お正月に飾る『玉紙』 宮城県だけ?発祥は?

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

20221208_toukou.jpg
玉紙はお正月に神棚や仏壇にお供えする餅の下に敷く紙ですが、これって宮城だけなんでしょうか?そもそもどんな由来があるんでしょう?
さっそく調査してきました!


玉紙は宮城だけ?

年末が近づくこの時期、スーパーなどで目にする玉紙。

20221208_mihon.jpg
エビやタイ、松などが描かれた縁起のいい玉紙は、お供え餅の下に敷く方が多いですよね。
玉紙は宮城だけなのか、仙台市歴史民俗資料館の学芸員・渡邉 直登さんにお話を伺いました。

20221208_watanabe.jpg

渡邉さん
「玉紙は全国ではあまり見られない、江戸時代に旧仙台藩領だった地域で見られる独特な正月の飾り物です。」

旧仙台藩領。つまり宮城県全域、岩手県の一部、福島県の一部で見られる文化なんだそうです。


いつから使われるようになったの?

江戸時代以前は、このような真っ白な半紙などを敷いていたそうです。

20221208_hanshi.jpg
今と比べると、ずいぶんシンプルですね。

20221208_meizi.jpg
明治時代になると、絵師や職人が玉紙を描くようになり鮮やかなデザインに。現在では複製されて多くの家庭で用いられるようになったんです。


今も手書きで制作している人が!

調査を続けていると、今も玉紙を手書きで制作している人がいるということが分かりました。
気仙沼に住む、82歳の佐々木 和男さんです。
1日に100枚描いているそうです。

20221208_sasakisann.jpg
佐々木さんが玉紙を描き始めたのは30年前。
1日250枚も描いて、独学で技術を磨きました。

描き始めて10年目、長年の努力がやっと認められました。

20221208_juunenn.jpg

佐々木さん
「10年目の8月に、あるスーパーで『全部うちで引き取る』と太鼓判を押された。10年かかったんです。」


制作風景を見せていただきました!

どのように玉紙を制作しているのか、その熟練の技を見せていただけるということに。

まず最初に描くのは、長寿の意味がある「エビ」

20221208_ebi.jpg
次に、願いが叶う不思議な玉と言われる「宝珠(ほうじゅ)の玉」

20221208_houju.jpg
そして寿の文字と、松を二本書き込んで…

20221208_kotobuki.jpg20221208_matsu.jpg
完成です。

20221208_kannsei.jpg
繊細な筆遣いですが、完成した玉紙には迫力があります。


忘れられないエピソードも…

これまで数十万枚もの玉紙を描いてきた佐々木さん。
心に残るエピソードがあるといいます。

東日本大震災から4か月後のこと。佐々木さんに、気仙沼で被災した男性からある連絡が入りました。
狭いアパートで避難生活を送る中で、1枚でもいいから玉紙を飾りたいという依頼でした。
佐々木さんはその声に応えようと、心を込めて描いたといいます。

20221208_episodo.jpg

佐々木さん
「アパート生活、もう家建てられないからこれをお願いしますという電話があった。
ほしの玉(玉紙)を欲しがってるんだと思ったら何としても真心を持って描いた。
描きながら『みなさんの願い、かなえてけろよ』って口で言いながら描いてるの。体力の続く限りはどんなことがあっても描き続けます。」

佐々木さんが1枚1枚思いを込めて描いている玉紙は、毎年9千枚から1万枚も売れるそうです。


安藤のひとこと。

20221208_matome.jpg

安藤さん
「最初真っ白だったという玉紙なんですが、時代とともに縁起のいいものが描かれるようになっていって色んな願いが込められてきました。
宮城県を中心とした独特の地域文化ですから、大切にその地域で願いを受け継いでいきたいなと思いました。」

 



みやぎアップデートでは皆さんから「気になる・知りたい」を募集しています。
投稿は、NHK仙台放送局1階の投稿ボックスかこちらの投稿フォーム、
またはツイッターで #みやぎUPDATEをつけてお送りください。