“レジェンド”が見た
ピョンチャン五輪

冬のオリンピック史上最多となる13個のメダルを獲得するなど、日本選手団が躍動したピョンチャンオリンピック。8回目のオリンピック出場を果たしたスキージャンプ男子の葛西紀明選手も話題となりましたが、会場には、選手たちを見守る、もう1人の“レジェンド”がいました。
日本選手の活躍の背景には、どんな戦略があったのか。そして、2年後の東京オリンピックへとつなげるための課題は何なのか。“レジェンド”の目線を通して、ピョンチャンオリンピックを振り返ります。
(政治部記者 森田あゆ美)

本当の強さに

「メダルの数としては自国開催だった長野オリンピックを超え、『よし』としていますが、長野オリンピックから比べると、競技種目が増えてメダルの数自体が増えている。もっとメダルが取れました」

史上最多のメダル獲得に国内が沸く中、結果を冷静に分析するのは、スピードスケートの日本人女子初のメダリストで、現在、参議院議員を務める橋本聖子さんです。

1964年の東京オリンピック直前に誕生し、聖火にちなんで聖子と名付けられた橋本さん。
1984年のサラエボオリンピックにスピードスケートで初出場。
1988年のソウルオリンピックでは、自転車競技に出場し、冬・夏両方のオリンピックに出場した初の日本人選手になりました。

1992年のアルベールビルオリンピックで、スピードスケート女子1500mで念願の銅メダルを獲得。

1995年には、参議院議員に当選し、翌年のアトランタオリンピックには、現職の国会議員として出場しました。

オリンピック出場は、冬・夏合わせて7回。“オリンピックの申し子”とも呼ばれる、まさに“レジェンド”です。

現在、JOC=日本オリンピック委員会の副会長も務める橋本さん。国会議員としての公務の合間を縫って、ピョンチャン入りしていた橋本さんに、好成績を残した選手たちの様子を聞きました。

「全体的に明るさがあって、すべての場面で安心して見ていられました。選手との会話や表情を通して、明るさの中に秘めているものは自信で、やるべきことを全部やってきて、あとは楽しもうという、バンクーバーやソチでは到達できていなかった、本当の強さになってきたと感じました」

(写真:ピョンチャン五輪を視察)

強さの秘けつは“人間力”

橋本さんが語る、本当の強さは、どのようにして身についたのか。
日本が最も重視してきたのは、指導者の強化でした。

「世界一の選手は、世界一の監督・コーチ・スタッフでなければ育てることはできない。この人に言われるならしっかりしなきゃと選手が思うような指導者の育成と海外コーチの招へいをやってきて、まだ開発途上ですが、充実した結果が出てきました」

そして、もう1つ、大きなテーマに掲げてきたのが、“人間力”の強化でした。

スピードスケート女子500mで金メダルを獲得した小平奈緒選手が、銀メダルだった韓国のイ・サンファ選手と肩を抱き合った姿が感動を呼びました。

“人間力”は、橋本さんがみずからの経験から学んだテーマでもあり、今回のオリンピックでは日本選手団の成長を感じていました。

「アトランタオリンピックに出場したとき、飛行機で前の席に乗っていた選手たちが降りた跡を見て、あぜんとしました。新聞や紙コップ、スリッパ、雑誌、毛布などが散乱している状況で、これではダメだと。人間力なくして競技力向上なし。結果的にアトランタは惨敗。過去のオリンピックでは、選手村の部屋の清掃状況などもチェックしたことがありますが、今回はそこまでしなくても大丈夫でした」(橋本さん)

メダルの“コスパ”はよいけど…

チームとして成長し成果を挙げた日本選手団ですが、帰国後、フィギュアスケート男子シングルで連覇を果たした羽生結弦選手はこんな言葉を投げかけました。

「フィギュアスケートのリンクは、世界の中でもかなり少ない。各地でスケートをやりたいと思う人が、少しでもできるような施設やきっかけがほしい」

誰もが知るフィギュアスケートですら練習場が足りていないのが、日本の冬季スポーツの現状です。冬のオリンピック種目の多くは、競技人口が少ない上、知名度も低く、練習場所や所属先を探すのに苦労する選手が少なくありません。

橋本さんも、国の支援が不十分な中でメダルが取れたのは、あくまでも“コストパフォーマンス”がよいだけで、改善が必要だと訴えます。

「ナショナルトレーニングセンターの充実度は、韓国や中国、ロシアと比較して日本は3分の1にも達していません。日本人は真面目で、たとえ自己ベストが出せなかったとしても、あきらめないで最後までゴールするので、転がり込んでくるメダルも取れている。これからは、力のある選手の環境をもっと整えて、選手の数を増やしていける予算を勝ち取らないといけません」

“デュアルキャリア”を当たり前に

さらに、選手の育成には将来への不安をなくす環境整備も欠かせません。世界ではアスリートに複数の肩書があるのは当たり前ですが、日本ではまだ理解が進んでいないと言います。

橋本さんが国会議員としてオリンピックを目指した環境も、非常に厳しいものでした。

「批判は受け入れて理解しようと、太陽が上がっているときには全くトレーニングしませんでした。深夜と早朝の練習だけです。日本には文武両道という言葉があるのに、いろんなキャリアを持ちながらアスリートをやると驚かれます。どちらかを求める時代ではありません。現役を終えてから『セカンドキャリアをどうする』ではなくて、現役の時から次のためのキャリアを積む“デュアルキャリア”の支援をすぐにしなければなりません」

政治とスポーツは利用し合っていい

現在、日本には、オリンピック出場経験がある国会議員が橋本さんも含め5人います。最近では、政界に進出するアスリートもめずらしくなく、キャリアの1つの選択肢にもなっています。

「元アスリートの議員は、現場の代弁者であり続けるために必要な存在です。政治とスポーツは関わりを持ってはいけないというIOC=国際オリンピック委員会の憲章がありますが、政治なくしてオリンピックの招致はありえないし、オリンピックの成功も政治なくしてあり得ません。ただ単に自分たちのために利用するのではなく、敬意を持ちながら利用し合って、相乗効果をはかっていくべきです」(橋本さん)

東京はゴールではない

最後に、2年後の東京オリンピック・パラリンピックに、どう臨んでいくべきか聞きました。

橋本さんは、オリンピックはスポーツの祭典というだけでなく、世界が開催国の評価を下す場にもなると指摘しました。

「世界が東京オリンピック・パラリンピックに目を向けている時に、国として何を示すかが重要です。過去のオリンピックでは、選手の活躍だけをクローズアップして、国の政策の失敗を消してきた例もありました。スポーツは仮の姿であり、日本が新しいものに向かっていく力、国の生き方を示すことが必要です」

そして、橋本さんは2020年だけが目標ではないと強調します。

「スポーツ界が、2020年があるから予算も追い風だと言うのは間違っています。自分たちの力で新しいスポーツ産業の創出に向かっていけば、雇用も予算も付いてくる。東京オリンピックのあとも、もっと予算を使ってくださいという時代にしていかなければなりません」

東京オリンピックに向け、大きな弾みになったと評価されるピョンチャンオリンピック。しかし、選手を取り巻く競技環境は、まだまだ世界水準に追いついていません。

史上最多のメダルに盛り上がった今こそ、東京、そして、その先を見据え、アスリートだけでなく、それを取り巻く環境も底上げをはかっていく必要があると感じました。

政治部記者
森田 あゆ美
平成16年入局。佐賀局、神戸局などを経て政治部へ。現在、自民党担当。