未来への証言 この小さな命を守りたい

今回は、宮城県石巻市の荒木裕美さんです。荒木さんは当時32歳。
大きな揺れに見舞われましたが、家の倒壊や津波の被害は免れ、自宅に残って避難生活を続けました。
しかし、歩き出したばかりの長男と妊娠中の自分の身を守りながらの生活は、
想像を超えるものでした。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

千葉)当時の状況というのを詳しく教えてください。
荒木)はい、あの日はですね、いつもとちょっと違う日だったんですよ。
っていうのが、なんかいつものリズムと違うというか。息子のお昼寝時間とかもズレてて。
その時息子が1歳8か月くらいで、お腹の中に8か月の赤ちゃんがいるってところで、
お腹のところにちょっと沿わせながらこう抱っこしてテレビ見て、
なんかお昼寝しないなきょうはーなんてやってたところにガガガガガっと(地震が)来て。
もうまずビックリじゃないですか。で、一瞬で、“うわ、どう守ろう”って思ったんですよね。
お腹もだし、息子もだし、つかまるところもその時ちょっとないところに座ってたので、
“わー”ってなって。
でもお腹も大きいから頭丸めるとか縮こまるとか出来なくて。
結局は、マッサージ器がうちにあったんですけど、それが結構重いじゃないですか。
あっと思って、そこにちょっとつかまって、息子に覆いかぶさってっていう地震その時でしたね。

千葉)在宅避難をされていたということですが、その生活の中で具体的にどんなことが大変でしたか?
荒木)情報とかやっぱ入ってこなかったんですよね。

千葉)自宅にいると?
荒木)うん、自宅にいて、水の話とか色々バタバタバタバタみんな動いてて。
ちょっとしてから支援物資の話とかあったけど、何日かしてから?1週間とかしてから入って来たかな。
とにかく水とか最低限のものがある、だけをどういう風に続けるか?みたいな気持ちでしたね。

千葉)上のお子さんはまだおむつをしている状態だった?
荒木)おむつでしたね。そうだ、おむつかぶれとかもしちゃったんですよね。
やっぱりこまめに変えてあげるのも出来ないし、お水もそんなにたくさんなかったから。
お尻流したりちょっとはしたんですけど。
でもそんなにそんなにいつもみたいに清潔な感じではなかったので。

千葉)おむつとかおしりふきとか、家にはストックはあったんですか?
荒木)普段の買い置きぶんくらいはあったんですけど、ちょっと買い物行けた、
買い増ししたのが助かった。あれでつないだって感じかな。

千葉)1番役立ったものってなんですかね?
荒木)1番役立ったもの…なんだろ、スキーウェアかな?やっぱ寒かったから。
息子にスキーウェア着せてすっぽり入るようなのあるじゃないですか!
あれを着せて寒さ対策が大変でしたかね。

荒木)防災訓練とかそういうのはほとんど体験してなかったですし、
自分の中にノウハウがあるわけじゃないから。
なんにもないけどとにかくこの子を守らなきゃっていう、大人としての責任みたいなね、
“あ、守らなきゃ!”みたいなさ。自分だけではこの子を育てるわけにはいかない、
水ない、何ないってなった時に到底自分だけでは揃えたりとか、
確保してくるっていうのはあの時できなかったので。とくに妊婦さんとかだと、
もうちょっと高いところ登れないとかね。重いもの持てないとかやっぱり制限されているなかで、なんとかやり過ごしてきたのかなって思いますよね。