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世田谷区「青鳥特別支援学校ベースボール部」熱血監督と目指す甲子園

  • 2023年7月11日

全国の高校球児たちが夢に見る甲子園。ことし、その夏の全国高校野球西東京大会に東京都では初めて、特別支援学校の生徒が出場しました。
出場したのは、世田谷区の「青鳥特別支援学校ベースボール部」。軽度の知的障害がある部員7人で、他の高校の野球部と連合チームを組み、試合に臨みました。

チームを導く監督は、約30年にわたり、支援学校の教員として障害のある生徒へ野球を教えてきた熱血監督。その指導の原点は、「先生、キャッチボール教えて」と話す生徒の真剣なまなざしにありました。
(首都圏局/記者 瀧川修平・直井良介、ディレクター 田中かな)

楽しみながら全力で挑んだ夏

7月10日、青鳥(せいちょう)特別支援学校ベースボール部の部員たちの姿は、東京・八王子市にある球場にありました。

世田谷区内の普通科2校との連合チームで臨む初戦。青鳥からは2年生の首藤理仁選手がスターティングメンバーに、白子悠樹選手が走塁のコーチ、山口大河選手が代打として出場しました。

試合は1回表、連合チームが先制点を奪います。

2回裏に10点を返され逆転されますが、次の攻撃で10点を奪い返すなど、点を取っては取り返す、シーソーゲーム。

19対23で惜しくも敗れましたが、青鳥の首藤選手は6点目のホームを踏むことができました。

首藤理仁くん

バッティングとか守備が楽しかったです。

白子悠樹くん

チーム一丸となってプレーができました。来年はもっと勝てるように頑張ります。

青鳥特別支援学校ベースボール部 久保田浩司監督
「皆さんのおかげで、こういうすばらしい舞台を踏ませていただけたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。青鳥のみならず、全国の特別支援学校の生徒たちは、野球をやりたくてもできない子たちがたくさんいます。きょうの試合が、そういう子たちが高校野球の舞台を踏めるようになるきっかけになればいいかなと改めて感じています」

前例なき野球部の誕生 そして大会出場

今回、熱戦の舞台に初めて立った青鳥特別支援学校ベースボール部。
部が誕生するまでの道のりは、簡単なものではありませんでした。

チームを率いる久保田浩司監督が、教員として青鳥特別支援学校に赴任したのは、2021年のこと。赴任当初、学校には野球部はありませんでした。
それまで支援学校でソフトボールの指導の経験があった久保田監督は、勢いで硬式野球を生徒たちに教え始めます。

周りからは「硬球は危ない」「特別支援学校での前例がない」という声があがり、活動は一時中断。そこで、久保田監督は今までの指導経験を元に、安全対策のための資料を何枚も作り、練習計画も毎月提出するなど、校長に何度もかけあい、練習できる環境を作りました。

硬式野球の練習はできるようになりましたが、東京都高校野球連盟へ加盟しなければ大会への参加ができません。東京では特別支援学校が加盟したという前例がなく、高野連との話し合いは約半年間にも及びました。
生徒たちの練習の様子を何度も見てもらうなど、地道な交渉を続け、2023年5月にようやく加盟することができたのです。

久保田監督
「ベルリンの壁が崩壊するような、大きな壁がきれいさっぱり取れて道が開けた。甲子園はなかなか遠いですけど、そういう甲子園につながる大会に東京都の支援学校で初めて参加できるので、もううれしくてうれしくて」

“先生、キャッチボール教えて”  熱血監督の指導の原点

「ほらアウトだ。今アウト。ボール見てないから!」

久保田監督は、時には厳しく指導し、時には大げさなくらいに褒めて、生徒たちの持つ力を伸ばします。

自らも高校球児だった久保田監督。高校時代の野球部の先生のように、自分も野球を通して生徒に大切なことを教えたいと思い、教員になりました。しかし、教員になり最初に勤めることになったのは、希望していなかった養護学校(現・特別支援学校)でした。
障害者と接した経験がなかったことから大きな不安を感じ、さらに野球部の指導ができないことに落ち込んだといいます。

転機が訪れたのは、養護学校に勤めて3年目の時。久保田監督はあるダウン症の生徒と出会います。遊びの延長線のような野球クラブの顧問として、いつも通り活動を見守っていると、その生徒が近づいてきて真剣な表情でこう言いました。

「先生、キャッチボール教えて」

ふだんは明るく陽気な生徒でしたが、その時のまなざしは見たことがないくらいに真剣でした。生徒の気持ちに応えなければと夢中になって教えたところ、全くボールが投げられなかったところから、1時間半程で20~30メートルくらいの距離を上手に投げられるようになったのです。

久保田監督
「思わずナイスボール!って大きな声で褒めたら、その子も全身で“やった!やった!”と喜んでいて。そのとき、知的障害がある子でもちゃんと教えれば、できなかったキャッチボールもできるようになるんだと気づき、そう気づくまでに時間がかかったことに反省もしました。とにかくその瞬間、今まで持っていた養護学校とか、知的障害者へのイメージがガラッと変わったんです」

“特別支援学校で硬式野球を” 願い続けた先に…

この経験がきっかけで、久保田監督は、特別支援学校のなかで大会があったソフトボールの指導を始めます。そして、何年も連続して優勝するチームを作り上げ、17年目には健常者の社会人チームにも勝利できるようになったといいます。

「障害のある子が“硬式野球”をやっても、普通の高校生と渡り合えるのでは…」
そう考えはじめたころ、ちょうど軽度の知的障害のある生徒が通う高校で教員の公募が行われました。硬式野球の指導ができるチャンスだと公募に応募し、面接で野球指導への熱い思いを語った久保田監督。

