“呪われた”GSOMIA

あと6時間だった!
日韓の軍事情報包括保護協定=GSOMIAは、11月22日、失効を控えた土壇場で、韓国が失効決定の判断を覆し、辛うじて維持された。

実はこの協定、当初から“いわくつき”と言われ、まるで呪われたかのような運命をたどってきた。今回の失効回避で、呪いは解けたのか。
かつての交渉の経緯を知る両国の外交当局者の証言から、戦後最悪とも言われる日韓関係を考える。
(高島浩、渡辺信)

“呪い”の始まり

「開いた口がふさがらない」「これ以上ないくらい抗議した」
これは、韓国担当の外務省幹部Aを取材した時のメモである。

今の話ではない。
7年前、2012年6月29日のことだ。

この日、午前の官房長官会見。

日韓GSOMIAの署名が午後に行われると発表された。

ところが、その直後、外務省北庁舎7階にあるアジア大洋州局北東アジア課の電話が鳴った。

「きょうは署名できなくなった」

韓国外務省からの突然の通告だった。

「何を言ってるんだ?」

日本側は、すぐに状況が飲み込めなかったという。

1年以上の交渉の末、ようやく署名となったその日。
署名予定のわずか1時間前の延期申し入れ、まさに“ドタキャン”だった。

その夜に行われた日韓外相の電話会談。
韓国側は「国内事情で署名を延期せざるを得なくなった」と説明するだけだった。

最初から“いわくつき”

当時、韓国担当だった外務省幹部Bはこう証言する。
「私の認識では、日韓の歴史問題といった背景はほとんどなく、むしろ韓国側の極めて国対=国会対策的な発想で、話が進まなくなってしまった。韓国風に言うならば“ヨイド(汝矣島=国会議事堂がある場所)の論理”の犠牲になったわけだ」

韓国は、イ・ミョンバク(李明博)政権の末期。
韓国の大統領は1期5年限りで再選が認められていないため、求心力は落ち、「レームダック化」が著しかった。

そうした中で、韓国政府は、協定に関する閣議決定を非公開で行い、この手続きが、「密室処理だ」と世論の批判を浴びた。

外務省幹部Bは振り返る。
「韓国国会は与野党がきっ抗し、議長選出など、さまざまな点でもめていた。GSOMIAは、国会承認が必要ではなかったが、韓国政府が、国会に報告する必要がある案件だった。国会の混乱の中、『こんな重要な話を、外務省と大統領府は、国会に根回しもしていなかったのは、おかしい』という意見が大勢になり、韓国政府も、直前で署名の延期という判断になったようだ」

その上で、こう付け加えた。
「日本ならば、外国相手の話を先延ばししてツケを回すのはよくないという判断になるのだが、韓国は違う。GSOMIAは、もともとから『いわくつきの話』なんだよな」

韓国側から見ると

では、韓国側はどう見ていたのか。
韓国外務省で、対日外交に深く関わる幹部Cは「当時、協定の交渉には直接関わってはいなかった」としつつも、日韓の過去の歴史をめぐる敏感な国民感情が背景にあることを明かした。

「韓国の人々には、朝鮮半島が日本の植民地として被害を受けたという、過去の歴史に由来する意識が常にある。そこから、日本人の歴史認識が欠如したままなのに、韓日の安全保障協力を進めていくのはよくないという意見が出てくる。そうした中で、結果として“密室処理”とたたかれるような政府の手続きになってしまった」

日韓関係を研究している、慶應大学の添谷芳秀教授はむしろ韓国政府のやり方はしかたない側面があったと指摘した。

「韓国世論のイメージとして、日本と安全保障協力を進めれば、それに乗じて日本がまた悪いことをやるのではないかという、いわば歴史の記憶に直結してしまう。根底に『日本は信用ならない』という思いがあり、理屈ではなく、感情レベルで反射的に反応してしまうところがある。手続きを公開で行っていたら、もっと早く協定はつぶれていたかもしれない」

