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「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー 第3回 重い障害があっても地域で暮らす理由

2017年07月25日(火)

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由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー
第3回 重い障害があっても地域で暮らす理由

▼地域で暮らすことが大前提となるべき
▼本人と一緒にみんなで考える
第1回 第2回 第4回

 


Webライターの木下です。

地域で暮らすことが大前提となるべき


相模原障害者施設殺傷事件が起きてから、施設福祉や地域移行をめぐって、さまざまな意見が交わされています。社会全体としてはノーマライゼーションを推進する方向にあって、神奈川県でも障害者福祉計画により目標値を定めながら、障害者施設の入所者の地域移行を進めています。しかし、医療による支援を必要とする重症心身障害者の場合は、施設の役割はいまだに大きな位置を占めています。施設ではなく、地域で重症心身障害者の娘さんを育ててこられた坂川智恵さんは、施設の暮らしと地域の暮らしについて、どのように考えられているのかを、うかがいました。

木下:坂川さんは、地域の人々とさまざまな交流をもちながら亜由未さんと暮らしておられます。当然、施設入所に対しては反対のお立場ですよね。

坂川:亜由未がまだ幼い頃私が入院することになって、短期入所施設に預けたことがあります。一か月に満たないショートステイだったのですが、退院して迎えに行くと亜由未の姿は変わり果てていました。表情がまったく失われ魂の抜け殻のようでした。「よく笑い、よく泣く子だったのに、なぜ?」と、胸が潰れる思いがしました。

 その後用事で、ショートステイした施設を訪ねることがあったのですけど、入口の前にくると亜由未が激しく泣き出して。慌ててその場を離れると泣き止むけれど、また連れていくと全身を突っ張らせて号泣する。何度繰り返しても同じでした。私にはそれが、「ここは嫌だ」という叫びに聞こえたのです。預けられた当初もこうして叫んでいたのではないだろうか、それを無視し続けた結果が、あの魂の抜け殻状態だったのではなかったのかと思いました。
 療育の専門家に相談すると、施設に慣れることが自立への道と指導されました。確かに亜由未の兄も保育園に入園したとき、初めこそ泣いて私の後を追いましたが、慣れると振り向きもしません。それと同じかなとうなずきかけたのですが、その後、重症心身障害児者に起こる入所時重篤反応を知りました。

 入所が引き金で筋緊張の亢進や発熱、不眠、摂食困難などが起こって、急速に消耗し、最悪の場合は死に至るという反応です。まさか本当に死んでしまうことがあるなんて、と愕然としました。でも考えてみれば食事も排泄も寝返りも、呼吸すら一人ではままならなくて、つねに誰かを頼らねばならないとき、その誰かを疑うということは自分の命の足場を疑うということです。私を抱えるこの人は次の瞬間私を落とすかもしれない……そんなふうに日常的に不安や疑いを抱いていては恐ろしくて生きていけない。だから亜由未は私たちより深く、絶対的に、関わる人を信じようとするのではないか、目の前にいるこの人に命を預けても大丈夫だと信じる力こそ、亜由未の生きる力かもしれない。だとしたら命を預けた人から引き離されるということは、預けた命をもぎ取られるに等しい痛手になるのではないかと思いました。

 また、亜由未のように医療的ケアが必要な場合、ドクターやナースのいる施設のほうが安全と当たり前のことのように考えられていますが、「それは本当なのか?」ということも考えてみました。医療型施設であっても死亡事故は起こっています。日勤終了時間までに食事介助を終わらせなくてはならない、というような制限時間プレッシャーや、看護職と介護職の上下関係の軋轢が引き起こす事故などが報告されています。施設というシステム特有のリスクがあるのだと知りました。

 そもそも集団をケアするという施設の根本的なシステムも、亜由未にとっては大きなリスクと感じました。自分でうつむくことすらままならない亜由未は、仰向けで吐いて誤嚥し、窒息や肺炎を引き起こすリスクもあります。それを防げるのは、傍にいてうつむかせ、安全に吐かせる介助ができる人だけです。言葉で異常を訴えられずナースコールも押せない亜由未にとっては、たとえどんなに高名なドクターでも、どんなに優しいナースでも、ナースステーションではなくベッドサイドにいなければ役に立たないときがあります。

