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高畑勲監督 "幻のジブリ映画"

2022年12月9日

スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが見せてくれた冊子。それは、世に出ることがなかった、"幻のジブリ映画"の企画書でした。劇場用アニメーション映画で、テーマは"戦争"。制作しようとしていたのは「火垂るの墓」を手がけた巨匠・高畑勲監督でした。"幻のジブリ映画"が伝えようとしていた "戦争"とは...。

東海ドまんなか!「いまに戦争を伝える 愛知発"幻のジブリ映画"」(2022年12月9日放送)

テーマは"戦争" 巨匠・高畑勲監督が書いた企画書

名古屋出身、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが見せてくれたのは、愛知と深い関係のある33年前の企画書でした。

「これが当時の企画書ですね。本当は作りたかったですよね」

実現にいたらなかった「幻のジブリ映画」。戦争をテーマにした劇場用アニメです。
企画を練っていたのは「火垂るの墓」を手がけた巨匠・高畑勲監督。

戦争を防ぐために本当に必要なアニメ映画とは何か。生前、高畑監督はその思いを語っていました。

「映画で火垂るの墓というのを作りました。しかしそれを作ったときに『反戦映画』と言われたんですね。僕はあれは反戦映画ではないということをずっと主張してきました。戦争末期に追い詰められて悲惨な目にあったわけです。そういう悲惨な体験というのは語り継ぐべきことですね。もちろん伝承していくべきことですが、しかしそういうものをいくら語ってもですね、将来の戦争を防ぐにはたいして役に立たないだろうというのが僕の意見なんです」

愛知発!ジブリが注目した幻の映画の"原作"

実はこの映画には原作があります。
それは、愛知県の児童文学作家、四方晨(しかたしん)さんが自身の経験をもとに書いた冒険小説「国境」です。

物語は太平洋戦争が始まる2年前の1939年、日本の統治下にあった朝鮮半島の京城・いまのソウルから始まります。主人公は、京城の学校に通う昭夫です。ある日、親友の信彦が軍隊学校から脱走し、行方がわからなくなります。信彦は、いまどこでなにをしているのか・・・?

信彦の行方を調べるため昭夫は満州国の首都・新京へ行くことを決意します。
1932年、日本が新たな土地や資源を求めて中国の東北部に作った満州国。
昭夫は信彦の情報を集めるため、満州で暮らす日本人たちが集う場所へ。

そこで若い朝鮮人の男性が周囲の目を警戒しながら昭夫に話しかけてきました。

朝鮮人

「あそこは見張られていて、とても危険なので、こんな会い方をすることにしました」

朝鮮人

「私は信彦さんの通られた跡をあなたにお見せしたい。なぜか?それは、あなたのような日本人の若者が、おのれを閉じ込めている金魚鉢を、自分の目で知ってもらうことが、やがては私たち朝鮮人、そして中国人のためにも役に立つと思ったからです。信彦くんはその金魚鉢の壁に気がついたのです」

自分を閉じ込めている「金魚鉢」とは何なのか。日本人街を離れて、中国人街へ向かった昭夫は、満州族の二人が職場の日本人について話しているのを耳にします。

「今度の給料の改正はひどいと思わんかね」

「やつらは、ただ日本人だということだけで倍も給料をもらっている。われわれは自分の身を削って仕事をしているのに...」

「日本人はやはり、満州は自分たちが奪った国だと思ってるのさ」

「あんまり大きな声で言わないほうがいいぜ。役所をクビになるだけならいいが、この間、もっと恐ろしい所へ送られた仲間がいる」

そして放送局でアナウンサーを務める、ある女性に出会います。原田秋子と名乗る彼女は、自分は、本当は日本人ではなくモンゴル人だと明かし、行方不明の親友・信彦についても教えてくれました。

