『越中富山の薬売り』 地震後の苦境 配置薬ならではの悩みとは
- 2024年05月13日
「越中富山の薬売り」として、300年以上の歴史を誇る配置薬。
富山から全国に広がり親しまれてきた伝統が、ことし元日に発生した能登半島地震のあと、配置薬ならではの悩みで苦境に立たされています。
祖父の代から80年、2000軒の得意先
富山市の左近忠久さん(70)と、妻の静香さん(70)です。
代々、配置薬業を営んでいて忠久さんで3代目。およそ80年の歴史があります。
「車のないお年寄りや、病院まで遠かったり、そういう方には喜ばれますね」。
祖父の代から3代に渡って受け継いできた左近さんの得意先は、石川県能登地域の羽咋市・七尾市・志賀町・能登町・輪島市です。
忠久さんもおよそ40年能登に通って信頼関係を築き、現在は2000軒の得意先があります。
長年通った得意先の悲惨な姿
しかし、得意先の多くがことし元日の地震で被害を受けました。
左近さんは、地震直後の1月下旬から能登半島を回り、代々通ってきた得意先の悲惨な状況を目の当たりにしました。
家が壊れていて、全然住んでいらっしゃらないんです。
ショックで、ことばが出なかったですね
お客さんで、水が来てないのでお風呂に2か月入っていないとか、川の水をくんでトイレに入れたりと困った様子でしたよね。
「富山も大変なときに来てくれて」って、言ってくださいました。
得意先の被害に心を痛める中、みずからも、立ちゆかない状況に直面しています。
それが、配置薬ならではの悩みです。
使った分だけ支払う配置薬
配置薬は、まず薬を預けて定期的に訪問し、客は使った分だけ代金を支払います。薬が必要なときに、使った分だけ支払う「先用後利」と呼ばれる仕組みで親しまれてきました。
しかし、今回の地震で家そのものが無くなっていたり、客が県外に2次避難をしていたりするケースが相次いでいます。
預けている薬はすべて、配置薬業者の持ち物。みずからの資産である配置薬がなくなったり、客が避難していてこれまで使った分の請求もできない状況なのです。
置いてある薬も、なくなって、売掛金も回収できない。それに災害の場合は、得意先に請求はしづらいですよね。
得意先を全部回っていないので全体は分からないですけれど、少なくともことしからは赤字になるのは間違いないですね。
能登地域全体の復旧・復興が見通せない状況のなか、
別の地域の顧客を新たに開拓することも、なかなか難しいといいます。
すぐ信頼も信用も取れないですし、時間もかかることですから、ちょっと難しいですよね。
1軒に薬を置いてもらうのに、それだけのエネルギーと資金もいるわけですから。
70歳を超え、損失を取り戻す見通しも立たないことから、引退も考え始めていた左近さん夫婦。
しかし、いまも能登の得意先を回り続けています。長年信頼関係を築いてきたからこそ、寄り添っていきたいと強く思っています。
少ない数でも大切に、お客さんとつながっていきたいですね
親子3代80年以上、家の生活を支えてくれたのは能登の得意先の方ですから。
これから2人で頑張って、能登の得意先に恩返しをしていくのがいいのかなと思っているところです。
こうした状況に悩んでいるのは、左近さんだけではありません。
能登半島を得意先に持つほかの配置薬業者も、先行きが見通せないといいます。
支援を受けるのも・・配置薬ならではの悩み
配置薬業者や製薬メーカーなどが加盟する富山県薬業連合会はこうした状況をふまえ配置薬業者への聞き取りなどを行っています。その中で配置薬業者からは・・
国や県のなりわい再建が、設備の損傷などに対して支払われるものが多く、「預けたものが失われた」という配置薬の仕組みでは、支援の対象になっていないケースがある
といった声もありました。富山県薬業連合会では、今後、国や県に対しての要望もふくめ、
どのような支援ができるか検討していきたいとしています。
配置薬の役割が大きい地域は、今後の生活再建にも課題。
ドラッグストアの出店などで医薬品の購入がしやすくなっていて、配置薬業の担い手は年々減少しています。ただ、交通が不便な地域に住む、車の運転ができないお年寄りなどにとってみるとその役割は今でも大きいと思います。左近さんたちの訪問はある意味で能登半島の得意先の健康を守る役割を担っていただけに、今回の地震でこうした役割が途絶えてしまうと地域の再建にも大きく関わってくる問題だと感じました。(取材・柴田拡正)