 世の中の人は施設のことを亜由未のような医療的ケアが必要な最重度の障害者のための場所だと思っていて、障害の軽い人から地域に出たらよいと考えるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。例えば災害時も、施設の重心は避難の順番を待たなくてはならない。たとえそこに火の手が迫っていてもじっと待っているしかないなんて、どんなに恐ろしいことでしょう。

 もちろん地域なら安全、というわけではなく、どこにでも事故は起こりうる。絶対安全なユートピアなんてこの世に存在しないからこそ、どこであろうと安全のための努力を重ねるしかないのですよね。そうしたこともいろいろ考えて、施設ではなく地域での自立生活を目指すことになったのです。

 

本人と一緒にみんなで考える


木下
:しかし、受け皿がないままに重度の障害者の地域移行を進めていけば、結果として親にしわ寄せがいくという心配もありませんか。そうなれば、障害当事者も辛い思いをすると思います。

坂川:なぜ重症心身障害者の場合、地域=親なのでしょうか。地域で生活している他の障害者のように、“親の事情”と“本人の最善”は分けて考えるべきではないでしょうか。

 まず私たち皆、「当たり前」に施設ではなく地域で暮らしているのですから、障害者も地域で暮らすのが「当たり前」であり、施設はオプションであると、そこはおさえておきたい。自分自身に置き換えてみればわかると思います。例えば、私は病院に何年も入院していたいとは思いません。病気であっても、一刻も早く、自分の匂いのする家に戻りたいし、町で暮らしたい。障害者だって同じだと思います。

 亜由未のように言葉で意思表示できない障害者の場合、どうしても家族や周囲の人の意向でことが進んでしまいますけど、もしも、亜由未が話せたらなんて言うだろうかということを、まずは本人と一緒にみんなで考える。親の事情以前に。たとえ現状では望みがすべてかなうわけではないにしても、そこがスタートポイントではないでしょうか。

 そして親の介護が前提の地域か、さもなくば施設かというステレオタイプな二者択一ではなく、コレクティブハウスやシェアハウスに支援者付きで暮らすなど、健常者と同じようさまざまな暮らし方のバリエーションがデザインされても良いとも思います。介助されながら地域で子育てする障害者もいるのですから、支援を受けながら親を介護する障害者がいてもいいですよね。
 施設で寮のように寝泊まりして、昼間は地域の活動に参加するというやり方もあるのかもしれません。地域生活が前提と言いましたが、その中身が、住んでる住所は地域だけど地域の人と何のかかわりももてず、引きこもってしまうという孤立生活なら、それは本当に本人が望む暮らしなのか、問い直してみる必要があります。

 また、とかく時期尚早、「受け皿」がないと言われますが、ではいつまで待てば「受け皿」は整うのでしょう。人生が終わってしまうから今すぐ出たいという人に答える言葉があるのでしょうか。
 脳性まひの人たちが施設を出て自立生活を始めようとしたときだって、環境は整ってなかったと思います。そして、親は「時期尚早だから待て」と言い、世間も「迷惑だからやめて」と言いました。それでも、彼らは自立生活を始めたのです。何もかも不十分なまま。誰かに、何かに「受け皿」になってほしいとも考えなかったと思います。たとえ「受け皿」があったとしても施設の二の舞となりそうで拒否したのではないでしょうか。
 いまでは脳性まひの人たちは、望めばたいてい地域で暮らせるようになってきました。先駆者たちの運動の成果ですが、その運動の先頭に「いま、現にここで暮らしている」障害者の存在があったからこそ、その存在を無視できない形で制度も整っていったのではないでしょうか。

 

木下 真

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  第2回  地域の人々と交わるスペースを創る 
  第3回 重い障害があっても地域で暮らす理由
       第4回 一緒にいることがスタートでありゴール

知的障害者の施設をめぐって 全14回障害者の暮らす場所 全5回相模原障害者施設殺傷事件 全6回相模原市障害者施設殺傷事件に関して【相模原市障害者施設殺傷事件】障害者団体等の声明


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 2017年5月9日放送『ハートネットTV』「亜由未が教えてくれたこと」
 2017年7月22日放送『ETV特集』「亜由未が教えてくれたこと
 2017年7月26日放送『ハートネットTV』「障害者施設殺傷事件から1年 第3回  障害者は“不幸”?」
 2017年9月24日放送『NHKスペシャル』「亜由未が教えてくれたこと」

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