共産党初の女性委員長
難局にどう臨む

ことし創立から102年を迎える共産党に、初めて女性の委員長が誕生した。
田村智子、58歳。“タムトモ”とも呼ばれる新委員長のもと共産党は支持拡大を図れるか。
就任から1か月を前に、難局にどう臨むのか聞いた。
(森田あゆ美)

(2月13日 R1「マイあさ!」で放送)
【聴き逃し配信リンク】20日(火)8:28配信終了

“3分”で決断

「えー!私?というのが率直なところだった」

1月18日に党大会で共産党の委員長に就任した田村智子。
今回、NHKのインタビューに応じ、委員長を打診された時の心境を語った。

共産党 田村智子 委員長

「3分くらいは悩んだ。私生活も含めて、かなり今までとは違うことになるだろうなという思いはあったが、要請はとても光栄なことで『もっと成長しろ』と言われているんだと。割と即決というか、もう頑張るしかないという思いで受けた。この時点ではあくまで提案で、党大会で結論がどうなるか分からないので、家族にも相談せずに決めた」

実は、最初に打診を受けたのは去年秋だったという。
最高幹部らによる「人事小委員会」が設けられ、その場で人事案が示された。

共産党大会

ただ、党大会までの数か月間、23年ぶりの委員長交代は“トップシークレット”だった。

党大会のあと、家族にはLINEで報告し、娘からは「バッシングもされるだろうけど、頑張ってね」と返信があったという。

「ちょっとひいた立場から見て、自分がというよりも、102年の歴史の中で初めて女性が委員長になるのは、党にとって歴史的な出来事なんだという感動を覚えていた。自分にとっても新しいスタートになるので、武者震いのような、不安はあるけど、チャレンジしていこうという思いだった」

共産党 その歴史

共産党と聞くと「革命」や「闘争」といった言葉が思い浮かぶ人も少なくないだろう。

戦前の共産党は、天皇制のもとでの「専制政治」からの変革を掲げ、弾圧の対象になった。

党本部の入り口(1950年)

戦後は合法政党として再出発したものの、1950年に、旧ソ連や中国による干渉が行われ、党が分裂した。
一方の側が、武装組織をつくり、火炎ビン闘争などを展開。

その後、共産党は、これを誤りだったと総括し、他国の干渉を許さない「自主独立」の路線を取り、覇権主義を否定している。

天皇制についても、現在は憲法を守る立場から、なくさないとしている。

一方で、公安調査庁は、共産党が、暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っていると判断し、今も、破壊活動防止法に基づく調査対象団体としているが、共産党は「歴史の事実を歪曲している」と反論している。

“タムトモ”

歴史ある党で、トップとなった田村とはどんな人物だろうか。

入党して10年経ったころ(田村氏のホームページより)

1965年、長野県小諸市に生まれた。
早稲田大学で学費値上げの反対運動などに携わり共産党に入党。
1998年以降、国政選挙に5回立候補していずれも落選し、2010年の参議院選挙で初当選を果たした苦労人でもある。

2019年11月 参議院予算委員会での田村氏
2019年11月 参議院予算委員会


総理大臣主催の「桜を見る会」の追及で知名度を上げ、4年前の前回の党大会で女性初の政策委員長に就任した。

小学生の頃に合唱を始め、大学時代には混声合唱団で活動。
党内外で“タムトモ”の愛称で知られている。

当初、田村は、共産党への入党をしばらく断っていたという。

「入党の勧めを受けても、両親が絶対反対するのも分かっていたし、けっこう断り続けた。当時は『学生運動』という言葉自体に大変拒否感があった」

ただ、その後、心境に変化が生まれた。

「当時は80年代半ばで、アメリカとソ連が核兵器の開発競争をしていて、核兵器が増え続ける理不尽さが頭のどこかにずっとあり続けていた。日本共産党が『核兵器は廃絶できる』と呼びかけていて『そうか、政治を変えることはできるんだ』と希望が見え、党に入る大きなきっかけになった」

