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沖縄 読谷村長浜地区 核ミサイル基地があった郷土の歴史を探す

  • 2023年07月12日
「字誌」と呼ばれる郷土史

沖縄では、地区の自治会などが「字誌」と呼ばれる郷土史を独自にまとめています。読谷村の長浜地区では12年かけて、ことし3月に「字誌」をまとめました。これまで知られてこなかった歴史もつづられている郷土史の編集に携わった男性を取材しました。

(沖縄中部支局記者 宮原啓輔)

新聞配達をしながら「字誌」を編集

読谷村の長浜地区に住む仲村渠一俊さん(69)は、新聞配達をしながら「字誌」の編集委員も務めています。字誌を執筆するためには、資料を収集するのはもちろん、その収集した資料を調べるため、体験者などに聞き取りを行うことも欠かせません。

体験者などに聞き取りを行う仲村渠さん(左)

取材で公民館へ訪れた日は、沖縄戦の体験者が集まり、当時アメリカ軍が撮影した写真について、仲村渠さんが意見を聞いていました。「アメリカ軍が埋めて作った道」なのか「旧道」なのか、「護岸」や「海」はどこになるのか。仲村渠さんは、当時を知る人たちの記憶から、写真の場所や状況を確認していました。

仲村渠一俊さん

僕は写真は知っているけど、歴史の専門家ではないので当時の状況は分かりません。生の声が聞けるというのは重要です。

聞き取り調査で分かったことは、郷土史に生かされています。ことし3月にまとまった郷土史はおよそ530ページにも及び、仲村渠さんは主にアメリカ軍によって統治された時代を担当しました。

まとめた郷土史

郷土史には本土復帰前、地元にあったアメリカ軍のミサイル基地に関する歴史なども盛り込まれています。

隣り合わせだったミサイル基地

仲村渠さんが地元の歴史に関心を持つのは、幼い頃にミサイル基地と隣り合わせで生活していたからです。

仲村渠一俊さん

ちょうど北の方にあるホテルの右側の方がミサイルの試射場でした。遊んでいる時に大きな音でズドーンと上がっていく様子が見えたり。

試射場があった場所

沖縄では、1954年に核兵器を搭載できるミサイルの配備が始まりました。長浜地区周辺では中距離ミサイルの「メースB」、それに地対空ミサイルの「ナイキ・ハーキュリーズ」「ホーク」といった複数のミサイルの発射施設が配備され、繰り返し発射の演習も行われていました。

仲村渠一俊さん

当時は低学年で無邪気な年齢ですから、ただ「かっこいい」という感覚でしか見ていない。危険なミサイルとか、そういった基地があったことすら知らない世代が多いですから、ぜひこういったものは書き残してですね。後世にも読んでもらいたいということですね。

独自入手の中には貴重な史料も

収集した史料

これまでに収集した史料は、駐留していたアメリカ軍部隊のアルバムや基地の設計図などおよそ1000点にも及びます。史料は公文書だけでなく、主に沖縄の戦跡や歴史に詳しいさまざまな民間のアメリカ人と交流して独自に入手してきました。

仲村渠一俊さん

基地関係にしろ、戦後のいろんな情勢とか、そういった庶民の歴史とかの写真も膨大に持っていました。長浜の写真もいっぱい持っていた。

その中には、日本の航空自衛隊の幹部が視察に訪れた時の写真もありました。当時、沖縄のアメリカ軍のミサイル部隊を束ねた司令官の親族が保管していたものです。

視察に訪れた航空自衛隊幹部

本土復帰前から自衛隊が沖縄の防空体制に強い関心を示していたことが分かる貴重な1枚で、仲村渠さんは「アメリカ軍の防空体制を学ぶために幹部たちが来たのだと思う」と話します。

アメリカ軍のミサイル基地が建設された郷土の歴史には、まだ知られていないことがあると話す仲村渠さん。郷土史がまとまった今も史料の収集を続けています。

仲村渠一俊さん

戦時中の出来事とかこういったものを1件1件関連づけて調べていけば、さらに読谷村の歴史がもっと深まるんじゃないか。今からでも眠っている史料を掘り出して、まだまだ追加して書き残していきたい。

取材後記

ことしは沖縄戦から78年、本土復帰から51年になりますが、まだまだ歴史を掘り起こせると感じました。仲村渠さんが編集に携わった読谷村長浜地区の郷土史は、2024年2月に製本化される予定です。

  • 宮原 啓輔

    NHK冲縄放送局 記者

    宮原 啓輔

    警察取材を経て2023年から中部支局。基地問題を中心に担当。

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