しかし…。

久保田監督
「『知的障害の子には硬式野球は危険、ルールも難しい、グラウンドも狭いから無理だ』と、けんもほろろに断られてしまいました」

思いはかなわず、諦めかけたこともありましたが、社会人野球の指導者を経験するなどして野球指導への思いを持ち続けていた久保田監督。2021年、硬式野球をやりたくてもできないという全国の知的障害のある子どもたちのために、練習会などを開催する「甲子園夢プロジェクト」を立ち上げました。

久保田監督
「全国の特別支援学校に、野球のやりたい子がこんなにいるんだとすごくびっくりしたと同時に、やっぱり特別支援学校に行くと野球ができないんだと。野球ができる機会がないのであれば、1人の野球人として、子どもたちに何としてもチャンスを与えなければと」

久保田監督は全国の生徒たちに出会ったことで、自分の学校でも硬式野球をできる環境を作っていかなければならないと、再び動き出す決意を固めます。

そして、この子どもたちとの出会いから1か月後、青鳥特別支援学校に赴任することになるのです。

“スモールステップ” ひとつひとつを大切に

赴任後、久保田監督が作った、青鳥特別支援学校で初めての硬式野球部。「青鳥ベースボール部」での指導が始まりましたが、知的障害のある生徒たちにとって、複雑な野球のルールを覚えることは簡単ではありません。

そんな生徒たちへの久保田監督流の指導方法は、 “スモールステップ”。ひとつひとつうまくなって、野球を好きになってもらいたいという思いで指導します。

ある日の走塁の練習では…

久保田監督

今のはなんで塁に戻ったの?どうして?

部員

ライナーだったからです。

 

そう!やればできるじゃないか。

ポイントは、生徒たちに簡単に答えは出さず、考えさせること。
考えることでひとつずつのプレーへの理解を深め、自信をつけてもらいたいのだといいます。ほかにも口頭で伝えた内容の理解が難しければ、身振り手振りで丁寧に教えます。

“大好きな野球ができる” 青鳥部員の情熱

そんな久保田監督の指導に対し、生徒たちも一生懸命にこたえ野球に取り組んでいます。

軽度の知的障害と、身体の障害がある2年生の白子悠樹くんです。
幼いころから野球が大好きで、家族とプロ野球の試合を見に行ったり、バッティングセンターに行ったりしてきました。部屋は大好きなプロ野球チーム「東京ヤクルトスワローズ」のグッズと、大好きな村上選手のグッズであふれています。

しかし、野球への熱い思いがありながら、中学時代は野球部には入ることができず、百人一首部に入っていました。

白子悠樹くん
「障害があるので危ないっていうのがあってできなかった。ずっとやりたいと思ってました」

青鳥では野球ができると知り、いてもたってもいられず、ベースボール部が本格稼働する前に自分のお小遣いでグローブを買いました。

白子くん
「野球部ができる前から、お年玉を貯めたお金で買っちゃいました。お金は一気になくなりましたが、やっぱりうれしかったです。野球やるんだなって」

このグローブは、久保田監督にとっても思い出深いグローブです。

久保田監督
「夏休みに白子が見たことないグローブを持って座ってたんです。声をかけられるのを待っているみたいに。それで『そのグローブどうしたの』って聞いたら、うれしそうに『買いました』って言うんですよ。その姿見たら、もっとちゃんと硬式野球を教えなきゃって心に火がつきましたね」

白子くん
「久保田監督には、野球をさせてもらえて感謝しかないです。プレーで見せるとしたら、ヒットを打つことですかね。いいプレーを見せて喜ばせたいです」

もう1人、野球を始めてから大きく変わった生徒がいます。 

キャプテンで3年生の山口大河くん。野球を始める前は、何をしてもすぐに諦めてしまう性格だったといいます。

山口大河くん
「昔は無理だと思ったらすぐ諦めたり、本当に根性なしでした。今は野球がすごく楽しいし、キャプテンをやることで根性がついて、成長できました。監督には自分の成長したプレーを見せたいです」

久保田監督
「以前は、いつも否定的で、自分に自信がなかった様子でした。野球を通して、ひとつひとつ階段を上るようにできることが増えていって、着実に自信をつけて成長していきました」

今では、プレーでも部員をひっぱることのできる、頼もしい存在です。

いつかは特別支援学校の部員だけで

今回の夏の全国高校野球西東京大会。部員は7人のため連合チームで出場しましたが、久保田監督は、いつかは特別支援学校の部員だけで大会に臨みたいと考えています。

久保田監督
「いずれは特別支援だろうがなんだろうが普通に高校野球の大会に出て、野球の実力で評価される子がどんどん出てほしいというのが私の大きな夢、希望です。まだまだ始まったばかりですが、普通にユニフォームを着てプレーをできるような高校野球界になっていってもらえたらすごくいいかなと思います」

夢の甲子園を目指し、大会初戦に臨んだ7人の部員たち。そして久保田監督。
取材中、厳しくも愛のある指導をする監督の姿が印象的でした。部員たちも野球を心から楽しんでいる様子で、私たちに改めてスポーツのだいご味を思い出させてくれました。

一方で、まだまだ特別支援学校では、安全性を重視するために、種目の制限がある場合が多くあります。青鳥特別支援学校の取り組みを通して、どんな人でもスポーツを楽しむことができる環境づくりを考えなければと感じました。

  • 瀧川修平

    首都圏局 記者

    瀧川修平

    2023年入局

  • 直井良介

    首都圏局 記者

    直井良介

    2010年入局。山形局・水戸局などをへて首都圏局。災害などを担当。

  • 田中かな

    首都圏局 ディレクター

    田中かな

    2018年入局。秋田局を経て2021年から首都圏局。 秋田局在籍中から自殺や障害者に関するテーマについて取材。

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