NHKスペシャル

にっぽん 家族の肖像 第5集 アキおばあから尚子へ
~石垣島・開拓の村で~

沖縄戦、そしてその後の米軍の土地接収によって、石垣島に追いやられた人々。
「ゆいまーる(共に生きる)」を合い言葉に生きてきた家族と村の物語。
 読谷村などの激戦地の村々には終戦はなかった。村は荒廃し、米軍基地建設のために行き場を失った人たちは、半強制的に石垣島のジャングルの中へと移住させられていった。
移住地のひとつ明石村には63世帯が移り住んだ。過酷な開拓作業の日々の中で蔓延するマラリア、そして度重なる激しい台風によって、多くの命が失われた。現在、残っているのは27世帯だけだ。

 「開拓の母」として慕われる井上アキさん(84)。夫は先遣隊として石垣島に乗り込み、マラリアで死亡。その遺志を受け継いだアキさんは、4人の子どもを連れ、石垣島に移り住み、家族と村の再生に全精力を注いだ。「ゆいまーる」が口癖の母親を見ながら育った当時中学1年生の長男の富夫さん(62)は、自らの人生を捨て、3人の弟と妹のためにサトウキビ畑に出た。
 それから50年。生活は今も楽ではない。過疎も深刻だ。アキさんと富夫さんは20人の孫とひ孫が開拓の村の新たな担い手となってくれることを願っている。来年1月のアキさんの85歳の誕生日(トゥシビー)には、本土からも一族全員が集まり、ゆいまーるの宴が計画されている。
 本土の捨て石となってきた沖縄。その中で、地道に、誠実に生きてきた家族の半世紀をつづる。