下王国は、崩壊するのか

空は寒々しい鉛色だった。
国道だというのに、行き交う車は少ない。ましてや歩く人の姿は見ない。
島根県雲南市。
過疎の集落の古びた道の駅の脇に、それはある。高さ4メートルの巨大な銅像。

平成最初の首相、竹下登だ。
県議から首相に登り詰め、自民党の最大派閥を牛耳るまでになった竹下。
地元・島根に築いた「竹下王国」が、平成最後の年にこんなことになると、本人は想像できただろうか。
(松江局 白石明大、須田唯嗣、西林明秀)

国会議員4人のうち3人が竹下系列

昭和33年、衆議院議員に当選した竹下登は、県下全域に後援会組織を張り巡らせた。最盛期には、島根県議会で系列議員がほぼ半数を占めるなど、強固な地盤を築いていった。

引退後は、弟の竹下亘が地盤を引き継いだ。

参議院では、登の秘書から議員となった青木幹雄が当選を重ね、時の首相にも強い影響力を及ぼす実力者に登り詰めた。

現在、島根県の選挙区選出(参議院の合区含む)の国会議員は、竹下亘、参議院議員の島田三郎、

そして青木幹雄の長男の一彦と、4人のうち3人が竹下系列の秘書出身だ。

無所属でも10万票超

竹下登で語り草となっている選挙がある。
平成5年、中選挙区制で行われた最後の衆議院選挙。
竹下派は分裂し、自らも皇民党事件に関連して証人喚問を受け、自民党の公認を得られず無所属で立候補。

しかし竹下系列の地方議員は強く結束して、「きさらぎ会」と名付けられた地元の後援会組織を徹底して固める戦術をとった。

後援会による少人数の会合をひたすら繰り返す。マスコミはシャットアウト。

その結果、10万票を超える大量得票で堂々のトップ当選を果たして底力を見せつけた。

竹下の故郷、旧掛合町の自民党支部で支部長を務める影山喜文は、「竹下王国」の選挙を語る。

「国会議員の意を酌んだ県議が支部と連携して戦うのが島根の選挙戦だった。竹下さんから県議さん、県議さんから地元へと流れが一本化出来ていた」

23年連続1位

過疎化が進む島根県では、公共事業の果たす役割は大きい。
1人あたりの公共投資額は、平成になる直前の昭和63年度から23年連続、全国で1位だった。

竹下登の元秘書は語る。
「この公共事業こそが、竹下王国の力の源泉だった。中山間地域の林道や農道の整備を進めることで、地元の信頼を厚くしていった」

かつて、松江市役所に近い場所にあった「きさらぎ会」の事務所。当時、来客は絶えず、その“力”の大きさを実感することができた。

ところが、時代の変化とともに「王国」も変質していく。

選挙制度が、島根県全域を選挙区としていた中選挙区制から小選挙区制に変わったことで、県下全域に張り巡らされた後援会組織は必要なくなった。

そして“力の源泉”と言われた公共事業が、時代とともにどんどん減少していった。

「王国」への懐疑

その一方で、中堅・若手の県議の中に「王国」に疑問を持つ者が現れた。
「地元に帰らない国会議員が、地元のために仕事をしていると言えるのか」

かつて竹下の選挙を支えていたある県議は、こう国会議員を切り捨てる。
「人口が減って参議院の選挙区が鳥取県と合区になったり、JRが廃線になったりしている。

島根が疲弊するのを見ても何もしていない。そんな国会議員などいらない」
こうした考えは、県議の間で徐々に共有されるようになった。

14人の反乱

こうした中、知事の溝口善兵衛が体調を崩して、去年2月に入院。

およそ1か月半で退院したが、任期満了に伴う、ことし4月7日投開票の県知事選挙に立候補して、4期目を目指すことが難しくなったのだ。

これを受けて、自民党県議団22人のうち、竹下系の中堅・若手を中心とした14人は、国会議員に相談せずに候補者選考を進めた。
「地元のトップこそ、地元をよく知る自分たちで決めなければならない」

