地域づくり情報局

誰もがその人らしく生きていける世の中へ

貧困問題をはじめ、東日本大震災被災地などで地域づくりへの提言を続ける社会活動家・湯浅誠さんと、この国の将来を考える。

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2016年06月09日 (木)

見えているのは、どんな"顔"?(2)

有識者とか専門家とか呼ばれることに、無力感を抱くことがある。
知らないからではない。対人支援の経験も長く、貧困を生み出す社会のあり方についても人よりは多く読み、考え、動いてきた。本を書くくらいの知識と経験はある。
無力感を抱くのは、そういうことではなく、届くこと、響くことの限界を感じるからだ。
私がそのような立場で話すとき、聞き手の人々は、それを「遠くから」の声として聞く。テレビコメンテーターの発言を聞くような、新聞の解説を読むような……。
反応は多様で、別に鵜呑みにされるわけでもないし、無暗に嫌悪されるわけでもない。賛同・反対いずれにしろ「遠くから」の声と聞かれることに限界を感じるのだ。

その限界は、つまるところ「生きられない」ということに尽きる。
仮に私が「正しい答え」を話したとする。しかしそれがどれだけ正しくても、聞き手がその答えを生きなければ(実践しなければ)、その答えは生かされない。
受け手が生きない答えは、生かされない。
正しいかどうかは重要だ。しかしそれ以上に、届くか届かないかが重要だ。
届かなければ、それがどれだけ完璧な、100点満点の答えであろうと、受け手にとっては無である。

だから住民交流。
住民交流の強みは、ひとことで言って、その「近さ」にある。立場が近く、目線が近い。近ければ、届きやすい。仮に同じ言葉であっても、遠くから言われるよりは、近くから言われるほうが「あ~そうなのか~」と実感しやすい。 

前回のブログで、住民交流が、住民たちが役所に陳情モードとは異なる顔を見せ始めたきっかけになったと書いた
釜石市の住民たちは、住民たちが地域づくりに主体的に関わっている大阪府豊中市や兵庫県神戸市に視察に行った。
そのとき、こんな問いかけをしていたという。
「地域の人たちの困りごとの相談に乗るなんて、役所でもない地域の一住民がやっていいんですか?」
「高齢者の人たちに配るお弁当を作るなんて、大変じゃないですか?」
そして先方の住民たちに、笑いながら、こう答えられた。
「いいのよ~。あたしたちだって大したことはできないけど、だんだんとできるようになるものよ」
「あたしが楽しくてやってるんだよ」

同じ趣旨のことは、私でも言えるし、実際言ってきた。でも、聞き手は額面通りには受け取ってはくれない。「そういうところもあるんだろうけど、ウチじゃ無理だな」と思われる。どこか別の世界(地域)で、別の種類の人たちがやっているんだろう、自分たちとは条件が違う、という思いがぬぐえない。
それが、たいして変わらない地域で、自分たちと変わらない「ふつうの人たち」がやっているのを見ることになる。
その人たちの中で、何かが変わる。
そして、本当に気にしていることを聞く問いが出てくる。それは「先生」には決して聞かない問いだ。
同じ住民たちが生き生きと働く現場を見ること、そこで五感で受け取ったもの、言葉のやりとり…それらが、訪問した住民たちの中で、本当の意味で「やっていいんだ」「やってみようか」という自信をつくる。
釜石の住民たちが、釜石の市役所の人たちに対して別の“顔”を見せ始めたのは、それまで固定化していた関係を乗り越えるほどの内的な変革を、同じ住民たちとの交流がもたらしたからだと解釈できる。
こうした内的な変革は、私のような専門家・有識者ではもたらせない。「さすが先生はうまいこと言う」という感じ。頭で理解され、心まで届かないことが多い。

このような経験は、ごくありふれたものだ。
たとえば大学で教えていても、同じことならば、私が言うよりも学生が言ったほうが、聞き手の学生たちは数倍真剣に聞く。講演でも、参加者からの質問タイムに入ると、寝ていた人が起き出す。医師とは違う効果を求めて、さまざまな症状を抱える人たちがピアカウンセリングを行う。立場の違う人たちから「できる」と言われるのと、同じ苦労をしているはずの同じ立場の人たちから「できる」と言われるのとでは、言われた人への届き方が違う。あたりまえのことだ。

