なぜ??登米市に「隠れキリシタン里」

「隠れキリシタン」。
江戸時代、禁教令が出た後も、激しい弾圧に耐えてひそかに信仰を続けていたキリスト教の信者で、長崎県と熊本県では関連の史跡などが世界文化遺産に登録されています。
実は、県内にも「隠れキリシタンの里」と呼ばれる場所が、登米市の北部にあります。
どんな場所なのか地域の知られざる歴史を取材しました。

(仙台放送局・岩田宗太郎)


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「隠れキリシタンの里」は登米市北部の米川地域の山あいにありました。5分程度、山を登った先にあったのは土が盛られた塚と石の十字架。約300年前の江戸時代中期、禁教令を破って処刑されたキリシタンがこの場所で埋葬されたと伝わっています。

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畠山敏博さん
「この地域で処刑されたキリシタンは120人にのぼります。近くの家に残されていた古文書などからその歴史が判明しました」

地域の歴史ガイドの組織、「米川ガイドの会」の畠山敏博さんは、この塚の近くに処刑場があったと教えてくれました。

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それにしてもなぜ、登米市のこの場所にそれほど多くの隠れキリシタンが暮らしていたのか。登米市に合併する前の旧東和町がその歴史を紹介した映像を制作していました。

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戦国時代、この地域では当時最先端だった、ヨーロッパの技術を活用した製鉄が行われていたそうです。その技術を広めたのが現在の岡山県から招かれた兄弟でしたが、この兄弟がキリシタンだったといわれています。製鉄所の発展とともにキリスト教もこの地域に広がります。

江戸時代に入るとキリスト教が禁止されますが、その後もひそかに信仰を続ける信者たちがいました。

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地域の教会には、当時の様子を伝える資料が残っています。その1つが「位はい箱」です。

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箱の上の部分を取り外すと、裏側に墨で書かれたとみられる十字がありました。信仰していることを知られないようにしていた、当時の苦労をうかがい知ることができます。

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この「隠れキリシタンの里」には最近は、キリスト教の信者が多い韓国からの旅行者も多く訪れています。

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こちらは訪れた韓国の旅行者が書き残したノートです。宗教に関わる内容が記されていました。

隠れキリシタンの関する史跡は登米市の米川地域に隣接する岩手県一関市などにもあります。畠山さんは悲惨な出来事を含めて“地域の歴史”を知って欲しいと考えています。

畠山敏博さん
「今は何もない山の中ですがこの地域でどんなことがあったのか地元の人も知るべきだし、多くの人に知らせたいと思っています」

この地域で、隠れキリシタンが処刑され、埋葬されていたことが明らかになったのは、今から40年ほど前のことだそうです。それまでは秘密にされていたこの負の歴史について、多くの人に現地を訪れて知ってもらいたいと取材を通して感じました。

※「地域に注目!」県北地域のページはこちら


230908_kakure_iwata.jpg仙台放送局記者 岩田宗太郎
2011年入局
宇都宮放送局、報道局 科学・文化部を経て
2022年8月から仙台放送局

仙台では、ホヤをさばいては味わう日々を過ごしています