白羽の矢を立てたのは、元総務省官僚で、島根県に出向して政策企画局長を務めたこともある、福岡県出身の丸山達也(48)。去年3月には立候補を打診した。

ついに「竹下王国」の内部から反乱が起きたのだ。県議たちはその後、自民党島根県連に丸山を推薦するよう求めた。

保守3人が名乗り

「県議の批判をいちいち聞いていてもしょうがない。われわれも市町村、県からの陳情や要望を受けているし、島根の状況は分かっている」

国会議員やベテランの県議は、中堅・若手らから詳しい相談がないまま知事選挙の候補者が決まり、しかもその候補と野党との連携まで取り沙汰される事態に態度を硬化した。
「今まで国・県・市を貫く太いパイプの中で、みんなで相談しながら一緒にやってきた。なのになぜ、私たちに一切相談なしに、野党に話をするのか。全く筋が通らない」

国会議員やベテランの県議は逆に、総務省で丸山の上司だった元・消防庁次長、松江市出身の大庭誠司(59)を推すことにした。反乱は認めないという姿勢を示したのだ。

さらに、地元選出の島田三郎参議院議員の兄で、元・安来市長の島田二郎(65)も名乗りをあげて、混乱に拍車をかけた。

それまで、大きな選挙では概ね1年前には候補者を決定し、万全の態勢で圧勝するのが“竹下流”だった。しかし、今回は保守から3人が名乗りを上げる、異常事態となった。

「王国」の危機

自民党島根県連会長で候補者選考の責任者でもある竹下亘は難しい状況に置かれた。

依然、強い影響力を持つ青木幹雄は「大庭」を推すが、自分の選挙区である島根2区の県議のほとんどは「丸山」を推したからだ。

県連は名乗りを上げた3人と個別に面談。

最終的には国会議員だけで話し合い、県連としては大庭の擁立を決めた。

「総合的に判断した結果だ」

そして竹下は、言葉を続けた。
「分裂させないよう懸命の努力を重ねる」

その後、開かれた、国会議員らが大庭氏擁立を支持者に説明した会議の席。

会場に、県議14人の姿はなかった。王国にぽっかりと空いた、穴のようだった。

結局、自民党県議団の半数余りと野党議員の支援も受けた丸山は、無所属で立候補することを表明。
島田も立候補を正式に表明して、保守が三つどもえの分裂選挙になることが決定的になった。

兄がつくった強大な「王国」の危機に、竹下亘の胸中には何が去来しただろうか。

分裂 44年ぶりに

世代間闘争もはらみながら、44年ぶりに保守分裂の知事選挙となった。

「決定に従わずに他の候補者を支援した場合、除名の可能性がある」
「民主的な決め方ではなく、到底納得できない」
いまだに自民党内では相手陣営への激しい批判が続き、亀裂は深まる一方だ。

支持者も戸惑いを隠せない。
「どちらの候補を応援しても片方から反発を食らう。どちらの味方か決めさせられる。まるで踏み絵のような選挙でやりきれない」

旧掛合町の影山支部長は嘆く。

「こんなことやっている場合じゃない。議員さんたちにとっては権力闘争かもしれないけど、内輪げんかばっかりやっていたら、地域の疲弊がますます進む」

知事選挙にはこのほか、反原発を訴える市民団体の副代表で、共産党が推薦する山崎泰子(57)も無所属で立候補することを表明している。

「平成」の終わりとともに

青木幹雄はかつて、「一番の民主主義は選挙ではない。話し合いだ」と述べていた。
しかし、話し合いは決裂した。

丸山擁立の中心となった県議はこう話す。
「青木の威光はもう通じない。全面戦争だ」

島根県では、昭和46年と50年の2回、知事選挙で自民党が分裂した。
ただこの時は、どちらも竹下が推した候補が勝利して、その力を見せつけ、その後の「竹下王国」全盛へとつながった。

それから44年。

竹下で始まった「平成」の終わりに、「王国」は、かつてない危機を迎えた。
このまま崩壊へ向かうのか、それとも…。

(文中・敬称略)

松江放送局記者
白石 明大
平成27年入局。松江局で島根県政と経済を担当。休日に宍道湖(全周約50km)をロードバイクで1周するのが趣味。愛媛県出身。
松江放送局記者
須田 唯嗣
平成26年入局。島根県政と松江市政を担当。島根勤務もまもなく丸5年で、各地域の方言もおおよそ分かるように。長野県出身。
松江放送局記者
西林 明秀
平成27年入局。自民党と警察取材を担当。島根の食に魅せられ体重が大幅増加も、去年20キロの減量に成功。徳島県出身。