党員は減少

田村が入党した1980年代半ば、共産党には、およそ48万人の党員がいた。

共産党の党員数
共産党の公表データより

しかし、党員数は、1990年のおよそ50万人をピークに、現在は25万人程度と、30年あまりで、半減している。
党員の高齢化も進み、党を取り巻く情勢は厳しい。

「大きな課題だ。90年代のソ連・東欧の社会主義国家の崩壊という最も困難な時に、党員を増やす努力を弱め、赤旗の読者を増やす方に軸足を置いてしまった時期が10年ぐらい続いた。90年代は『社会主義はもう終わった。資本主義が勝利した』と言われた。社会主義に対するマイナスのイメージが社会の中で定着し、今も、中国のような社会を思い浮かべて『自由がない』というイメージが多くの方の中にあると思う」

党のマイナスイメージを率直に認識している田村。どう払拭しようとしているのか。

「進んだ資本主義の国である日本が社会主義になれば、全然違う社会が実現できるということを、もっと押し出していきたい。今の資本主義が気候危機や貧富の格差、長時間労働など人間の自由を奪っている。資本主義の害悪を乗り越えて実現する社会は、人間や環境の犠牲を生まず、さらに人間の内面が豊かに発達する社会になると党大会でも打ち出した。これはすごく魅力になると思う」

イメージ刷新のため「共産党」という党名を変えたほうがいいという声もあるが、田村は否定した。

「100年を超える歴史の中で、党名を変えていないのはすごいこと。党名を変えるのではなく、戦前の女性党員の活動など、誇るべき歴史を受け継いでいくことの大切さを外の人にも大いに語っていきたい。『共産党』という名前を魅力にしなければ、多くの入党者を迎えられない」

進まない野党共闘

党員が減少する共産党は、ここ数年、国政選挙でも苦戦が続いている。
2015年、共産党は、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法の廃止を目指し「国民連合政府」の樹立を提唱して「野党共闘」を呼びかけた。

翌年の参議院選挙では、野党側が32の「1人区」で11勝するなど、一定の成果を得られた。

そして2021年の衆議院選挙。

2021年9月 共産党の志位委員長(当時)と立憲民主党の枝野代表(当時)

立憲民主党と「政権交代が実現した場合、限定的な閣外からの協力を行う」ことで合意し、多くの選挙区で候補者調整が行われた。しかし、自民党は「立憲共産党」などと共闘を批判し、立憲民主党と共産党はともに議席を減らした。

その後、共産党が主張する野党共闘は思うように進んでいない。

日本維新の会や国民民主党は、憲法や安全保障で価値観が異なるとして、共産党との協力はありえないとしている。
また、野党第1党の立憲民主党を支持する労働組合の中央組織・連合も、共産党から支援を受ける候補者は推薦できないという立場を明確にしている。

野党共闘の行方は

野党共闘の現状について、田村は次のように分析した。

共産党 田村智子 委員長 に森田記者が聞く

「困難に直面している。2021年の衆議院選挙では、政策の合意と共に政権についての合意も結んで選挙を戦ったが、共産党との共闘に猛烈な攻撃が行われ、今も続いている」

一方で、自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題などを受けて、共闘の必要性は高まっているという。

「自民党の政治は本当に行き詰まっていて、『こんな政治でいいのか』という思いは国民の中にいっぱいある。自民党や岸田政権に対して強烈な批判があっても、野党の支持率が伸びない。野党が共闘して、自民党の政治を変えるという旗を示していくことが求められている局面だ」

野党共闘を進めるため、どう働きかけていくのか。

「緊急の一致点を重視していきたい。裏金事件の真相解明とともに、金権腐敗の根を絶つ政治改革を一致点に、国会で野党が共闘し、追及していかなければならない。同時に、選挙を戦うときの共闘は、『立憲主義を守る』という太い柱のもとに、一致できる政策を協議していくことが必要だ」

その上で、田村は、次の衆議院選挙では、共産党の議席を増やすため、比例代表の得票に注力する考えを示した。

「共闘が困難な状況を打ち破る上でも、次の衆議院選挙では思い切って日本共産党の議席を増やすことに力を入れる。比例代表での650万票の得票は相当な努力が必要だが、引き続き追求していく」

