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2023年10月30日(月)

遅すぎた“救済”はなぜ 袴田再審・知られざる内幕

遅すぎた“救済”はなぜ 袴田再審・知られざる内幕

身に覚えの無い罪で逮捕されたと無実を訴え続け、裁判がやり直されるまで半世紀の歳月を要する理不尽―。57年前、静岡で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(87)。2023年、再審を認める決定が出され、10月27日初公判が開かれました。再審を求める最初の申し立てから40年余り。なぜこれほど長い時間がかかったのか。独自入手した新資料と、元裁判官など当事者たちの証言から日本の再審制度の課題に迫りました。

出演者

  • 指宿 信さん (成城大学法学部教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

再審を阻んだ“壁”独自取材 知られざる内幕

桑子 真帆キャスター:

死刑が確定したあと、袴田さんが裁判のやり直しを求めたのは1981年。それから有罪か無罪かを改めて審理する「再審」が始まるまでの実に42年の間に行われていたのが、再審を行うかどうかを決める手続きです。この手続きは非公開のため、これまでその内実を知ることはできませんでした。

なぜ、これだけの時間がかかったのか。今回、手続きに関わった当事者たちへの取材から、再審開始までに立ちふさがった壁が見えてきました。

記録・証言から浮かび上がる“2つの壁”

袴田さんの再審開始が決まる転機となった証拠があります。血に染まった、5点の衣類の鮮明なカラー写真です。

袴田さんが犯行時に着ていたとされ、事件の1年2か月後にみそタンクの中から見つかりました。写っていたのは鮮やかな血痕の赤みや生地本来の色。1年以上みそにつかっていたにしては不自然だとして再審の開始が決まり、捜査機関がねつ造した可能性も浮上したのです。

この写真が開示されたのは、袴田さんが再審を求めてからおよそ30年後。

なぜこれほど時間がかかったのか。

その要因となったのが、証拠が開示されるまでのハードルの高さでした。40年以上袴田さんの再審を求めてきた、弁護団の小川秀世さんです。

弁護団事務局長 小川秀世さん
「(検察から)証拠は出さないって言われれば、出すすべをこちらは持っていなかった」

再審が認められるには、無罪であることを明らかに示す新たな証拠を弁護側が提示する必要があります。しかし、その肝心の証拠は検察や警察などが保管。通常の裁判では検察が証拠のリストを示すことが定められていますが、再審にはそうした証拠開示のルールが一切ないのです。

小川秀世さん
「どうしたら再審って開始するんだろうと。そういうところで時間ばかり経過した。何か本当にちょっとむなしい闘いというところはありました」

今回NHKは、これまで明らかにされてこなかった審理の全記録を入手。その中に証拠の開示がいかに進まないかを物語るやりとりが記されていました。

再審の申し立てから4年後。裁判所は、ある供述調書の存在について検察に再三、確認を求めました。しかし…

1985年 2月21日 検察官
「3月中旬まで猶予願いたい」
1985年 5月30日 検察官
「6月15日までに回答できるか、めどは立たない」
1985年 6月21日 裁判所
「回答はいつごろになるか」
1985年 6月21日 検察官
「夏休み中に最後のつめを検討する」

そして、裁判所が確認を求めてから8か月後。

1985年 7月23日 検察官
「弁護人からなされた検察官未提出証拠の要望に対し、これに応ずる意思はない」

結局、検察は存在するかどうかさえ回答しませんでした。

このとき、審理を担当していた裁判官の1人、熊田俊博さんです。裁判官であっても、証拠の確認は簡単ではなかったといいます。

約40年前に担当した元裁判官 熊田俊博さん
「裁判所としては何ともしようがないです。無理に出させるわけにいきませんので。法的証拠はありませんから。やはり再審請求の審理が長引くというのは、こういうところにも原因があるわけです」

再審開始への転機となった、あのカラー写真。その開示を巡るやりとりも記録に残されていました。

弁護団が証拠開示をもとめた文書 1990年1月
「もっと多くの写真が撮影されたものと思われる。写真の提出および詳細かつ鮮明な写真による検討を加える必要があるのでネガの提出を求める」

これに対し検察は、問題の写真が存在することを明らかにしなかったのです。

検察官の意見書 1990年5月
「必要不可欠の重要写真が隠匿されている事実はない。検察官の手持ちについて、いわゆる証拠あさりをするものとしか考えられない」

あのカラー写真が新たな証拠として開示されたのは、このやりとりから20年後のことでした。

熊田俊博さん
「もし私が担当した第一次請求審の段階で、これ(カラー写真)が出ていれば、再審開始決定を第一次の段階でしていた可能性も大いにあると。結論も違っていたし、時間もこんなにかからなかったと思います」

