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“泥沼”から生まれる歌

ミュージシャン・精神科医 きたやまおさむ
  • 2023年07月26日

「あの素晴しい愛をもう一度」など数々の名曲を手がけた、きたやまおさむさん。
77歳の今も、ミュージシャンとして、精神科医として、大学の学長として、現役で活動を続けています。
歌や患者、学生と向き合う中で、きたやまさんが最も大切にする、心の“泥沼”とは。

森羅万象を歌に

戦後間もない1946年生まれのきたやまさん。ボーカルの加藤和彦さんを中心に結成された「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーとして1967年にデビューしました。京都の医大生だったきたやまさんは、数々のヒット曲を作詞。大ヒットした『帰って来たヨッパライ』など、ラブソングにとらわれない独特の作品も発表してきました。

それまでヒット曲はラブソングがほとんどで、色恋ばかりが歌になっていました。その一方で、当時の私達は、戦争も平和も愛も憎しみも、森羅万象を歌にしようと思って活動していました。だからフォークルは大きなインパクトがあったし、天国に行ったら、つき落とされたりする歌もできたんだと思います。

オモテとウラを抱えて

フォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)のデビュー曲『帰って来たヨッパライ』。
交通事故に遭い天国に行った男が、天国を追い出され、再び現実に生き返るさまを歌っています。

おらは死んじまっただ
おらは死んじまっただ
おらは死んじまっただ 
天国に行っただ
(中略)
毎日酒を
おらは飲みつづけ
神様の事を
おらはわすれただ
(中略)
おらの目がさめた 
畑のど真ん中
おらは生きかえっただ
おらは生きかえっただ

ザ・フォーク・クルセダーズ『帰って来たヨッパライ』より引用

きたやまさんは、歌詞の中に登場する“ヨッパライ”を通じて、人の内面や裏側にあるものを描こうとしていたといいます。

きたやまおさむさん

人はみんな、外に向かって生きている一方で、内側や裏側では、むなしさや醜さ、あるいは汚いものを抱えて生きています。そのオモテとウラのギャップがあまりにも激しくて悩みを抱えてしまう。この二重構造をどう生きるかということは、いつも私たちの最大の関心事になっていると思います。

私たちの中にある“泥沼”

音楽活動と並行し、精神科医として今も臨床や執筆活動を続けているきたやまさん。
私たちがふだん「オモテ」の現実世界を生きる中で、忘れ去り、目を背けているものが、「ウラ」にある醜さだったり、汚い部分だったりするといいます。
きたやまさんは、こうしたウラの部分を“泥沼”ということばで表現し、人間や社会にとってなくてはならないものと位置づけています。

日々の社会では、表面的にはどこにも“泥沼”は見えず、綺麗に包装されています。常に泥沼の上にアスファルトが敷かれているという二重構造があるんです。しかし地震が起きるとアスファルトの下から泥沼が現れてぐしょぐしょになる。これと同じような構造を心も持っていると思います。きれい事の「オモテ」と「ウラ」というものを、ものごとは持っていると思うんです。

「オモテ」と「ウラ」、美しさと醜さ、生と死。きたやまさんは、こうした二重構造の「ウラ」の部分だけに蓋をし、存在しないかのように扱ってきた結果、人々は生きづらさを抱えるようになったと考えています。

心にも、ドロドロした“沼”のようなものが必要で、それは生き生きしてることの原点だと思うんです。でもそれを隠しているのが、化粧して格好つけた人間のありようだと思います。このドロドロしたものを、どこまで言葉にして表現していくのか、ということは昔からの課題だったと思います。

“泥沼”から解決の予兆が・・・

「戦争を知らない子供たち」

こうした人々の心の中にある“泥沼”は、さまざまな創作活動の起点にもなってきたと、きたやまさんはいいます。
きたやまさんが音楽活動を始めた1960年代から70年代、世界ではベトナム戦争が泥沼化し、人々は反戦の思いを歌に込めていました。
歌や文化が戦争の終結に影響を与えたともいわれ、きたやまさんが作詞した『戦争を知らない子供たち』がヒットしたのもこの時代でした。

あの時代にボブ・ディランもいたし、アメリカのいくつかのグループがいました。彼らもフォークルと同じように戦争の歌を歌い、生きるのも死ぬのも歌っていました。彼らの歌は、ものすごく私たちの思いをくんでくれました。

ウクライナ

それから50年以上がたった今、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続いています。きたやまさんは、かつてベトナム戦争の“泥沼”の中から歌や映画が生まれたように、その解決を願う「文化」が生まれてくると考えています。

文化というのはいつも、実際の解決がやってくる前に先行してやってくるものだと思います。解決の前に、漫画で流行るとか、歌が解決の予兆になったとかというふうに始まるんだと思います。誰かがこの“泥沼”をかき回して、文化が生まれるんです。

それは、思いもよらないところからやってきます。もしかすると、君が投げたその石が思わぬ波紋を広げて歌になるかもしれません。いつの時代もそうだと思います。

人生の楽屋を持つ

現在、栃木県小山市にある大学で学長を務め、若者にメッセージを伝え続けるきたやまさん。「オモテ」ばかりが強調される現代社会の中で、“泥沼”に象徴される「ウラ」を受け入れることが、生きづらさを緩和してくれると話します。

舞台(オモテ)に対しての楽屋(ウラ)とか、合間とか、寄り道といった、本当は無駄だと思われやすいような場所、つまり、ウラ側が生きる上ですごく大事なんです。

そういったものに目を向けていくと、例えば近年の「性」についての話のように、キレイに割り切れないものこそが人類の多様性に繋がっていたりもすることが分かります。

ウラや無駄なもの、割り切れないものこそ、人生の潤滑油として必要だと思います。

きたやまさんはこれから先も、“泥沼”への向き合い方を語り続けたいと話します。

今の世の中から失われ、そして人にとって一番大切なものが“泥沼”だと思うんです。

私の価値観は、こうした本当に一見役に立たない、意味がないと思われてるものに、非常に重要な機能があるっていうのを指し示して、生き続けることだと考えています。

これが僕の仕事であり宿命です。
考えてみると20代の『帰って来たヨッパライ』からずっと続いている私の位置だと思います。

  • 宝満智之

    宇都宮放送局 記者

    宝満智之

    2020年入局
    現在は両毛広域支局で地域の取材を担当

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