侵攻の陰で続く弾圧 逮捕 拷問…「何もできることないけれど」

最後の独裁者へ

ロシアのウクライナ侵攻。両国に隣接するベラルーシは「ヨーロッパ最後の独裁者」とも呼ばれるルカシェンコ大統領の統治が1994年から続いていて、国内にロシア軍を駐留させるなど、ウクライナ侵攻を事実上、容認している。

プーチン大統領とルカシェンコ大統領

政権に反発する国民たちは、民主化運動を展開しているものの、ルカシェンコ大統領の強権的な手法で抑え込まれていて、深刻な人権状況が続いている。

日本から民主化の声を

ベラルーシの民主化運動に、遠く離れた広島から取り組むベラルーシ人のナジェヤ・ムツキフさん(42)は、「多くの一般のベラルーシ人は侵攻に反対している」と、声をあげ続けている。

ムツキフさんは2000年に初めて来日し、在日ベラルーシ大使館の職員などを経て、結婚を機に広島市に移住。現在、広島市安佐北区で2人の子どもを育てながら翻訳の仕事に携わっている。

自宅のムツキフさん

政治に大きな関心はなかったというムツキフさんに転機が訪れたのが、2020年のベラルーシ大統領選挙だった。
6選を目指すルカシェンコ大統領は、さまざまな理由をつけてほかの立候補予定者を拘束したり、届け出を却下したりするなど、徹底的に政敵を排除した。拘束された夫の代わりに、立候補した主婦のチハノフスカヤ氏は、民主化を訴え、大統領の対抗馬として若者を中心に多くの支持を集めたものの、結果はルカシェンコ大統領が8割の得票率で当選を決めた。
これを受けて、多くの市民が「選挙結果は不正だ」と訴え、各地で抗議活動を展開。一方で、政権は治安部隊を増強して徹底的にこれを弾圧した。

「国が変わるかもしれない」

選挙情勢を日々チェックしていたムツキフさんも「国が変わるかもしれない」と、在外投票で一票を投じたいと考えていたが、在日ベラルーシ大使館は在外投票所を設置しなかった。

抗議デモに参加するムツキフさん

「投票ができないのはおかしい」
ムツキフさんは、東京で行われた抗議デモに参加することを決意。遠く離れた日本から声を上げた。

「何もできず、自分の意見が無視されるままで済まされることが許せなかった。暴力に反対、不正のない選挙が行われてほしい。ベラルーシのリーダーとして、チハノフスカヤのことを認めてほしい。そんな思いでデモに出た」

一方、ベラルーシでは、政権による民主化運動の参加者への弾圧が続き、そのほとんどが拘束されるか、政権の手から逃れるため国外に退避するなどして、国内での活動は事実上不可能になった。
さらに政権は反体制派メディアのサイトへの国内からのアクセスを遮断。徹底的な情報統制のもと、民主化運動を抑え込んだ。

こうした中、ムツキフさんはベラルーシ国内の人々にむけて情報を届けようと自身の個人的なSNSに反体制派メディアの情報を転載。運動の火を絶やさないよう、情報発信を続けた。

「遠い外国にいる私にとって、祖国のためにできる数少ない行動の1つはSNSを通じた発信なんです。国内では今も、反体制派のSNSやチャンネルを登録したり、”いいね”を押したりするだけでも、逮捕される危険性があります。個人のSNSはそれよりも安全なので、自分のSNSを通じて情報を届けることがとても大事だと思っています」

その後、ベラルーシの民主化に取り組む人権団体などとも連絡を取り合うようになったというムツキフさん。東京オリンピックでベラルーシ代表の陸上選手が成田空港から強制帰国されそうになった際も、ムツキフさんがサポートした。
選手からSOSの連絡を受けた団体を通じて支援要請を受け、広島から電話で通訳をしたり、日本の外務省とやりとりをしたりして、ポーランドへの亡命を手助けした。

