歴史好き必見!家康が40日間滞在した岩出山の寺とは?

ことしの大河ドラマ『どうする家康』。家康ゆかりの場所が各地で盛り上がりを見せるなか、大崎市に家康が40日間も滞在した寺がありました。なぜ家康が大崎に滞在したのか、その理由に迫ります。


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室町時代に開山した大崎市岩出山の「実相寺」です。1591(天正19)年の夏頃、この寺に家康が約40日間、滞在していました。

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約30年にわたって寺の調査をしている大崎市教育委員会の文化財調査員、菊地優子さんにその理由を教えてもらいました。

「1591年、豊臣秀吉が全国統一という大事業を成し遂げたあと、大崎地方など東北では一揆が頻発していましたが、その平定のために秀吉の家臣の1人として派遣されました」

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当時、全国統一を成し遂げた秀吉の家臣の1人だった家康。その秀吉が強引に大名の配置替えを行った東北では不満やあつれきが生じ、各地で一揆が起きていました。これを鎮圧するため、秀吉は石田三成や浅野長政など多くの家臣を東北に派遣し、この中で家康が大崎地域などを担当し、実相寺を拠点としたのです。

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滞在中に家康が使ったとされる2つの茶碗が寺の宝として残っていました。菊地さんによると、茶碗は中国製で、寺にもともとあったものなのか、家康が来るために用意されたものなのか、詳しいことは分からないそうです。

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江戸時代に書かれた寺の古文書には「家康(=権現様)が岩出山に来た」という知らせを聞いて、近隣の住民が逃げ出したという記録も残っていました。一揆で土地が荒れるなか、有名な家康の大軍が来ると聞いて、どうなるかわからない不安から逃げてしまったのではないかということです。

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これに対し、家康は安心してもとの家に戻り、これまで通り農作業や商売を行うようにとお触れを出して呼びかけました。家康はその後、田畑の調査や刀狩りなどを行い、荒れていた地域は次第に落ち着きを取り戻したということです。

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大崎市には「岩出山城」があった場所がいまでも残っています。家康は寺に滞在中、一揆で被害を受けた岩出山城の改修作業も行い、その後、伊達政宗に引き渡したといわれています。政宗はその後、仙台に移るまでの12年間、岩出山城を居城としました。菊地さんは、家康の約40日間の事業により、近世の岩出山の基礎が築かれたと評価しています。

大崎市教育委員会文化財課 文化財調査員 菊地優子さん
「岩出山の城と町は一番最初は家康が手をかけたということで、岩出山の近世は家康によって始まったと考えています」

菊地さんによりますと、家康がこれだけの期間、滞在した場所は、東北地方ではほかにないということです。岩出山というと政宗のイメージでしたが、取材を通じて家康が深く関わっていたことを知り、その意外性に驚きました。ちなみに茶碗や古文書は、テレビ初公開だそうです。大崎市では今後、岩出山と家康のゆかりに関する企画展を予定しているそうです。みなさんもぜひ、家康ゆかりの大崎を訪れてみてはいかがでしょうか?

【取材:宮崎竜之輔記者】

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