日本と秘密裏にGSOMIAを結ぼうとしたとして、批判されたイ・ミョンバク政権は、その後、世論に迎合するかのように、反日感情に訴える行動に出る。

8月10日、韓国大統領として初めて、韓国が不法占拠している島根県の竹島に上陸。

日韓関係は、急速に悪化する。

GSOMIAは、韓国に根強く残る反日感情と、韓国の国会情勢に翻弄され、“署名ドタキャン”という、外交上、極めてまれな事態を日韓の歴史に残すことになった。

ようやく締結

その後も、協定に関する交渉は、外交当局間で継続された。

2013年、韓国では保守政権のパク・クネ(朴槿恵)大統領が就任。

その後、戦後70年、日韓国交正常化50年となる2015年の年末には、慰安婦問題の最終的な解決で日韓両政府が合意。日韓関係は改善に向かっていた。

一方、北朝鮮は、2015年5月、潜水艦からの弾道ミサイル発射に成功したと発表。
2016年1月には4回目となる核実験を実施。その後も、弾道ミサイルなどを相次いで発射、挑発行為を繰り返す。

GSOMIAにも転機が訪れる。
2016年3月末、ワシントンで行われた日米韓3か国の首脳会談。
会談では、北朝鮮への対応をめぐって協議。

この場で、3か国で安全保障・防衛分野の具体的な協力を推進するため、日本と韓国のGSOMIAの早期締結で一致した。
アメリカとの関係を重視するパク・クネ大統領は、GSOMIAの締結を指示した。

そして11⽉23⽇。

ソウルでGSOMIAの署名が⾮公開で⾏われ、即⽇発効した。
署名ドタキャンから4年後のことだった。

そして“危機”

しかし、GSOMIAは、その3年後のことし、再び、揺さぶられることになった。

去年10月、韓国の最高裁判所が、太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、日本企業への慰謝料請求を認める判決を出したことをきっかけに、日韓関係は悪化。

日本は、1965年の日韓請求権協定で、問題は解決済みだという立場から、韓国側に対し国際法違反の状態を是正するよう要求。

しかし、ムン・ジェイン(文在寅)政権は、世論を背景に、日本に対して厳しい態度をとり続けた。

こうした中、日本は、ことし7月、安全保障上の措置として、韓国に対する輸出管理を強化。

韓国は、これに対抗する形で、8月、GSOMIAの破棄を通告した。
韓国世論は、反日の色をさらに鮮明にしていった。

外務省幹部Bは、こう語る。
「あんなに苦労してやっと署名できた協定なのに、破棄とは、衝撃だった」

一方、韓国外務省の幹部Cは。
「日本側から安全保障上、信頼できないと言われてしまえば、韓国世論は耐えられない。韓国は、日本の輸出管理の強化を、あと数十年は忘れないだろう」

GSOMIAの失効が迫る11月22日に、韓国の世論調査機関「韓国ギャラップ」が発表した世論調査では、GSOMIAの破棄について、「正しい」と答えた人が51%、「正しくない」と答えた人が29%だった。
当初、日本政府内では、韓国国内の反日世論や、そうした世論を背景にしたムン大統領のこれまでの姿勢を踏まえると、「GSOMIAの失効は避けられない」という見方が大勢だった。

土壇場で

こうした状況の中、アメリカが動いた。
日米韓3か国の安全保障上の連携を重視するアメリカは、GSOMIAの破棄は、北朝鮮や中国を利することになるとして、エスパー国防長官らを相次いで韓国に派遣し、圧力をかけ続けた。

