味方が敵に、岐阜政界の変

“無風” そう呼ばれてきた岐阜県の選挙が一変しようとしている。
県選出の国会議員を自民党が独占している“自民王国”で、来年1月の知事選挙をめぐり、54年ぶりの“保守分裂”選挙になる見通しとなったのだ。
背景にあるのは、かつてはともに戦った「実力者」どうしの対立。熾烈(しれつ)な駆け引きを追った。
(森本賢史、秋山大樹)

野田聖子が「宣戦布告」

24日、自民党本部で記者会見を開いたのは、野田聖子(60)。
総務大臣などを歴任。現在は自民党幹事長代行で、岐阜県連の会長でもある。

カメラの前で、こう明言した。
「新型コロナへの対応で、ともに古田知事と対応してきた岐阜県選出のすべての衆議院議員は、古田知事を推薦することで決定した」

知事選挙で、組織としての県連は「誰も推薦しない」が、個人として自分たちが現職知事を推薦するというのだ。

異例の決定の理由について、こう続けた。
「長老支配の政治を変えたいと願っている声を真摯に受け止めて、古田知事を支持することで多くの県民の不安を解消していきたい」

「岐阜政界の長老」への“宣戦布告”だった。

刺客も破る「岐阜政界のドン」

宣戦布告した相手について野田は明言しなかったが、自民党岐阜県連の会長代行を務める県議会議員、猫田孝(80)を念頭に置いているというのが関係者の一致した見方だ。
猫田は1974年の初当選以来、半世紀近く県議を務める重鎮だ。予算編成の時期になると県の幹部が猫田のもとを訪れることも多い。

猫田の名が“岐阜政界のドン”として広く知られることになったのは2005年のいわゆる“郵政選挙”だ。野田聖子が郵政民営化法案の採決で造反した時に、独自に県連公認として支援。当時の総理大臣、小泉純一郎が「刺客」を送り込んだが、その候補をも破った。

いったんは混乱の責任をとるとして自民党を離党したが、およそ1年後に県連が党本部に要請して復党。岐阜県政界で、絶大な影響力を誇る実力者だ。

実は今回、猫田は霞が関の官僚から新人を擁立し、現職を「下ろし」にかかっている。
そうした動きに、野田が反対したのだ。

野田の発言を聞いた猫田は、NHKの取材に
「人の悪口を言って選挙をすることはしない。正々堂々と戦っていく」
と、受けて立つ構えを見せた。

かくして岐阜は、再び「戦国」となった。

保守どうしで争う現職と新人とは

「不退転の決意だ」
11月20日に記者会見を開いたのは、野田が推す現職の岐阜県知事、古田肇(73)だ。

「新型コロナウイルスの本格的な第3波が懸念されている。この問題について途中で手を抜くわけにはいかない。何としても県民の命を守る」
岐阜県知事として歴代最多となる5期目を目指して立候補すると表明した。

これまで自民党の支援を受け、当選を重ねてきた古田。今回も、自民党を支持する経済団体などから支援を受ける見通しだ。

同じ20日。古田の出身省庁、経済産業省を1人の官僚が退職した。
猫田が推す、岐阜県出身の江崎禎英(55)だ。退職直前まで、内閣府で大臣官房審議官を務めていた。2日後には、知事選への立候補を表明した。

「これまでのコロナ対策はほかの県がやっていることと同じだ。その先にある未来を示すことが求められている。岐阜県に新しい風を吹かせて、すばらしい未来を県民と作っていきたい」

役所の先輩に真正面から挑む決意を示した。

会見の場には過去4回、古田の選挙を支えてきた自民党の県議も出席。
“保守分裂”を印象づけた。

コロナ禍で続投は?

