地域づくり情報局

誰もがその人らしく生きていける世の中へ

貧困問題をはじめ、東日本大震災被災地などで地域づくりへの提言を続ける社会活動家・湯浅誠さんと、この国の将来を考える。

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2016年04月01日 (金)

見えているのは、どんな顔?(1)

人には、いろんな“顔”がある。
私であれば、家でツレや愛猫に見せている顔と、大学で学生に見せている顔、テレビインタビューに答えているときの顔は、それぞれ違う。
意識して分けているわけではない。
むしろ、自然と分かれてしまうと言ったほうが、実感には近い。
いろんな顔は、私のどこか奥のほうでつながっているのだろうが、表面的には相互に矛盾することもある。「がんばろう」と言ってみたり「がんばらなくていいよ」と言ってみたり。
どんな顔を見せるか、何をどう言うかは、相手との関係によって決められてくる。
“関係”というものに、自分の中の“その顔”が引っ張り出されてくる、というのが一番すっきりくる言い方かもしれない。

NHKの「復興サポーター」として、岩手県釜石市に通ってきた。
 湯浅さん出演回の動画はこちらをクリック「孤立するお年寄りをつくらない街を住民の手で」
そこで感じてきたのは、住民と役所、お互いに相手のどんな“顔”が見えているんだろうか、ということだった。
というのも、一度ならず、市役所の人から聞く住民の顔と、私に見せてくれる住民の顔が異なることがあったからだ。
私に話してくれるとき、住民の方たちは自分たちで地域をつくっていく自治の覚悟を語ってくれる。
しかし役所の方たちは、住民の方たちは自分たちで地域をつくっていく気概に欠ける、と私に話す。役所に「なんとかしてくれ」と言うばかりだ、と。

誤解のないようにしたい。
私は、だから役所は住民を蔑視している、と言いたいわけではない。
実際、私も見たことがある。役所の人と同席したとき、さっきまで自治の気概を語っておられた住民の方が「陳情モード」に切り替わったのを。
もちろん、住民が語る自治の気概などよそ者向けのポーズにすぎない、と言いたいのでもない。
それが真剣で真摯なものであったことは、後に証明される。

何が問題なのか。
それが、冒頭に述べた“関係”なのではないかと思うのだ。
地域における役所と住民の間には、私のようなよそ者には知りえないような、日常的で長い関係の積み重ねがあるだろう。
その関係が、役所と住民が向き合ったとき、お互いに“それ用の顔”を引っ張り出す。
それは、ほとんど無意識の所作だろうと思う。
少なくとも私は、外から家に帰ってきたときに、意識的に顔を切り替えたりしない。「自然と」切り替わるのだ。

意識してやっていることでないだけに、この関係が変わるのは容易ではない。
それには、何か大きな“出来事”が必要だ。

去年から、釜石では新しい動きが始まっている。
住民たちによる、住民のための生活支援サービスだ。
それは、役所の人たちが準備して、国から補助金をとってきたモデル事業の成果だった。
役所が準備したことではあるが、住民の動きは役所の人たちに驚きを与えた。
なぜなら、役所の人たちが見ていた住民の“顔”からは想像できなかったから。
「半信半疑だった」と釜石市の幹部は率直に語っていた。

半信半疑だったが準備を進めた役所と、役所に別の顔を見せ始めた住民の方たち。
それをもたらした“出来事”は、私は住民交流だったのではないかと思う。
役所でもなく、私のようなよそ者でもなく、同じ目線をもつ他地域の住民たちとの交流が、住民の方たちからまた違う“顔”を引っ張り出したのではないか。
そう私は思っている。

その話は、また次回に。

誰もがその人らしく生きていける世の中へ

湯浅誠さん(社会活動家)

1969年東京都生まれ。2008年末の年越し派遣村村長を経て、2009年から3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など政策決定の現場に携わった。官民協働、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と考え、貧困問題にとどまらず、地域活性化や男女共同参画、人権問題などにも取り組む。現在、法政大学現代福祉学部教授、日本弁護士連合会市民会議委員。

コメント(1)

大変興味深い内容でした。
私も地域で住民と行政・医療・福祉の関係づくりを続けています。
今までの関係を新しくするためには、何かきっかけが必要なのだと思っていたので、やはりそうなんだよなあと思いました。ありがとうございました。

投稿日時:2016年04月04日 11時41分 | 藤本晴枝

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