なぜ証拠は開示されてこなかったのか。複数の元検察幹部は、検察に立証責任がある通常の裁判とは違うことや、ルールがないことが理由だと話しました。


(一般的な考え方として)再審に向けた手続きで新たな証拠を出すのは弁護側の役割だ。検察は自ら積極的に開示する立場にない。

元検察幹部への取材メモより

今は必要性があると判断すれば開示しているが、根拠になる規定がないので最初のころは箸にも棒にもかからない対応をしたのだろう。

別の元検察幹部への取材メモより

検察が「存在しない」と明言しながら、後に開示された証拠もありました。取り調べの録音テープです。逮捕後、無実を訴える袴田さんに自白を強要するような音声が記録されていました。

1966年 8月18日(逮捕当日)

警察官
「袴田、お前さんの良心に本当に聞いてな?いいか?ひとつお前の行為っちゅうのを反省してもらいたい、な?」
袴田さん
「それじゃまるで俺がやったっていうことにしかならないじゃん。犯人じゃないもの。(ほかに)誰かいるよ」

1966年 9月4日

袴田さん
「すいません。小便行きたいんですけど」
警察官
「便器もらってきて。ここでやらせればいいから。間違いないんだろう?袴田。返事をしなきゃだめじゃないか」

今から9年前の2014年。1度は開いたかに見えた再審の扉。

しかし、袴田さんにもう1つの壁が立ちはだかりました。検察による不服の申し立て「抗告」です。

このとき再審開始の決定を出し、釈放を認めた裁判長、村山浩昭さんです。今回初めてテレビのインタビューに応じました。

再審開始・釈放を認めた元裁判官 村山浩昭さん
「この9年間、私はあえて言わせていただければ無駄になったのではないかと。やはり今の制度に非常に大きな欠陥があることを、私は袴田事件を担当して実感したんです」

裁判所が再審を認めても検察は抗告し、争うことができます。袴田さんの場合、検察が地裁の決定に抗告。高裁は地裁の決定を取り消しました。これに対し、今度は弁護側が最高裁に抗告し、最高裁は高裁でやり直すよう差し戻しました。そして2023年3月、袴田さんを犯人と認定できないとして再審開始が確定したのです。この間、費やされたのは9年の歳月でした。

村山浩昭さん
「9年の間、きちんと再審公判やっていたら、袴田さんは無罪になって本当に自由な身で社会生活をされる、日常を過ごしていただけていたのでは。私自身、巌さんや(姉の)ひで子さんに申し訳ない気持ちもあって、つらかったのは事実です」

再審の“壁”「証拠開示」「抗告」の実態は

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:

先週の再審初公判で検察は、従来の証拠などをもとに「袴田さんが犯人で、犯行着衣をみそタンクに隠した」などと主張。
一方、弁護側は「ここで本当に裁かれるべきは袴田さんの人生を奪った責任がある警察や検察、弁護士、裁判官だ。信じがたいほどひどいえん罪を生み出したわが国の司法制度も裁かれなければいけない」と訴えました。

今回はこの司法制度も含めて考えていきたいと思います。きょうのゲストは、再審制度について長年研究してこられた指宿信(いぶすきまこと)さんです。

袴田さんの再審が始まるまで、実に42年という期間が再審請求からかかってしまった。時間がかかった背景の要因の1つに「証拠開示」の壁があったとVTRで見ました。この証拠開示にルールがないということだったのですが、なぜルールがないのでしょうか。

スタジオゲスト
指宿 信さん (成城大学法学部教授)
再審制度について長年研究

指宿さん:
そもそも死刑が確定する裁判の当時に、被告人が自分にとって有利な証拠を探すような仕組み、ルールがなかったんですね。そうしたルールが作られたのは裁判員裁判が始まる2004年なんです。2009年から裁判員裁判は始まるのですが、その前にできた。それぐらい証拠開示のルールがないということになると、ほとんどの裁判が通常裁判ですから、再審請求というのは非常に僅かなケースですので、99.9%有罪になる日本では再審請求についてはそんなにルールを作る必要がないと長年認識されていたきらいがあります。もちろん再審を求める側は早くルールを作ってほしいということは熱望していたんです。

桑子:
証拠開示を巡る問題は、袴田さんの件だけではありません。

実は2023年、日野町事件、大崎事件でも裁判のやり直しを認めるかどうかの判断が示されました。どちらも埋もれてきた古い証拠が後から開示されています。2023年2月に再審の開始が認められた日野町事件の弁護士はこのように話しています。