この選挙、そもそもの関心事は、
「古田は次も出るのか、それとも出ないのか」
ということだった。

残り任期が1年を切ったことし初めから、関係者の間で話題になり始めたが、そこに起きたのが新型コロナウイルスの感染拡大だった。

東京都の小池百合子や大阪府の吉村洋文など、各地の知事の発言や対応が注目を集めた。古田も4月に岐阜県独自の非常事態宣言を出して対策を主導し、検査体制の強化などでは高い評価を得てきた。

その一方で、続投に慎重な意見も出ていた。
「5期目が終われば、77歳となる」
「多選が続けば、県政運営が硬直化しないか」

新型コロナ対応が続く中、5期目を目指すのか。その動向に俄然(がぜん)関心が集まってきた。

先手を打ったのは現職

10月。古田が、突然動いた。
県選出の国会議員に立候補の意欲を伝えると、12日には、知事室を訪れた自民党県議団の幹部とも面会した。

「新型コロナ問題も含めて引き続き任務を全うさせていただきたい」

県議たちにそう語り、5期目を目指す意欲を伝えたのだった。
さらに、こうした考えをカメラの前で記者団にも明らかにした。

県議会で圧倒的多数を占める自民党の県議たちと調整もせずに、表だって立候補の意欲を示したのは、これまでにない異例の対応だ。

“ドン”との間に溝が

実は自民党県議たちには、古田への反発がくすぶっていた。
県議団が知事選への態度を決めるために8月に行ったアンケートでは、31人の県議のうち23人が「続投に反対」と答えたという。

多くの県議が反対する古田を推すことはできない…猫田は、新人の擁立に傾いていった。

それだけではない。2人を見てきた県議などは、両者の間で少しずつ“溝”が広がってきたという。

古田が初めて知事選に立候補したのは2005年。その前の年、猫田は、県連幹事長として、古田に立候補を要請した。初当選を喜ぶ古田の隣にはともに、バンザイをする猫田の姿があった。

その後も、県連の重鎮として県政運営に協力してきた。

しかし3期目のころから、2人の間の緊張関係が表面化し始めた。

きっかけの1つが、2013年にあった県の公金を扱う指定金融機関をめぐる動きだ。
岐阜県には2つの地方銀行がある。古田は、1964年から半世紀にわたって担当してきた十六銀行(岐阜市)との契約を更新する議案を県議会に提案。しかし県議会はこれを否決し、大垣共立銀行(大垣市)が初めて、指定金融機関となった。

県が提案した議案が否決されるのは古田が知事に就任してから初めてだった。

「初心を忘れることなく県政運営にあたって頂きたい。われわれも『なれ合う』ことなく『是々非々の立場』で議会に臨みたい」
これは古田が自民党県連の推薦を受け4回目の当選を決めたとき、県連幹事長だった猫田が出したコメントだ。

2人の関係の変化の原因は何か。猫田は、今回の知事選をめぐる取材でこう答えた。
「古田が一番まずかったのはコミュケーションの機会を持たなかったこと。政策は全然関係ない」

ほかの県議も、こう証言する。
「任期を重ねるにつれ、知事は議員の声を聞かなくなった」
「県議に対しても上から目線で物を言うようになってきた」

一方で、猫田も含め県議たちは一様に、新型コロナや「豚熱」の対応など、古田の行政手腕や実績そのものは一定の評価をしている。猫田らと古田との“溝”は、双方の感情的な面が大きいようにも見える。