前回・2021年の衆議院選挙で、共産党の比例票は416万だった。
これを2014年の600万以上に回復させるという目標で、ハードルは高い。

【衆議院選挙 共産党議席】
2012年 8議席(選挙区0・比例8)
2014年 21議席(選挙区1・比例20)
2017年 12議席(選挙区1・比例11)
2021年 10議席(選挙区1・比例9)

執行部への批判

新たな党の顔となった田村。
しかし、早々に「これまでと変わらない」と言われる場面もあった。

去年、党の政策に反して日米安保条約の堅持などを表明し、すべての党員による投票で委員長を選出するよう求める本を出版した元党職員の男性が除名処分になった。
除名された男性は、処分を不服として党大会での再審査を求めた。

党大会では、「処分は適正に行われている」として、請求は却下されたが、男性の処分を疑問視する意見を述べた党員に対し、田村が厳しく反論したのだ。

除名処分をめぐり「異論を排除するのか」という指摘に、田村は…。

共産党 田村智子 委員長

「日本共産党は、日米安保条約の廃棄を当面の政治改革の第一の柱に位置づけている。その旗をおろせという本をいきなり出版し『旗をおろさないから野党共闘が進まない』という攻撃を、党員であることを売りにして宣伝した。攻撃を外から行うのは、党内の議論ではないので、除名にするしかなかった。厳しく対応しなければ、政治を変える政党としての責任が果たせない」

党大会での田村氏

「『本を出版したことよりも、除名処分のほうが間違いだった』という発言があったが、すさまじい反共攻撃を打ち破ろうと努力してきたことも含めて否定する発言だったので、大変重大な誤りがあり、私から厳しい批判も行った。発言の機会を保障すると同時に、間違いがあれば相互批判をするのは、党が団結していく上でのとても大切な議論のやり方だ」

共産党は変わるのか

一方で、新たな共産党執行部には変化の兆しも見られる。

20年以上にわたって委員長を務めた志位和夫が議長になるなどベテランが残る一方、若手の登用も目立ち、世代交代を印象づけた。

政策委員長には、39歳の参議院議員・山添拓が、書記局長代行には、42歳で次世代の人材の1人と期待される田中悠がそれぞれ就任した。

新役員の記者会見

若手の登用とともに、力を入れているのがジェンダー平等だ。

田村自身、2人の子どもを育てながら要職を歴任してきた。

「今いるところより、2つ3つ重い役割を提起され続けるような党員人生だった。いろいろな組織で、意思決定機関に女性が増えていかなければならない。自分も妊娠・出産をし、子どもが小さかったとき、とても大変な時期があった。日本社会全体の改革が求められ、多様性を認める社会でないと、みんなが息苦しくなってしまうので、政治分野でも頑張りたい」

共産党 田村智子 委員長

委員長に就任したとき、田村は「女性のエンパワーメント」という言葉が思い浮かんだという。

「重責ほど1人だけでは担えず、支えるスタッフや相談できる相手をつくっていかなければならない。そういう組織でなければ発展できない。『私を支えてよ、頑張るから。だけど頑張りきれないところだってあるのよ』と、できるかどうかだ。若い人や女性の力をもっと生かしていけるような党に改革していかなければならない」

インタビューの最後に、田村は、こう自己分析した。

「私は根が楽天家で、誰かと話すのが大好きという感じ。大きな失敗をしてしまうこともあるが、それでぐんと落ち込んだ時も、それで世界は終わらないと思って立ち直るようにしている」

100年を超える歴史で初めて女性委員長がかじ取りを担うことになった共産党。
新たな党の姿を打ち出し、目標に掲げる議席の増加を実現できるのか。

新委員長は、これから難しい課題に挑むことになる。
(※文中敬称略)

(1月18日「ニュースウオッチ9」などで放送)

(2月13日 R1「マイあさ!」で放送)【聴き逃し配信リンク】20日(火)8:28配信終了

政治部記者
森田 あゆ美
2004年入局。佐賀局、神戸局などを経て政治部。現在、2回目の野党クラブで共産党や立憲民主党を担当。趣味は海外旅行。