震災当初、第一中学校の校長だった佐々木保伸さん。避難所となった学校の体育館で卒業式を行いました。

(取材・放送の内容を元にしたテキスト)

岩手県陸前高田市にある、第一中学校の校長だった佐々木保伸さん。避難所となった学校の体育館で卒業式を行いました。

陸前高田市は、およそ16メートルの津波に襲われ、市の中心部が破壊されました。

海抜36メートルの高台に建つ第一中学校は無事でしたが、地区の避難所は全て被災。人々は中学校へ押し寄せました。

避難所となった体育館は、1,000人を超える人たちであふれました。学校には食糧の備蓄はなく、水も限られていました。

(佐々木)「この紙コップに3分の2の水が入っています。この水を配布します。今日はこれで何とか我慢してほしい」

避難者たちは、空腹と寒さに耐え、津波の恐怖におののきながら不安な夜を過ごしていました。

佐々木さんは、避難者の不安を少しでも和らげようと、住民の気持ちに配慮しながら避難所運営を支えます。その日の夜。

「若いお母さんが、寒い中、体育館の外で子どもをあやしていたということがありました。『この子は、ミルクで育てていて、母乳が出ないんです』みたいなことを聞いて。

『泣きやまないので、中にいると避難している人にご迷惑をかけるので、外にいてあやしていました』ということがありました」

佐々木さんは、幼い子どもたちと家族の生活環境を改善するために、一番広い教室を提供しました。

「このようにカーペット敷きなので、安心してここで休んでもらったと思います」

さらに中学生の子どもたちにラジオ体操の指導役を担ってもらい、長引く避難所生活のストレス解消にも気を配りました。

一方で、どうしてもやらなければならないことがありました。3年生の卒業式です。

「震災当日、卒業式を間近に控えた練習をしていた。その卒業式がやれないでいた。何とかして、やってあげたいという気持ちがありましたので」

卒業式を行う予定の体育館は、1週間を過ぎても1,000人以上の避難者が生活していました。

「避難者の方々が休んでいるステージの所のひな壇と、生徒が入退場する通路を空けていただいて」

さらに佐々木さんは避難者だけでなく、保護者や在校生にもつらいお願いをしなければなりませんでした。

在校生はもう入れないので、在校生は呼びませんでした。それから、保護者にも正式な案内は出していません。本来ならば、自分の子どもの卒業式を見たかったという思いもあったと思うのですが、やはりそのご理解もあったと。

中学生として最後の3月31日。卒業証書の授与と、式のために練習してきた合唱だけでしたが、思い出に残る卒業式を行うことができました。

「あの時には涙した避難者の方もいたと記憶にあります。避難者の方々のご厚意と、周りの協力やご理解があったからこそできたかなと、今では思います」