分裂回避へ模索も

「新型コロナ対応のさなかに、県政のリーダーを変えるべきではない」

古田が立候補の意欲を県議団に伝える直前の10月9日。
東京で行われた国会議員と県議団幹部による会談で、国会議員7人のうち6人が古田を支持すると伝えていた。

“続投反対”と“続投支持”で意見が分かれる県議と国会議員。
ただ、双方ともに“分裂は回避すべき”という思いは共通していた。

「妥協点は見いだせないのか」
10月23日、古田は県議団の総会に足を運び、立候補の意欲を示した経緯などを説明した。

しかし、議員からは「議会とのコミュニケーションが不十分」「立候補の意欲をなぜ国会議員に先に伝えたのか」といった不満が続出。折り合う糸口すら見いだせなかった。

猫田は、この日の議論で区切りをつけて、“新人擁立”に持って行くシナリオを動かし始めた。

“ドン”には意中の人が

猫田が、古田の対立候補として考えていたのが、前述の江崎禎英だった。
江崎は2008年から4年間、岐阜県庁に出向。古田のもとで商工労働部長などを務めた。

当時から、県議の間では、「おもしろい政策をやる」などの評判があがり、経済産業省に戻ってから“ポスト古田”の1人と目されていた。

岐阜県の出向を経験した中央官僚は、毎年、年に1回程度、県議と顔を会わせる機会がある。猫田も、江崎を“ポスト古田”の有力候補と考えていた。

古田を交代させたいと思い始めた猫田は、江崎擁立で自民党を一本化しようと、10月に入るころからひんぱんに江崎と東京や岐阜で面会。周囲にも、江崎の人柄や能力に対する高い評価を語るようになったという。

まわりの県議も、次第に“猫田の意中の人物は江崎”と強く意識するようになっていった。

保守分裂「富山県の轍を踏むな」

駆け引きが続く中、関係者に衝撃が走る出来事があった。

隣の富山県で、10月25日に行われた知事選挙だ。
自民党県連などが5期目を目指す現職を推薦したのに対し、一部の県議は、県議会の自民党会派を離脱して新人を全面的に支援。51年ぶりの“保守分裂”選挙は、自民党県連などが推薦した現職が大差で敗れた。
(富山県知事選の経緯はこちら)

「保守分裂は避けなければならない」
選挙結果を受け、関係者はその思いを強くした。
「分裂はみっともない」
県議や国会議員だけでなく、自民党の支援団体からも分裂は絶対に避けるべきとの発言が頻繁に聞かれるようになった。

「続投反対」の声が減った

新人擁立に傾きつつあった自民党県議団にも、揺らぎが見られるようになった。

富山県知事選からおよそ1週間後に開かれた自民党県議団総会。改めて知事選の対応について無記名の投票が行われた。関係者によると、その結果は31人の議員中、古田続投に“反対”が19人、“支持”が10人、“白票”が2票だったという。

続投反対が多数を占める状況には変わりがないものの、23人が“反対”だった8月のアンケートに比べると続投を支持する議員が増えていた。

選挙は日に日に迫っていた。
「新人候補が準備をするには時間が足りない」
「自民党が1本化されないと、江崎は立候補しないのではないか」
県議の中でも、そうした見方が少しずつ広がりつつあった。

ドンが“意中の人”を明らかに

10月下旬。猫田は県議団の幹部とともに古田と面会し、直接、本人に退任を迫った。しかし古田は改めて立候補の意思を示し、退任を拒否。

すると猫田は11月上旬、自民党の友好団体が集まった会合で、続投に反対する姿勢を鮮明にした。関係者によると、猫田はこの場で、擁立を目指す候補者として江崎の名前を初めて明らかにした。

さらに11月13日、東京の自民党本部で、県連会長の野田聖子ら国会議員7人と猫田ら県議会議員7人、それに古田が出席して会合がもたれた。

この場で古田は初めて「自民党の推薦が欲しい」と依頼した。
県議会とのコミュニケーション不足の批判には「気づかなかったことはお詫び申し上げる」と反省のことばを述べた。

歩み寄る姿勢を見せた古田に対し、会合の終了後、記者団の取材を受けた猫田は、厳しい姿勢を崩さず、こう突き放した。
「知事はかなり疲労もたまっている。5期目は無理だ」

東京から引き上げた猫田ら県議団の動きは早かった。

週明け16日には、県議団の幹部会と総会を立て続けに開き、県議団幹部が江崎を推薦すべきと表明。続投反対が多数という自信を背景に猫田は“古田支持”の幹部に厳しい態度で迫った。
「反対する人は会派を出てもらう」