激しさ増す侵攻 政権からの圧力さらに強まり

その後もSNSでの発信など地道な活動を続けるムツキフさんに、2022年2月、最悪のニュースが飛び込んできた。ロシアによるウクライナ侵攻だった。侵攻開始前からロシアはベラルーシ領土内に軍を駐留。侵攻開始後はキーウに向けて進軍を始めた。

被害を受けるキーウ市内

「侵攻のニュースは本当にショックだった。ベラルーシ領土内からもキーウに向けてロシア軍が侵攻していて、ベラルーシ人としてとにかく罪の意識が強かった。あれだけ独裁者と戦っていたと言っても、結局負けてしまったではないか。私たちには何もできない… そんな気持ちだった」

ルカシェンコ政権の圧力はさらに強まり、ムツキフさんの周りにも及んだ。
首都ミンスクで会社を経営していたムツキフさんの兄は、侵攻後、経営者仲間が次々と拘束されたことから身の危険を感じ、2022年11月、国外に避難した。

オンラインで話すムツキフさん

(ムツキフさん)
「どうやって国を出たの?」

(兄)
「それは突発的な決断だった。気がつけば、私の身の回りも含めて、かなり危ない状況になっていて、ここにいれば99%、政権に逮捕されると思った。政権は適当な経済的もしくは政治的な理由で刑事犯罪をでっち上げて賄賂を要求してくるんだ」

こう話すムツキフさんの兄。政権からの賄賂の要求を拒否すれば、逮捕・投獄され、すべての財産が没収されるという。理由について「制裁で国の財政が厳しさを増し、企業経営者を狙っているのでは」と分析する。

(兄)
「決断した翌日には、スーツケースに荷物を詰めて国を出た。国境を越えるのには11時間かかった。すでに国境を越えられない人々のリストに載っているかもしれないと思い緊張しながら待ち続けていた。自分はEUのビザを持っていたので、なんとか国を出ることができた。国がある種、強制収容所になったかのような感覚がある。体制が根本的に変わらない限り、帰国を検討する事は不可能だろう」

悪化の一途をたどるベラルーシの国内情勢。2023年1月から2月にかけても、ロシアとの合同軍事演習が行われ、地域の緊張は高まり続けている。

「何もできない」それでも…

先が見えない祖国の情勢に心を痛めるムツキフさん。民主活動家たちにも無力感・疲労感が見られるという。

「今日に至るまで、いいニュースは何もない。誰かが逮捕された、誰かが拷問された、拷問で亡くなった。そんな話ばかりです。政権は新しい、ひどい法律をどんどん作って弾圧を続けている。いま、私たちは何もできることがない状態に置かれている」

原爆ドーム前のムツキフさん

しかしムツキフさんは、広島で開催されるG7サミットをきっかけに、世界が改めてベラルーシにも目を向けることを切に願っている。

「G7サミットのテーマは当然ウクライナ問題になるべきですが、ルカシェンコもロシアの軍事をサポートしています。戦争に関わる者を裁くなら、ルカシェンコにも代償を払わせるべきです。そのことを忘れないでほしい。何かしないと、もう手がつけられなくなる可能性が大きくある」

ムツキフさんはG7サミットの開催にあわせて、広島で祖国の現状を知ってもらう催しをウクライナの人たちと共に、開催したいと考えている。
現在は、ロシアの影に隠れてしまうベラルーシの問題だが、今も国内では深刻な人権侵害が続く。

取材中、日本の人々に伝えたいことはあるかと聞いたところ印象に残る言葉が返ってきた。

インタビューに応じるムツキフさん

「政治に興味を持たないと、気づかないうちに、国は民主主義から独裁国家に変わってしまう。当たり前だと思っていた人権はあっという間に守られなくなる」

日本にいると実感しにくいことかもしれないが、政府によって国民の人権が侵害され続けている国はいまだにある。
われわれが享受する自由と民主主義は、当然のように見えて、非常にもろい土台の上に築き上げられているのかもしれない。

広島局記者
石田 茂年
2019年入局。大学4年時にロシアに留学し、ウクライナにも3回訪問した。