日本政府も「地域の安全保障環境を完全に見誤った対応で、賢明な対応を求めたい」として、韓国側に破棄の見直しを繰り返し求めた。

そして、事態が急転したのは、失効まで6時間に迫った11月22日午後6時。

韓国政府は「GSOMIAを終了するとした通告の効力を停止する」と発表、GSOMIA維持を決定した。

土壇場での方針転換だった。

直前の極秘会談

この土壇場での転換の裏では、日韓の外交当局が、直前まで水面下で協議を続けていたことが取材で明らかになっている。

失効まで1週間を切った11月中旬。
外務省の秋葉事務次官。

報道陣の目をかいくぐり、東京で韓国外務省のチョ・セヨン(趙世暎)第1次官との極秘会談に臨んでいた。

電話も含めて、両氏の協議は繰り返し行われ、歩み寄りの糸口を模索していった。

交渉の最終盤、日本側は、「GSOMIAの継続」と「輸出管理の問題」は別問題だという、原則的立場を変えないものの、韓国側が重視していた「輸出管理の問題」で対話の姿勢を示した。その代わりに、韓国側から、「GSOMIAの継続」と、輸出管理の問題での「WTO提訴の取り下げ」を引き出した。

両国の外交当局間で、1つの着地点が固まってきたのは、21日午後だったという。

しかし、ムン大統領の“決裁”はまだだった。

「絶対に情報を漏らすな」

日本の外務省関係者に箝口令(かんこうれい)が敷かれた。

翌22日午前、外務省では、秋葉次官の部屋に韓国担当の職員が頻繁に出入りした。
走りながら出入りする職員の姿は、韓国外務省との調整がぎりぎりまで続いたことを物語っていた。

韓国世論は維持に賛成?

驚くべき事実がある。

韓国がGSOMIAの維持を決定したあと、韓国の世論調査で、GSOMIA維持を支持する意見が7割を超えた。不思議なことに、協定に反対だったはずの韓国世論が、いつの間にか、賛成に転じていたのだ。

前出の添谷教授が、興味深い数字を示してくれた。

2012年のGSOMIA署名ドタキャンの1年後、2013年に韓国国内で行われた世論調査の結果だ。
日韓GSOMIAは必要かという問いに対し、▼必要が60%前後、▼不必要が30%余りとなっていた。

添谷教授は次のように分析する。

「協定の内容が時間をかけて世論の理解を得ることができたからではないか。ただ、韓国社会は、反日という雰囲気が一旦、作り出されると、それに簡単には逆らえなくなる。一般の韓国人は、日常的には、日本で思われているほど反日ではないので、反日で凝り固まった雰囲気に、少しの風穴が空けば、“理性”が取り戻される」

韓国人の間では、教育を通じて「日本の植民地支配は過酷な抑圧だった」という歴史認識が、日本人が想像する以上に、根強く共有されているとされる。

「このままではいけない」まずは一歩

添谷教授は、「このままではいけないと、ようやく日韓双方が思い始め、ある種の『外交不在の状態』から、一歩進んだという初歩的な進展だ。両国民の真の相互理解に向けた不断の努力が求められる」と話す。

日本政府は、日韓関係悪化の根底にあるのは、「徴用」をめぐる問題であり、韓国側に対して、日本が納得できる解決策を出すよう、求め続けている。

現在、日韓の外交当局は、12月下旬に調整中の日韓首脳会談に向けて、水面下でのやりとりを活発化させていると見られる。

その真っただ中にいる外務省幹部は、私たちの取材に対し、「関係改善を模索しているが、年内の解決は、個人的には、まだ、その感触を持っていない」と話した。

アメリカのエスパー国防長官はこう語った。

「日韓の摩擦の恩恵を受けているのは北朝鮮と中国だけだ」
無論、アメリカに言われるまでもないことだ。

北朝鮮が弾道ミサイル能力を着々と向上させ、中国が経済力を背景にアジアでの影響力を増し、世界でもアメリカと覇権争いを繰り広げるなか、日米同盟を基軸とする日本にとって、朝鮮半島で協力できるパートナーがいることは、地域の平和と安定を維持するために地政学上、大きな利益となっている。

そのことは、多くの外交・安全保障関係者の一致した見方だ。

日韓の問題を考える時、そうした日本の現下の厳しい安全保障環境を踏まえた、現実的で冷静な議論が必要だと思う。

政治部記者
高島 浩
2012年入局。新潟局を経て国際部。2019年8月から政治部で外務省担当。専門は中国。
政治部記者
渡辺 信
2004年入局。釧路局、サハリン、仙台局、福島局でも勤務。現在は政治部で外務省担当。