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地域づくり情報局

土佐の森から~未来へのたより

高知県いの町のNPO法人「土佐の森・救援隊」中嶋健造さんたちによる「自伐型林業」での山林・中山間地再生への挑戦。

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2016年06月09日 (木)

普及開始すると林業界からは強烈な逆風(批判等)を受け続けるが、これがその後の展開の基礎となり、チャンスへと発展

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自伐型林業の持つ収益性、環境保全性に気付き、「理想的な林業」ではないかと驚き、平成15年ぐらいからその推進を始めた。展開のターゲットは森林組合や林業業者ではなく、山林所有者や地域住民として、「『林業は儲からない』や『地域住民ではできない』、という認識は間違っている。現状の林業手法が間違っているのだ。自伐型で展開するなら、現状材価でも儲かるし、条件が整い努力すれば年収1千万円も夢ではない。さらに良好な森も手にすることができる優れた林業だ」とアピールしようということで、県行政への情報提供と、インターネット等で一般住民へ情報を拡散するという感じであった。我々は、今後の林業に光明を見いだせるかもしれないとワクワクしていたのであるが、林業界の反応は予想とは全く違い、批判や妨害等を強烈に受けてしまうこととなり、違う意味で驚く状況となった。

具体的に書くと長くなるので省くが、「素人が山に入って来るな、山はプロの森林組合がやるものだ、素人が入って来るようなところではないぜよ!」とフォーラムで罵倒されたり、「なんで君たちがいるのだ、自伐林業などと古臭いことを言っている連中の来るところではない」と林業者の会合で一喝されたり、「中嶋さん、これからの林業は高性能林業機械を導入して大規模に生産する大規模な林業の時代ぞね。個人による自伐とか林内作業車などと、小さなことを言っておったら誰にも相手にされんぞね、ハッハッハ」と林業行政職員に笑われたり、「自分の山で、自分で林業やると言いよりますか。いやいやそれは無理です。バカなことを考えたらいかんぞね、早う森林組合に委託しいや」と林業普及員に忠告されたり、極めつけはフィールドにしている森林を追い出されるということも起こったのである。自伐林業は理想的と感じて始めた普及活動であるが、この既存林業界の反応の違いにも大いに驚かされ、朝ドラではないが「どうしたもんじゃろのう!」という具合。

土佐の森・救援隊は立ち上げたばかりの小さなNPOだったが、立上後数年(平成15~17年)は、こういう厳しい状況が続いたが、しかし、今振り返ってみるとこれがよかったのだと思えるのである。

まず、対処するためや反論するために、かなり日本林業の現状を勉強できたことである。当然文献や現状調査もしたし、批判する背景に何があるのか、仲間と議論を繰り返した。日本林業の概観ではあるが、歴史と政策や木材価格の変遷等、幅広く(全体感から細部まで)捉えることができたのではと思っている。またその対処の中で、表の部分だけではなく、裏にある部分も含め、だいたい想像がつくようになったのである。この現行林業の体質と現状を把握できたことは、大いにその後に役に立ったと感じている。

次に、自伐に対して現行林業界の拒否反応が大きいことからも想像できるが、当時新たな林業手法を普及しようとする団体は存在しておらず、特に自伐林業を普及しようという団体は皆無であったため、逆にやる気や使命感が強くなったのは事実である。「我々が引いてしまっては、この理想的な林業である自伐林業が完全に消滅してしまう」と認識し、「我々が最後の砦だ」と自覚したという感じである。

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林地残材の収集運搬

また、その後もめげることなく展開できたのは、「土佐の森は良いことをしているので、批判されてもめげずに頑張れ」という激励をこっそりくれる林業関係者がいたり、活動内容を外部機関に報告すると表彰されたり、フィールドを追い出されても「こちらに来い」とすぐ誘いをいただく自治体があったりと、逆の反応も多く、「自伐を言うと、良い反応も悪い反応も予想以上に強く湧き起る。これは本質を突いているからではないか」と中心メンバーで盛り上がっていたのを思い出す。その中でも最も力にできたのは、林業界からは批判されながらも土佐の森・救援隊への参加者は増え続け、一般大衆からは支持を受け続けたことにほかならない。

そういう中、平成17年から高知県仁淀川町で木質バイオマスの取り組みが始まり、この事業内での大きな成功を勝ち取り、自伐林家・自伐型林業が一気にクローズアップされることになるのだが、この事業に自伐林家を位置付ける際も行政や専門家から反論・反発が多く、かなり苦労した。当初は批判されるばかりであったが、この頃は勉強も積んだため論争することが多くなっていた。その論争を近くで頻繁に見ていた、地域づくり系の友人が「中嶋さん、県庁との平行線の繰り返しはお互い疲弊するだけぜよ。高知の先達、坂本竜馬はさっさと脱藩したきね~。歴史に学ばんといかんぞね」と忠告してくれた。この意見は、本当に目が覚めたというか今後の展開手法を変えてくれる忠告であった。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は何度も読んできたが、ここではたと気が付いたのは、「武市半平太になってはいけない」ということだ。武市半平太は竜馬と並び、日本を変えようとした土佐の偉人なのだが、方向性は同じだが手法が違った。半平太は土佐藩をまとめて、土佐藩の力で日本を変えようとしたが、最終土佐藩主流と対立し切腹させられることになる。一方竜馬は、さっさと土佐藩を見限り、全国の有志と連携して明治維新を勝ち取る。成功し始めると、意見が合わなかった土佐藩までも納得させ従わせる(逆輸入させる)ことに成功している。で、どのように考えたかというと、県庁の説得はじめ県内展開を進めるのではなく、仁淀川町での成功事例を武器に、呼応してくれるところで展開しようと決めて全国へ(脱藩)の辻説法的な情報提供を始めた次第である。

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C材を収集運搬する軽トラ軍団

この展開は、今から振り返ると、とても成功したと思っている。自伐情報を全国に流布できたし、全国的なネットワークの基礎となり、現在の人脈が築かれたと言える。他県で成功事例を創出でき、全国どこでも展開できることを証明できた。そして感慨深いのは、全国展開始めて8年後の昨年、高知県が県の政策として自伐型林業を位置付けて支援策を始めてくれたのである。あれだけ論争して相容れなかった県が、今は味方(協働者)になりつつあるのである。事の大きさは別にして、まさに竜馬と同じである。竜馬の行動は普遍性のある行動なのだと、改めて感じた次第である。次回は、その後の展開の転換点となった仁淀川事例について述べさせていただきたい。

土佐の森から~未来へのたより

中嶋健造さん(NPO法人 土佐の森・救援隊 理事長)

IT、自然環境コンサルタント会社等を経て、2003年、NPO法人「土佐の森・救援隊」設立に参画。現在、理事長。地域に根ざした環境共生型の林業は、山の所有者が自分で伐採する”自伐”であると確信し、「林業+バイオマス利用+地域通貨」を組み合わせた「土佐の森方式」を確立。森林・林業の再生、中山間地域の再生、地域への人口還流、地方創生、森林環境の保全・再生等のために、自伐型林業の全国普及にまい進している。

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