「信彦君は今、あるところでいきいきと仕事をしています。いま言えるのはそれだけ」

満州・ハルビンに向かった昭夫は、追ってきた日本軍に協力する追っ手にとらわれてしまいます。連日、気を失うまで拷問される昭夫を救ったのは、秋子でした。

秋子

「私は...祖国に戻らなければならないの。やがてまた始まる本格的な日本との戦いのためにね。それでできたら...とても言いづらいことだけど、私と一緒に国境まで行ってもらえないかしら」

そのころ、満州国とモンゴルの国境・ノモンハンでは、日本との間で、新たな戦争が始まろうとしていました。

祖国へ戻るモンゴル人の秋子に思いを寄せ始めていた昭夫。その胸中は揺れ始めます。

昭夫

「秋子とこのさき行動を共にすることは...祖国日本の敵を助け、物心ついて以来叩き込まれてきた忠君愛国の教えと反対の行動をすることになる」

そんな昭夫は、モンゴル軍を率いるリーダーを紹介されます。

「私たちモンゴル人は現在数も少なく力も弱い。だからと言って力の強い国が勝手に国境線を引いて、自分の領土によその国をくわえ込む、これは不正義です」

そしてついに昭夫は秋子をモンゴルまで送り届ける決心をします。
その道中、協力するモンゴル人の機関士が昭夫に話しかけてきました。

モンゴル人の機関士

「君は田川信彦君の友だちだったってね、彼は元気でやっているそうだ」

実は、親友の信彦もモンゴル人で、祖国で日本との戦いに備えているというのです。そして続けます。

「おれなんか満州なんか国じゃない、おれの国はモンゴルだ、それ以外に考えたことはなかったけどさ」

もう一人、朝鮮人の機関士も昭夫に語り掛けます。

朝鮮人

「国も家族も持っていないおれには、自分が生きてきた証みたいなものはみんなどこかの空に消えてしまうばかりだ。この戦争で生き残れたら、いい国をつくってくれよな、じゃあ」

モンゴル人

「列車を出せ!出しちまおう」

昭夫は無事にモンゴルまで秋子を送り届けます。親友を探す旅は、いつしか自らを見つめ直す旅になっていました。

秋子

「こんな偽りの国境線なんかなければ、ずっと一緒にいられるのに。あなたの民族と私の民族とがお互いに負い目も引け目もなくなる日、侵略することも侵略されることもなくなる日、本当の平和の日がこなくっちゃね」

昭夫

「きっとそういう日がくる。じゃあノブによろしく!」

「国境」を映画化しようとした高畑監督の思い

しかたさんが書いた「国境」を、なぜジブリの高畑勲監督は、映画にしようと考えたのでしょうか。

スタジオジブリ 鈴木敏夫プロデューサー

「この物語も本来は軍国少年で間違いないんじゃないかな。それが、自分の信じた親友が実はモンゴル人で、好きになった人はモンゴル人ってことで、軍国少年じゃなくなっていくっていう話だと思うんですよね。その崩れる様が面白いだろうと思ったんですよ。だからそういうことで言えばリアルなんですよね。中国の問題、それから朝鮮の問題、延々続いているじゃないですか。そういうことにね、くさびを打てたんじゃないかなって気もするし、これは僕の考えですけどね、で、高畑監督も同じだったと思います。だからこういう映画を作るというのは意味がある。そう思いました」

高畑勲監督の息子・耕介さん

「異なる民族に対する抑圧というのは、いろいろな所で繰り返し起きているわけですよね世界中で。そういったものの中で、一部、日本人としての当事者意識を持たざるを得ないようなものっていうのも実際にあるんだよ、ということを描けるチャンスがそこにあったというのはあるでしょうね」

高畑勲監督の妻・かよ子さん

「絶対、日本人は(戦争が)始まってしまったらもう反対ができない。絶対、そういう周りの目っていうのが本当に大事な国民だから。始まらないようにするのが一番の大事なところだって言っていましたからね」

スタジオジブリの映画の企画は途中で頓挫し、映画「国境」は幻に終わりました。しかし、高畑監督がほれ込んだ原作小説は、今も、私たちに大切なメッセージを送り続けています。

国境(全三部) 作:しかたしん 本の挿絵:真崎守 理論社