ところが、このあたりまえのことが、なかなかあたりまえには行われていない。
たとえば、被災地支援。


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被災した熊本県益城町の中心部

災害が起これば、多くの専門家、NPO、ボランティア団体が現地入りする。それぞれが、自分たちにしかできないことを行う。そこには大きな意味があるし、物理的にも助かり、精神的にも励まされる被災者は多いだろう。
他方、別の地域で先に災害を経験した住民たちが現地を訪れる機会は、多くない。
理由は、いろいろある。
住民たちは、NPO、ボランティア団体のように組織化されていない。旅費や経費の出どころがない。一口に「住民」と言っても誰が行くべきか選定が難しい。「住民」と言っても自治会役員などが肩書にしたがって行くだけで本当に生のやりとりが行われるのか心配だ。NPO、ボランティア団体の中には、かつて災害を経験した住民たちが立ち上げたり、加盟しているものがたくさんあり、「住民」を分けてくくりだす必要はない…などなど。
すべて正しい。同時に、それでも、あるいはそれに加えて、「ふつうの住民」たちによる交流があってもよい。

 

4月に熊本で震災が起きた。

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熊本大神宮

2ヶ月近くが経ち、先日ようやく仮設住宅への入居が始まった。これから夏にかけて、多くの方たちが避難所から仮設住宅への転居を行うだろう。仮設団地での暮らしは、年単位で続く。新しい地で、新しい隣人たちと、暮らしを成り立たせていくことに不安を感じている被災者は少なくないだろう。
他方、東日本大震災の被災地では、5年に及ぶ仮設住宅での暮らしを経て、公営住宅への転居が進んでいる。
一方で仮設団地に入ろうとする人たちがいて、他方で仮設団地の暮らしを終えようとする人たちがいる。5年の喜怒哀楽を味わった釜石市の住民たちが、熊本の住民たちに伝えられることは多いと思う。熊本の人たちも聞きたいのではないだろうか。ごくふつうの住民たちの、等身大の経験と、そして実感を。

 

開発支援の分野では、こうした交流を「経験交流」と呼ぶ。原語はhorizontalexchangeで、直訳すれば「水平交流」。同じ目線を持つ同じ立場の人たちが、それぞれの経験を交わすことから、このような名称がついたのだろう。
ただちょっとわかりにくいので、今回は「住民交流」と呼んだ。「カウンターパート交流」と言ってもいいかもしれない。
5年間、辛さと喜びを乗り越えてきた釜石市の住民たちが、熊本の住民たちの今の大変さを受け止め、共感し、自らの経験を伝え、励ます。そんな企画が打てたらと思う。

 

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復興に向けた心の支えとして、6月1日からライトアップが再開された熊本城

誰もがその人らしく生きていける世の中へ

湯浅誠さん(社会活動家)

1969年東京都生まれ。2008年末の年越し派遣村村長を経て、2009年から3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など政策決定の現場に携わった。官民協働、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と考え、貧困問題にとどまらず、地域活性化や男女共同参画、人権問題などにも取り組む。現在、法政大学現代福祉学部教授、日本弁護士連合会市民会議委員。

コメント(1)

湯浅さん、はじめまして。

以前から、活動家としての言動に注目してきました。

私は、恥ずかしながら、現在、うつ病とPTSD で、生活保護を受給者であり、心療内科に通院しながら、心身回復と社会復帰に向け、闘病中の身にあります。

こんな私ですが、『両親の離婚による児童養護施設での生活』『児童養護施設内でのイジメ』『ホームレス生活』『自立支援施設での先輩スタッフからのパワハラ』『自殺未遂』などの経験を経て、友人に助けられて、今、何とか、生かされており、同じような立場に置かれている方のことを想うと心が痛み、何も出来ない自分に劣等感と負い目を感じています。

とりわけ、【社会福祉・保障問題】に関心があり、“社会的弱者・生活困窮者”に対する支援・補助体制に疑問を感じていて、《政府の政策と現場の当事者の状況との温度差》を当事者の目線から見て、日本の国政と政治家の活動に大変、危機感を抱いております。

官民一体で、こうした問題に対して、地域ごとで抱える事案に対応していかなければいけないのに、政府は、制度だけ作り、国民に丸投げして、民間団体やNPOなどが、手弁当と寄付金などで寄り添いつつ支えていることが浮き彫りになっており、大変、悲しく、残念に思います。

私も今すぐには、無理ですが将来的には、同じ立場の方々に寄り添っていける何らしかのお手伝いをさせていただきたいと考えてます。

また、今は出来る限り、ネット発信で、警鐘を鳴らし、皆さんの関心と行動に繋がるよう、微力ながら、当事者の声と現状を届けていきたいと考えております。

長くなりましたが、よろしくお願い致します。

投稿日時:2016年06月10日 12時26分 | 穂乃果推し

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