日野町事件弁護団 石側亮太弁護士
「証拠が出てこなかった可能性も大いにある。幸運も重なってようやく決定的な証拠にたどりついた」

と話していました。証拠開示のルールがないことについて元裁判官の村山さんも

袴田さんの再審開始を認めた元裁判官 村山浩昭さん
「証拠開示を積極的に促すかは、判官個人の姿勢によって違いがありすぎる」

と課題を指摘されています。

では指宿さん、初めからすべての証拠を出し、裁判をやり直すかどうか裁判所が判断すればいいと思うのですが、実はこの証拠をどう定義するかが難しいそうですね。

指宿さん:

そうなんです。裁判に提出される証拠というのは、この図で言うと赤い部分なんですね。裁判官、今では裁判員の人たちも含みますが、この赤い部分、検察官が提出してきた証拠を基本的には見て判断する、有罪無罪を判断するわけですが、検察自身は真ん中の丸のところまで証拠を持っていて、有罪立証に使える証拠を裁判に提出する。それが真ん中の赤い丸なんだけれども、使われない証拠というのが眠っていますよね。

さらに、検察に送られない「捜査資料」と呼ばれるものを警察が集めています。例えば10本の毛髪が犯罪現場で見つかったとして、1本が被疑者、被告人のものと一致するとしますと、残りの9本は警察に残されているわけですが、被疑者、被告人の方が自分は無実ということになれば、この9本の中に真犯人のものがあるということになるので、被疑者、被告人、再審を請求する側からしたら証拠というのはいちばん広いところまで証拠でないといけないということになります。

桑子:
今回の袴田さんのケースでも自白を迫る録音テープ、いちばん外側の円に当たるものでした。検察には送られず、後になって警察の倉庫から見つかったのです。テープの発見の経緯を知る捜査関係者は「当時は保管の規定がなく、仮に捨てたとしても誰もとがめられない」と話していました。なぜ、すべての資料というのを出せないのでしょうか。

指宿さん:
これはやはり被疑者、被告人に有罪のものを警察から検察に送る。検察は裁判に提出するという考え方に立っているので、1つは物の見方ですね。被疑者、被告人が有罪だと思っていればバイアスが生じてしまう。同じものを見ても被疑者、被告人、「これは無実の証拠じゃないか」と思うものを無視してしまう、そういうことが1つ考えられる。もう一つは「あっ、これは無罪に役に立ちそうだから有罪には邪魔だから提出しないでおこう」。あるいは「あることも隠しておこう」という可能性もあります。

桑子:
そして、この長期化する壁のもう一つが「抗告の壁」というものでした。検察官による不服申し立てによって一度開いた扉がまた閉じられるという実態もあったわけですが、指宿さんはこの抗告の課題をどう考えていますか。

指宿さん:

地裁が一度裁判をやり直すべきだと考えれば、直ちに裁判をやり直して、再審の中で有罪と考えるのだったら検察は立証すればいいんです。何度も高裁や最高裁で有罪だという方向の立証をする必要は全くないんです。主張したいのであれば、再審の公判でやることが最適だと。こんな無駄な時間をかける必要は全くないと思います。

桑子:
この問題について私たちは検察の関係者にも取材をしています。元検察幹部は

元検察幹部
「一度、確定した判決を簡単にひっくり返せる制度になったら確定判決の意味がなくなる」

というふうに話している人。さらには

袴田さんの再審請求に関わった元検察幹部
「裁判所の決定が常に正しいわけではない。判断がおかしいときに正すのが検察の役割だ」

というふうに話していました。とはいえ、長きにわたって再審まで時間がかかるところは改めなければなりません。課題の指摘はされながらも、実は日本の再審制度は70年以上一度も改正されていません。こうした中で、日本と近い法体系を持ちながら近年たて続けに法改正を行ってきたのが台湾です。

えん罪防ぐには何が 台湾の“改革”とは

えん罪被害者を支援してきた団体が台北市内にあります。この市民団体は、これまで再審で14人の無罪判決を勝ち取りました。

台湾イノセンス・プロジェクト 羅士翔 代表
「支援している事件の資料です。どの証拠に問題があるか見ることができる」

力を入れているのが証拠の検証です。台湾では4年前、再審の証拠開示に関する法律が改正されました。裁判に提出された証拠だけでなく、防犯カメラの映像など捜査段階資料まで、再審を申し立てた人が要求すれば、すぐに開示されるようになりました。また、再審の決定に対して検察が不服を申し立てても、裁判所は8か月以内に結論を出すことになっています。