19日に再度、党本部を訪れた猫田らは、野田ら国会議員と会談し、江崎の擁立を進める考えを伝えた。しかし野田は「知事の意思を尊重したい」と伝え、“保守分裂”が決定的になった。

県議団が予想外の「2人とも推薦」

古田は、11月20日、記者会見を開き、立候補を正式表明。

当日の朝に、自民党県連に推薦を要請したことを明らかにしたが、「今回も推薦をもらえればありがたいが、県連で議論しているので見守りたい」と述べるにとどめた。

推薦が得られなかった場合でも立候補するのかを問われると、
「きょうの会見は、私としての不退転の決意を申し上げるものだ。選挙に向けてまっすぐ進んでいきたい」
と自民党の結論に関係なく選挙を戦う覚悟を示した。

一方の猫田は、ほかの幹部を交えて江崎との面会を重ね、立候補の意思を確認。
県議団幹部は、22日の県議団の総会で、江崎支援で意見集約する腹づもりだった。

しかし、総会に提案されたのは、意外な選択肢だった。

「2人とも推薦する」

提案は受け入れられ全会一致で2人の推薦が決まった。
記者団から理由を問われた県連幹事長の村下貴夫は、こう説明した。
「自民党岐阜県連を割ってはいけないという大前提がある。それぞれの県議が自由に選挙運動に加わってもらいたい」

背景には現職側の巻き返し

果たして、それだけの理由だけなのか。
「昨夜一晩で相当な風が吹いた」
複数の県議が、古田を支持する国会議員や経済団体などの激しい巻き返しがあったと証言した。

「多数決を取ると、古田が江崎を上回るかもしれないという予想が出た」
「“古田支持”となれば、猫田の責任問題になりかねない」

水面下の激しい駆け引きの結果、急きょ、2人推薦という結論が導き出された。

立候補の記者会見で、県議団が2人を推薦したことについて聞かれた江崎は、自信をのぞかせてこう述べた。

「政策で選んでもらえる環境がいただけたのは大変素晴らしい」

そして冒頭に述べた通り、現職の古田を推す野田は、新人の江崎を推す猫田との対立を鮮明にした。

猫田とともに江崎を支える村下は「知事選挙は候補者が示す政策が県民にどう判断されるかであり、長老政治は争点にならないはずだ」と反発した。

党内抗争に他党は

「正直なところ、どちらかにまとまってくれないかなと思う」
こう漏らす他党の関係者もいた。

過去4回の選挙でいずれも古田を推薦してきた公明党や旧民主党・旧民進党の流れをくむ立憲民主党と国民民主党は、自民党内の対立と県議団の2人推薦という「奇策」を見守るしかなかった。

一方、自民党とは一線を画して古田の対立候補を推薦してきた共産党。「県民不在のお家騒動だ」と冷ややかに見ている。これまでの選挙と同様に、共産党などで作る市民団体からの新人の擁立を検討している。

このほか元岐阜県職員の新田雄司(36)が県政の刷新を訴えて立候補することを表明している。

主導権よりも政策で争いを

熾烈な駆け引きの末、決定的となった“保守分裂”の岐阜県知事選挙。
取材を通して目についたのは、関係者の主導権争いだった。

1月24日の投票日まで残り2か月。
新型コロナ対策など、県民の生活に直結する課題はいくつもある。有権者は、次の4年間を誰に託せば良いのか。判断の材料となる政策本位の論戦が求められている。

岐阜局記者
森本 賢史
2016年入局。金沢局を経て、ことし9月から岐阜局。県政キャップを担当。知事選の取材では東京と岐阜を何度も往復。
岐阜局記者
秋山 大樹
2018年入局。警察担当を経て、ことし9月から岐阜県政担当。知事や県議団幹部を足しげく通い、取材している