だ。
しかし、2012年に韓国の最高裁判所は、「徴用」をめぐって「個人請求権は消滅していない」とする判断を示す。
2018年、韓国の最高裁で日本企業に賠償を命じる判決が初めて確定すると、原告側は日本企業が韓国国内にもつ資産を差し押さえて売却することを認めるように地裁に申し立てた。

日韓関係を軽視していたとも指摘される当時のムン・ジェイン政権は、三権分立の原則から司法判断を尊重し、日本企業の韓国国内の資産の「現金化」に向けた手続きが進んだ。
日本政府はこうした対応を「国際法違反だ」と批判。「現金化」を避ける措置をとるよう強く求め、日韓関係は戦後最悪と言われるまでに冷え込んだ。
局面を動かす“号砲”

こうした中、2022年5月、局面を動かす事実上の“号砲”となったのが、日本との関係改善に意欲を示すユンの大統領就任だ。
官邸幹部は、岸田が直ちに外務省に指示を出したと証言した。
「首脳どうしが相互訪問するシャトル外交を再開させたい。日韓の間に刺さった棘を取りたい」
一方で岸田はこうも釘を刺したという。
「交渉は慎重に」
背景には慰安婦問題をめぐる苦い記憶があった。
韓国は、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的」に解決されたとする2015年の合意を、後に国内世論などを踏まえてほごにした過去がある。
当時の安倍政権で外務大臣を務めた岸田は、この合意を結んだ当事者だった。

日本の保守層を中心に、韓国には過去に裏切られたという世論が強い。
「2度と同じてつは踏まないが、日韓関係をこのまま放置もできない」
2つの思いが交錯する岸田の葛藤がうかがえる。
ある政府関係者はこう振り返る。
「半年以上にわたって数え切れないくらい外務省が途中経過を報告しに来たが岸田総理は繰り返しこう伝えていた。『ダメなものはダメだけど進めてくれ』と。これは最初からずっとぶれなかった」
ボールは韓国側に
岸田の指示を受けて、日韓の協議がスタートした。
外務省幹部はこう説明する。
「7月に韓国のパク・チン外相が訪日した頃から真剣に意思疎通を始めた」

この時、パクは日本企業の資産が売却されて「現金化」される前に、望ましい解決策が出せるよう努力する考えを示した。
外務省内では「踏み込んだ発言だ。ユン大統領が強い決意をもって日韓関係を改善しようとしている表れだ」と評価する声が聞かれた。
ただ、「あくまでボールは韓国側にある」というのが日本の基本的な立場であり、日本が受け入れ可能な解決策を韓国側が提案するよう求め続けた。
「岸田総理も怒っていた」
そして9月。
韓国側から解決策が示されない中、ニューヨークでの国連総会の機会に、岸田とユンの首脳会談が行われるのかが焦点となった。
ここで、協議を続けてきた政府間の信頼に揺らぎが生じかねない事態が起きた。
官邸の関係者はこう指摘した。
「韓国政府がこちらには何の通告もせずに『首脳会談がセットされた』と自国の記者にブリーフをした。良い印象ではなかった。岸田総理も怒っていた」
結局、岸田とユンは正式な首脳会談ではなく「懇談」という形で意見を交わした。
ただ、政府関係者は、結果としてこれがユン政権の「本気度」を感じさせる出来事となり、協議の大きな節目になったと回想する。
「韓国側の話を聞くと『どうしても両国関係を改善したいから対面で対話の場を設けたかった、立ち話でもいいから』と。やり方はどうあれ、向こう側の意欲は伝わってきた」
意欲だけでは解決しない
ユン政権の熱意は日本側にも確実に伝わり始めていたが、実際の協議は暗礁に乗り上げていた。
◇韓国の最高裁が出した、日本企業に賠償を命じる判決は否定しない
◇日本企業は賠償しない
この2つの相反する要素を両立させる解決策が見いだせず、じりじりと時間が過ぎた。
「日本側が原則を譲らず、かつ法的な課題を詰めるのに時間がかかった。韓国側が案を詰め切れず、こちらとして『なるほど』と思えるものが出てこなかった。秋くらいにはもう無理かなと思った」(外務省幹部)
協議が進んだ要因は
そうした中でも11月、首脳会談が、カンボジアでの国際会議に合わせて実現する。

両首脳は、問題の早期解決に向けて外交当局間の協議を加速化することで一致。事務レベルの協議への追い風となった。
さらに、官邸の関係者は別の要因も協議に影響したと分析する。
「日韓が、双方の同盟国アメリカの後押しで歩み寄ったというところもある。北朝鮮がミサイル発射を繰り返す中、アメリカは『日韓の友好関係が重要だ』と、日米韓の安全保障担当者の会議でもけっこう言ってきた」
解決策の案明らかに
年が明けた2023年1月12日。
韓国側が、韓国政府の傘下にある既存の財団が日本企業に代わり原告への支払いを行う案を軸に解決策を検討していることを初めて公の場で明らかにした。