こうした改革が進むきっかけとなったのは、あるえん罪事件でした。再審で無罪が確定した蘇建和さんです。

袴田さんと同じように強盗殺人事件で死刑を言い渡され、12年にわたって拘束されました。当時19歳だった蘇さんは、水責めや電気ショックといった拷問を受け、うその自白を強いられたといいます。

再審で無罪が確定した 蘇建和さん
「そのときは怒りで何が起きているのか分からなかった。学校の先生からは裁判官や警察は私たちを守る人だと教えられてきたのに」

これに立ち上がったのが大勢の市民でした。強引な捜査や死刑判決に抗議するデモが1990年代後半から各地に広がったのです。当時、台湾は半世紀にわたる一党独裁の時代が終わり、えん罪事件が次々と明らかになっていました。司法制度への強い怒りが大きなうねりとなったのです。

蘇建和さん
「司法改革に関する情報を知り、大きな力を感じたおかげで拘束されていた時間を乗り越えられた」
羅士翔 代表
「蘇建和さんの救済を通じて、市民が司法に感じていた不公正がただされた。市民の関心はえん罪の被害者にとって非常に重要なサポートだ」

こうした市民の声を受け、司法当局にも大きな意識の変化があったといいます。2022年まで台湾の検察トップを務めた江恵民さんです。

最高検察署 前検察総長 江恵民さん
「市民団体がえん罪事件について集会を開いて民衆を動かし、立法機関では注目度が高くなり、議員から質問されるようになった。こうした情報は検察にも伝わり、大きな注意を払うようになった。私たちはまず、えん罪が存在することを認める必要がある。それを認めないとしたら司法は恐ろしいものです」

あるべき再審制度とは

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:

台湾のほかにも、海外ではご覧のように証拠開示のルールを設けたり抗告を制限しているところもあります。こうした中で日本はどうするのか。私たちは法務大臣に問いました。

小泉龍司 法相
「直ちに手当てを必要とするような不備があるとは認識していない。証拠の開示については有識者を交えた議論を見守りたい」

ということでした。指宿さん、日本は今後どうしていくべきだと考えていますか。

指宿さん:
先ほどの台湾の検察総長が言われていたように、えん罪というのは必ず起きてしまうものなんです。それを前提にどういう制度を作るかということで各国でいろいろな取り組みがされています。改革も進んでいます。台湾だけではなくて世界中で進んでいるわけです。日本もそれにおくれてはいけないと思います。

桑子:
こうした中で今回、袴田さんのケースはかなり時間がかかってしまった。私たちはどういうことを学びとっていけばいいでしょうか。

指宿さん:
袴田さん、無実の罪ですから救済するということはもちろん大事ですね。それは公判で無罪判決という形で出すべきです。それに続いてどういう点が捜査、起訴、裁判、誤っていたのか。これを究明するのが次に必要だと思います。それを踏まえてどんな対策を立てるか、改革をすべきかを考えていくべきだろうと思います。

桑子:
証拠というのがどういうもののためにあるものなのか、ここで改めてお願いします。

指宿さん:
これは真実を発見するための公共の財産だ。そういうふうに警察も検察も皆さんも考えていただきたいと思います。

桑子:
いかに事件の真実を求めていくか。私たちも見ていかないといけないです。袴田さんの再審は早ければ年度内に審理を終え、その後、数か月で判決が出る見通しです。

今回最後にご覧いただくのは、半世紀にわたって翻弄され続けた袴田さんの苦難を忘れてはいけないと訴える当事者たちの思いです。

取り戻せない歳月 “他人事にしないで”

袴田巌さんの1度目の再審開始決定を出した、元裁判官の村山浩昭さん。今、市民に向けて語り始めています。

再審開始・釈放を認めた元裁判官 村山浩昭さん
「ある日、突然逮捕されて死刑囚になってしまう、袴田さんの場合あったわけですけど、こんなことはそうそう起きませんし、起きてほしくない。だから他人事であってほしいんです。でも、そういう人が今の日本に間違いなくいるんです」

事件当時、30歳だった袴田巌さんは、ことし(2023年)87歳。姉のひで子さんは90歳になりました。

姉 ひで子さん
「これ、すき焼きだよ。おいしいよ」

死刑執行の恐怖にさらされ続けた巌さん。精神を深くむしばまれ、意思の疎通ができない状態が続いています。

姉 ひで子さん
「いまさら巌を元の体に戻せって言ったって無理。そんなやぼなことは言わん。ただ48年(拘置所などに)入っていた、巌が入っていたことを何かに生かさなきゃ」
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