仙台 八木山 走り続けて54年 東北最古のジェットコースターが運んでくれたもの

 

「♪やんやんやや~ やぎやまの~」のテーマソングで東北人にとってはおなじみ。
昭和43年に開園した仙台市・八木山の遊園地。
その開園当時から走り続けたジェットコースターが11月、老朽化のため54年にわたる営業を終了しました。

遊園地には、最後にもう一度乗っておきたいと多くの人が詰めかけました。
世代を超えて駆け抜けたジェットコースターが残していったのは、それぞれの大切な「思い出」でした。

 

半世紀 歴史に幕を下ろしたジェットコースター

11月14日、平日にもかかわらずジェットコースターの乗り場には多くの人が詰めかけていました。この日、仙台市の遊園地「八木山ベニーランド」でおよそ半世紀走り続けたジェットコースターが、その長い歴史に幕を下ろしたのです。

jetcoaster221202_1.jpg

八木山ベニーランドでこのジェットコースターがデビューしたのは、遊園地ができた昭和43年。東北で初めてお目見えしたジェットコースターでした。
身長制限がなく3歳から乗車でき、家族みんなで乗れる大人気の乗り物になりました。

jetcoaster221202_2.jpg

jetcoaster221202_3.jpg

それから54年。車体を交換したり、何度もレールの修理を重ねたりしてきましたが、老朽化が進んで維持することが難しくなり、ことし解体されることになりました。

 

ジェットコースターで思い出をつくってほしい

ジェットコースターが引退を迎える3日前。
運転を担当する遊園地の職員・澁谷悠斗さん(23)が、ジェットコースターへの思いを語ってくれました。

jetcoaster221202_4.jpg

実は澁谷さんにとって、この遊園地は大切な思い出の場所でした。
母子家庭で育ったという澁谷さん。いつも仕事に追われていた母親が、自分をたまに連れてきてくれたのがこの遊園地でした。

jetcoaster221202_5.jpg

澁谷悠斗さん
「仕事を頑張りながらも、俺を “楽しい場所に連れて行ってあげよう”って。
 家族と一緒に行って、楽しかったという思い出が残っているんです」

引退する前に、ジェットコースターに1人でも多くの人に乗ってもらい、大切な思い出にしてほしいと願っていました。

jetcoaster221202_6.png

澁谷悠斗さん
「“あの時楽しかったよね” みたいな。友達と話す思い出の一部にもなってほしいですし、家族と話す思い出の一部にもなってほしいです」

 

娘や孫とともに 3世代の家族も

引退までの3日間、遊園地にはジェットコースターがなくなることを聞きつけた多くの人が訪れました。

jetcoaster221202_7.png

孫を乗せてあげたいと3世代で訪れた家族がいました。
「私も小さい時よく連れてきてもらっていたし、娘も小さい時によく連れてきました」

jetcoaster221202_8.png

「3歳の孫も、きょうが初めての遊園地デビューです」

 

学生時代の甘酸っぱい思い出

薬学部で研究に明け暮れていた学生時代に、初めてこのジェットコースターに乗ったという方も。同じ研究室の男性とご一緒だったそうです。

jetcoaster221202_9.png

「毎日研究室に通う生活をしていたから、遊園地に連れてきてくれるような彼氏がいない生活をしていたわけですね。研究室の男の子に頼んで、『お願いだから連れていってちょうだい』って。甘酸っぱい思い出です」

 

“楽しい思い出を運んでくれたんだな”

ジェットコースター運行の最終日。
娘と一緒にやってきた60代の女性がいました。
かつて、両親とここに来るのが何より楽しみだったと言います。

jetcoaster221202_10.png

男澤敦子さん
「私が小学生のころに、連れてきてもらったことがあって」

jetcoaster221202_11.png

あれから50年。父親は亡くなり、母親は去年から高齢者施設に入りました。
コロナ禍のいま、会う機会も減っています。

jetcoaster221202_12.jpg

ジェットコースターに乗り込むと、忘れかけていたあのころの記憶がよみがえってきます。

男澤敦子さん
「よく走馬灯のようにって言いますけど、いろいろ思い出しました。
 若かった父と母を思い出しましたね。泣けちゃうなんて」

jetcoaster221202_13.png

「楽しい思い出を、人の心や頭の中に運んでくれたんだなって。
 ありがとうございましたと言いたいですね」

 

それぞれの思い出を運んだ 54年

午後4時半。いよいよジェットコースターのラストラン。
遊園地の職員・澁谷さんは、その最後の姿を静かに見つめていました。

jetcoaster221202_14.jpg

澁谷悠斗さん
「周りの人たちからみんなに愛されて、みんなに見られて、最後を終えるという。
 人それぞれの思い出がある。本当に愛されているんだな」

“ありがとう、ジェットコースター”
去り行く姿は、時を越えて、大切な思い出として残り続けていきます。

jetcoaster221202_15.png

 

取材を終えて・・・ジェットコースターが運んでくれたもの

半世紀もの間、世代を超えて愛されたジェットコースター。
人々のジェットコースターにまつわる思い出を聞いていくと、
「そういえば自分も幼少期こんなことあったよな。そんなとき両親がこんなことをしてくれたな」といった、かつての記憶を少しだけ思い起こすことができました。
そうした「忘れかけていた大切な思い出」を、このジェットコースターは運んでくれていたのだと感じました。

訪れた人たちが話してくれたのは、別れを惜しむ声だけではなく、思い出を作ってくれたことに対する感謝の言葉でした。
54年間、お疲れさま。本当にありがとうございました。

 


仙台放送局 カメラマン
上林 幹

ことし夏から八木山に通ってジェットコースターを取材

jetcoaster221202_16b.jpg