間髪を入れず翌13日には外務大臣の林芳正とパクとの外相電話会談も行われた。
この頃、外務省幹部の1人は「最終盤にあることは間違いない」と述べていた。
そして、こう補足した。
「だいぶ頂上付近に近づいている。ただ山頂付近は急で、これでいけるとか、合意できるというわけではない。日本側にできることはなく、ユン大統領の決断を期待している」
政府内では、韓国の案について、日本の立場と矛盾せず、これをもとに解決策が取りまとめられれば受け入れも可能だという意見が出ていた。
一方、韓国側は原告らの理解を得るには、日本側の「誠意ある措置」が必要だと繰り返しており、政府間でこの点をめぐる水面下での協議が続いていた。
「韓国は解決策を決めたら日本側が何をしてくれるのかを気にしているだろうから、そういうやり取りをしていないとは言わない」(外務省幹部)
「日韓請求権協定の原則に反することは受け入れられないが、それ以外のことであれば、ユン政権の努力に対し、できることはする」(別の外務省幹部)
協議の結果、日本側は、歴史認識をめぐり、歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると説明する方針を決めた。
日本側が最後までこだわった点もあった。いわゆる「求償権」の扱いだ。
財団が原告への支払いを終えたあと、日本企業に弁済を求める「求償権」が行使されないことをいかに担保するか、やり取りした形跡がある。
「『求償権』の放棄が最低条件であり、そこを見極めている」(官邸関係者)
日韓両政府は、冒頭に記した“極秘交渉”でこうした細部の詰めを行い、韓国側が3月上旬、解決策の発表を決断したとみられている。
発表されたのは、1月に案として出ていた、韓国政府の傘下にある既存の財団が日本企業に代わり原告への支払いを行う解決策だった。
韓国の発表後、岸田は日韓関係を健全な関係に戻すためのものと評価した。
着実な実施なるか
かくして日韓関係は、改善に向けて大きく動き出した。
ただ、解決策には日本側の謝罪や賠償が含まれていないとして、韓国の野党や一部の原告からは反発も出ている。
また、解決策には「求償権」の扱いも明記されていない。
外務大臣の林は、この点を記者会見で問われたのに対し「解決策の趣旨に鑑み『求償権』の行使は想定されていないものと承知している」と述べるにとどめている。
政府は韓国が解決策を着実に実行するかを見極めながら、関係改善を進める方針だ。
交渉を担った外務省幹部は、こう総括した。
「最低限の方向性は示すことができたとほっとしている。ただ、日韓関係はご承知のように難しい。急にいろいろやろうとするとエンストする。ゆっくり前に進めていきたい」
日韓関係の今後は
ロシアによるウクライナ侵攻が長期化し、国際社会に揺らぎが生じる中、東アジアに目を向ければ、中国が覇権主義的な動きを強め、北朝鮮も弾道ミサイルを相次いで発射するなど挑発行動を活発化させている。
安全保障面を考えると、日本と、民主主義などの価値観を共有する隣国の韓国がギクシャクしている場合ではないだろう。
一方で、歴史認識をめぐる問題などから、世代によっては、お互いの国に抱く印象や感情をめぐり、さまざまな意見やものの捉え方があることも事実だ。
日韓首脳会談で改善に向けた動き

3月16日に行われた岸田とユンの日韓首脳会談では、国交正常化以来の友好協力関係の基盤に基づき、日韓関係をさらに発展させていくことで一致し、10年以上途絶えている、首脳間の相互訪問「シャトル外交」の再開を確認した。戦後最悪とまで言われた日韓関係は、改善に向けて大きく動き出した。
岸田は、会談のあとの共同記者会見で「先般、韓国政府は、旧朝鮮半島出身労働者問題に関する措置を発表した。日本政府としては、この措置を、非常に厳しい状態にあった日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価している」と述べた。
取材後記
今回の取材で印象に残る話があった。
ある政府関係者が、解決策が示された背景について述べた内容だ。
「韓国の若い世代は日本の文化に親しみを持つ人が多く、逆に日本の若者も同じ。若い人たちが抱くイメージや意見はすごく大きく、そういう雰囲気をじわじわと偉い人たちも感じているのではないか」
一理あると感じた。
日韓関係は、政治や経済、歴史や文化をどの立場から見るかによって、大きく違ったものになるのではないだろうか。そんな両国の関係の今後を、多角的な視点で捉え、ささいな変化も見逃さないよう取材を続けていきたい。
(一部敬称略)

- 政治部記者
- 吉岡 淳平
- 1999年入局。横浜局、国際部などを経て政治部で外務省を担当。ワシントンや北京などでの勤務経験あり。

- 政治部記者
- 森田 あゆ美
- 2004年入局。佐賀局、神戸局などを経て政治部。自民党や外務省担当を経て、現在は2回目の野党クラブ。

- 政治部記者
- 清水 大志
- 2011年入局。初任地は徳島局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。

- 政治部記者
- 家喜 誠也
- 2014年入局。宇都宮局、仙台局を経て政治部。現在は官邸クラブで安全保障や危機管理などを担当。