2018年7月20日

南三陸町長 佐藤仁さん

町長も「とろける」復興の味、銀鮭ランチ

2018年7月20日

この日は、東北のある町から霞が関を訪れた人を追いかけていたのですが…あれ、どこに行くんですか?

東京・日本橋のレストランにやってきたのは、宮城県南三陸町の町長、佐藤仁さん(66歳)です。

なぜここに?
「復興予算のために上京して陳情に行くと、必ずといっていいほどこの店に足を伸ばすんだよ」

こちらのお店、7年前の東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町をはじめ、東北産の魚や野菜をふんだんに使っているそうです。注文をしたのは名産の「銀鮭」を使った、ちょっとぜいたくなランチ。

宮城県は養殖の銀鮭の生産量が全国一。その銀鮭の養殖は、昭和51年に南三陸町の志津川湾で始まりました。
7年前の津波で養殖施設などが大きな被害を受け、一時は全く水揚げがありませんでしたが、現在は震災前の水準にまで戻りつつあります。

この日、出された銀鮭は、前の日に南三陸町で水揚げされたばかり。

銀鮭が大好物の佐藤さん、店が今期から銀鮭をメニューに取り入れたと聞いて、楽しみにして来ました。
「地元では刺身で食べるか、焼いて食べることが多いんだけどね」

登場したのは「銀鮭のコンフィ」。塩で味付けし、オリーブオイルに漬け込んだ身を低温で火入れした料理で、季節限定のメニューです。

「一度は水揚げができなくなった銀鮭が、新鮮な状態で、それもこんな上品な料理になって食べられるようになって、本当にうれしいね。町や漁業者の励みになる」

いままで味わったことのない食感に、思わず「とろけそう」とご満悦。

実はこのお店、1人の女性がボランティアで南三陸町を訪れたことがきっかけで、誕生しました。

その女性、宮崎さち子さんです。
大手不動産会社に勤める宮崎さんは、休暇のたびに南三陸を訪れ、東京に戻ると仮設住宅や避難所の現状を職場で話していました。次第に同僚たちも被災地を訪れるようになり、社内の輪が広がっていったといいます。

やがて、「会社として何かできないか」と、プロジェクトチームが立ち上がり、3年前にこのレストランがオープンしました。
「先が見えないまま、突っ走ってきましたけど、昼も夜も、お客さんにたくさん来てもらって。何より、最近は被災地の人の笑顔が見られるようになってよかった」と、宮崎さん。

ランチには、やはり南三陸町でボランティア活動にあたってきた男性も同席。彼から、西日本での豪雨の話を聞いていた佐藤さん、おもむろに携帯電話を取り出しました。

「あ、佐藤仁ですけど。忙しいところ悪いね。いま、仮設住宅を解体しているけれど、そこで使っていたエアコンとか台所回りのものとか、被災地に送れるだろうか。調べてくれないかな」
男性の提案を聞いて、すぐさま町の職員に電話しました。

南三陸町を訪れる観光客の数は、去年は142万人と過去最高を記録。住宅の再建が進み、今は、仮設住宅の解体が進んでいます。今度はこちらが恩返しする番。り災証明書の発行の支援などにあたるため、近く町の職員を岡山県総社市の豪雨被災地に派遣するそうです。

「暑い時期だけに、感染症や食中毒が心配。震災では多くの支援を全国からいただいたので、南三陸町としても、できる支援をしていきたい」

支援の輪から始まった復興の味。いつか、西日本の被災地でも味わえるようにと。

ごちそうさまでした!