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能登半島地震 NHK静岡局カメラマンが被災地で感じたこと

輪島市・珠洲市での取材を通じて
  • 2024年02月15日

元日に発生した能登半島地震。NHKでは全国各地から応援の取材者が交代で被災地に入り、被災地の今を伝え続けています。発生直後と先月末~今月始めの2度、石川県の被災地で取材を行った静岡放送局カメラマンからの報告です。

地震発生直後、能登半島へと向かう

私(静岡放送局カメラマン・岡嶋彩加)は元日、勤務をしていて静岡放送局にいました。職場は正月の穏やかな空気が流れていましたが、夕方に突然、緊急地震速報が鳴り響きました。モニターに表示されたのは「石川県で震度7」。大津波警報も出て、「これは大きな被害が出るかもしれない」と感じた私やその場にいた同僚たちは急いで準備をして、静岡放送局を出発し車で石川県に向かいました。

深夜に金沢市に到着し、翌朝、一番被害が大きいと言われていた輪島市を目指しました。向かう途中では道路の隆起や陥没がいたるところで見られたり、土砂や崩れた家で塞がれて通れない場所も多くありました。通ることはできそうでも穴が開いていたり、段差ができている場所もたくさんあり、そのたびに車から降りて道路状況をひとつひとつ慎重に確認しながら進まざるを得ませんでした。

いたるところで道路が割れている

金沢を出発して4時間半。結局、土砂崩れによって途中の道路が寸断されていたため、私たちは輪島市の中心部にたどり着くことはできず、行けたのは輪島市の西部に位置する門前町まででした。道路が寸断されていた場所の近くの公民館が避難所となっていて、そこで取材を行いました。避難してきた人たちは建物の倒壊を恐れて公民館の中には入らず、周辺のビニールハウスや車の中で暖を取っていました。この地区に正月休みで帰省していた人が亡くなったという情報もあり、「元日でなければ・・・」と話す住民の声を聞き胸が痛くなりました。

1か月後 再び能登半島へ 

それからおよそ1か月がたち、私はふたたび被災地取材に向かいました。2度目の主な取材場所は、最大震度6強を観測し、102人が犠牲になった珠洲市です。

金沢からの幹線道路は、地震発生直後よりはかなり修復されていました。しかし、珠洲市の中心部では倒壊した家屋や、崩れた建物が道路になだれ込んだままの場所も多くありました。

珠洲市の中心部、飯田町の様子

珠洲市内は今でもほぼ全域で断水が続いていて、被災者にとって不便な生活が続いています。私が訪れた時期は雪が降ることもある厳しい寒さでした。

雪が降ると、気温は昼間でも氷点下近くに

珠洲市では、地震で親類が犠牲になった男性の取材もしました。カメラマンとしてその男性の撮影をしていて、かたい表情でゆっくりと言葉をしぼり出すようにお話する姿が印象に残っています。この男性は漁師の仕事をしていて、今はまだ再開のめどは立っていませんが、漁が再開すれば町の活気も変わると思うので残った人たちでがんばるしかない。それまではこの生活を我慢するしかないと話していました。

珠洲市で活動する浜松市職員

珠洲市野々江町にある健民体育館で、被災地支援の業務に当たる浜松市の職員と出会いました。彼らは浜松市役所内の公募などで集まり、自宅で暮らす人や公共施設などに配布する支援物資を管理していました。

浜松市職員と山梨県職員が共同で作業する

レトルト食品や飲料、おむつなどの衛生用品、赤ちゃん用のミルクやおむつ、衣服など、生活に必要な物資を必要に応じて仕分けていきます。

食料や衣服、衛生用品が届けられている
浜松市職員の柴田圭亮さん

物資の管理を担当する柴田圭亮さんです。
普段は災害とは直接関連しない障害福祉サービスの事業所に関わる業務をしています。
今回の地震を受け、自分が現地での活動に参加することで少しでも被災地の力になれればと、みずから手を挙げ参加しました。

(柴田圭亮さん)
「実際に現地に来てみて、映像で見ていた以上に被害が大きいことを実感しました。また、十分な水が確保できるか否か、避難所で生活しているか自分の家で生活しているかなど、人によって状況が様々だと感じました」

柴田さんによると、現場で必要とされているものは時期や現場の状況によって日々変化しているそうです。取材した1月末時点では、寒さが厳しいため毛布や防寒具が求められていました。

毛布や防寒具の需要が高いという(1月末時点)

(柴田圭亮さん)
「発災直後は食料が一番必要とされていましたが、最近は寒さをしのげる毛布や防寒具、アウターなどの需要が高まっています。現場でのニーズは常に変わっているので、物品の支援よりも募金のほうが、現場での需要に臨機応変に対応して物資を購入できるので良いのではないかと思います」

柴田さんは、珠洲市での活動が浜松市での防災について考えるきっかけになったといいます。

(柴田圭亮さん)
「珠洲市よりも(人口規模が)大きい浜松市で災害が起こったら、より大きな被害がでることが予想されます。今後、どうやっていち早く物資を住民に行き渡らせていくべきかを考えていきたいです」

物資を運び出す柴田さん

体育館の駐車場では、浜松市職員などが仕分けた支援物資の提供が行われていました。
初日(1月29日)には約160人、翌日30日には約330人と、多くの市民が受け取りに訪れていました。

支援物資の配布を行う様子

被災者に提供する支援物資の管理を行う宮本陽介さん。普段は浜松市で職員の育成を担当しています。
日ごろから職員向けに防災研修などを行っていて、災害発生時にいち早く市民の命を守るための行動をとろうと強く意識していたと言います。

浜松市職員の宮本陽介さん

(宮本陽介さん)
「小さい頃から静岡は『地震大国』と言われ続けており、地震に対する意識を持っていました。そのため今回の地震についても、自分ごととして捉えて行動しようと思い参加しました」

支援物資配布の準備をする宮本さん(左端・青い服の男性)

珠洲市の職員と話す機会も多いという宮本さん。珠洲市の人たちの苦しみが日に日に増していると感じたといいます。

(宮本陽介さん)
「今でも水道が使えない状態が続いています。また、自宅に住めなくなり避難所から通っている珠洲市職員もいます。去年5月にも(能登半島で)大きな地震がありましたが、今回の地震でさらに追い打ちをかけられて精神的にも追い詰められていると感じました。継続的な支援をして、いち早く被災者の生活を安定させることが重要だと再確認しました」

静岡県や県内の各自治体からの災害支援派遣は現在も続いています。

2度の被災地取材を通じて感じたこと

地震発生直後とその1か月後、2度被災地を訪れる中で、大切なご家族を失った遺族のお話を聞く機会がありました。「自分の目の前で家族が亡くなってしまった」「家具をしっかり固定しておけば助かったかもしれない」など、家族の命を守れなかった悲しみや後悔をカメラの前で話してくださいました。いつどこで起きるか分からない地震の恐ろしさを改めて突きつけられました。
静岡県でも近い将来、確実に「南海トラフ巨大地震」が発生すると言われています。今、能登半島の被災地で起きていることは静岡でも起こりうると感じました。日頃から災害に遭うことを想定し、自分の命、そして大切な人の命を守るために家族や周りの人たちとどのような行動を取らなければならないのか考えること、そして今一度身の回りの備えを見直すことが必要だと感じました。

  • 岡嶋彩加

    静岡放送局 カメラマン

    岡嶋彩加

    2021年入局。2023年8月に松山局から静岡に来ました。報道カメラマンとして県内各地のニュースやスポーツを撮影しています。

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