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2016年06月06日 (月)
"田園回帰"がひらく未来④【農学者・小田切徳美さん】
"田園回帰"がひらく未来③はこちらから。
地域づくりに必要なのは“当事者意識”だと小田切さんは言います。自分たちで問題提起し立ち上がって準備しない限り、事態は一歩も前には進まない。とはいえ、いきなり「当事者意識が重要だ」と伝えてもわかりにくい…。新しく外から移住して来た人たちとの“交流”などを通じて、その意識が作られていくのではないかというお話でした。
--そう考えると、地域はまだまだ立ち直る力を秘めているとも思えますね。
小田切氏 そうだと思いますね。その点では、私達より、早くからそれを主張した研究者がいます。早稲田大学の宮口侗廸(としみち)先生です。地理学の先生なのですが、宮口先生は、農山村はより人口が減ったということを前提に、より少ない数の人間がその地域をどのように管理したら、次の世代にも支持されるような暮らしができるかと言うのです。
今から20年前、つまり人口減少問題がここまで意識されていないときにそういうことを言っておられた。このことをわれわれは「低密度居住地域論」とネーミングしているのですが、そもそも考えてみれば、農山村というのは過疎化が始まる前から低密度なわけです。農林業は土地利用型産業ですから、必ず空間的広さが必要なので、当然ながら人口密度がそもそも低い。その人口密度が低い中で、どのように広大な空間を維持するのかということで、集落という組織を作って、その協同の力によって、水路掃除をしたり、道普請をしたり、あるいは共有林の管理をしたりとか、そういう形で維持してきたわけです。そもそも低密度で居住するためにできた仕組みなので、より低密度になった段階で「どういうふうにシステムチェンジをすれば、それが維持できるのか」と考えればいい。
そこで重要なのは「次の世代にこの新しい仕組みが支持されることだ」とも宮口先生はおっしゃっています。次の世代というのは田園回帰の若者たちも含めてですが、そういう若者がそういった仕組みに関わりを積極的に持ちたいと思うような、そんな仕組みを作っていくのが、現在の農山村には求められている。まさに私たちがやらなくちゃいけないのは、そこなのです。
では、より新しい「低密度居住地域」を、どういう仕組みで、どのように作っていったらいいのか。その1つの回答として私が考えているのが「小さな拠点」です。たぶん田園回帰は、今後いろいろな形で起こったとしても、やはり人口は減少していくと思います。より人口が減少して、そういった状況にもかかわらず、どのようにすれば地域を維持することができるのか。「小さな拠点」はそれを意識したものだと思います。
「小さな拠点」とは、診療所や商店などがある中心集落を維持して、周辺の集落とネットワークでつながるというもの。この仕組みを明示的に作っていくのです。その小さな拠点を、より大きな都市機能を持つまちの周辺に敷き詰めることによって、まちにもより中心性を持たせていく。集落単位のネットワークである「小さな拠点」と自治体レベルのネットワークである「定住自立圏」という、二段階に考えていただければいいかもしれません。とりわけ生活交通というものは、その小さな拠点と中心部とをどう結ぶのかという点から、大変重要なことになるわけです。
小田切氏 こうした地域の人びとの当事者を基盤として、こうした新しい仕組みを作ることにより、「農山村は消滅しない」と主張しています。各種のアンケートを見ても、私は農山村には基本的にそういう余力が残っていると思いますし、そこは楽観的なのです。市町村レベルでも、集落レベルでも、まだ基礎体力はあって、そういったものをベースにいかに意識的に組み立てていくのかということですね。現時点では、そこに焦点が移っていっていると思います。
ただ、とは言うものの、時間がないことは間違いないと思います。最も恐いのは、「誇りの空洞化」が究極まで進んだときに何が起こるのかというと、諦め、諦観が地域を支配し始めるのですよ。その諦観に至ってしまうと、率直に言ってもう何をしても、どんな政策や、あるいはどんなことを言っても、地域は動かない。そうした諦めが支配しないようにするのが地域づくりが。諦めが支配する一歩前で、そうではないのだという可能性を、地域の中でしっかりと広げていくことが重要になる。もちろんこれは時間がかかります。そういう意味では時間との勝負。時間はかかるけれども時間との勝負だというのは、まさに間違いないところなのです。
--時間はかかるけれども、時間との勝負…。かかる時間を少しでも短くしていくには?
小田切氏 やはり先ほど申し上げたように、外の人との「交流の鏡効果」によって、しっかり地域の資源などを照らし出すということが必要です。これからは、「地域おこし協力隊」(人口減少や高齢化が著しい地域に、地域での暮らしや地域おこしに興味のある地域外の人材を受け入れる制度。2009年に総務省によって制度化され、各自治体が隊員の募集を行っている)などが、まさにその役割を果たしていくと思っています。地域サポート人というふうに言われるのは、まさにその役割を果たしてくれるからなのですね。
地域サポート人とか、補助人とかという存在の役割というのは、ともすれば地域づくりのコンサルタントのように位置付けられてしまうのですが、私はその必要は全くないと思います。地域おこし協力隊の80%は、20~30代の若者たちです。いささか極端に言ってしまえば、地域おこし・地域づくりについては、多くが専門家ではありません。特別な訓練を経ているわけではないし、そういった経験はしたことがないという方が大多数です。しかし、それでも彼らが農山村に入っていくことには、大いに意味があるのです。
若者の目でその地域の資源を発掘したり、素朴にその地域に対してどう感じ考えているのかを発信したりすることは、実は地域を揺さぶっているのです。それで地域の方々から見れば、「この青年、ここに来て何をがんばろうとしているんだ?」と。当然、空回りすることもありますから、そういう空回りする姿を見て、「何でこんな見ず知らずの若者が、力を込めて何かやろうとしているんだ?」となる。空回りをしても、やっぱり地域の方々はちゃんと見ているのですね。それで、そうした若者の存在自体がひとつの鏡となって、「そうか!うちの地域はこういう若者たちがやって来て、何かやりたいと思うような、そんな価値がある地域なんだ」と気付いていく。若い人が来ることには、実はそういう意味があるのですね。何か彼らが専門的なことをアドバイスして地域を盛り上げるなんて思う必要はない。若者たちも地域の方々も、一緒になって考えていけばいいのです。
それで、しばらくすると、むしろ聡明な若者たちは「自分だけ何もできないんだ」と気が付くのです。それで、むしろ地域から学びつつ、しかし、自分たちができることは外とのネットワークづくりだなんていう意識を持って、いろんな方を呼び込んできたりするという、そういったことのお手伝いをするのです。
繰り返しになりますけれど、むしろ「地域おこし協力隊」をプロのコンサルタントにしてはいけないと思います。少し経緯を振り返ると、11年前の中越地震のときに「地域復興支援員」という仕組みができて、これが「地域おこし協力隊」のひとつのモデルになったのです。そのとき、地域復興支援員という仕組みを提言した地域の皆さんは、非常に興味深いことに、支援員は素人であればあるほどありがたいと。中越地震からの復興に取り組んでいた方々は、最初からそう思っていたのですね。むしろ素人のほうがそういう「鏡効果」を発揮できるし、地域の方々と一緒に考えていくし、妙に癖が付いた専門家はいらないと。
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