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フィギュアスケート 高橋大輔さん 岡山に帰郷 今後を語る!

  • 2023年10月06日

倉敷市出身の高橋大輔さんが岡山に帰ってきました。文化やスポーツなどの発展に寄与することを目指す財団から「スポーツ特別功労賞」が贈られ、岡山市北区で行われた贈呈式に出席。引退後の心境や気になる今後についてたっぷりと語ってくれました。
(岡山放送局 記者 山田俊輔)

“育成も今後は考えていきたい”

賞状などを受け取る高橋さん

スーツ姿で贈呈式に出席した高橋さん。壇上で賞状などを受け取り、感謝の気持ちを述べました。

スピーチをする高橋さん

このたびはこのようなスポーツ特別功労賞という賞をいただき、本当にうれしく思っています。皆様のおかげだと思っております。
僕自身、現役からは引退することになったんですけど、1度現役から退いて次の現役復帰まで4年間あり、その時期は僕自身充実した日々を過ごせていなくて、本当に自分自身に自信をなくしていた4年間だったんですけど、やはりそこでもう一度スケートを取り戻していくことが自分自身にとって必要なことだなということにある瞬間気付き、そこの道に行くことを決めました。カテゴリーを変えて、違うカテゴリーでやることになったんですけど、この5年間大変なことはたくさんあったんですけど、本当に僕にとってはすごく貴重な経験ができたなと思います。こういった賞をいただくのはもうこれが最後になるのかなと思うんですけど、僕自身、エンターテインメントの世界が大好きなので、これからはパフォーマーとしてもそうですし、もし体が動かなくなったり、オファーが来なくなったりしたら、裏方としてでもエンターテインメントの世界に関わっていきたいと思います。なかなか忙しくて岡山に帰って来ることはできなかったんですけど、育成というところでも今後は考えていきたいなと思っておりますので、今後とも応援のほど、よろしくお願い致します。本日はありがとうございました。

“いつか自分の思いは実現したい”

両親とともに壇上にあがる高橋さん 右は財団の小嶋光信理事長

壇上で財団の小嶋光信理事長からインタビューを受けました。

小嶋光信理事長

何かまたスケート界がびっくりするようなことをするんじゃないかと思っているんですが、いかがですか?

何も隠してはいませんが、僕もやっていきたいなと思うようなことがあるんですけど、大きいことをやるとなると、なかなかご協力いただかないとできないことがたくさんあるので、今後4年間ぐらいをめどに自分自身でもいろんなことに挑戦しながら、そういった僕自身が思い描くものに協力してくださる方々を探しつつ、やっていけたらなと思っております。まだ何も決まっていないですけど、いつか自分の思いは実現したいなという思いだけは持っています。なので、もし何かあればご協力いただければうれしいです

小嶋光信理事長

再来年(2025年)西日本で初めて岡山が冬季国体のスケートの会場になります。その時にエキシビションで腕前を披露して、若者にエールを送ってくれるようなことはありますか?

国体でなかなかそういったことはないですからね。そこは僕からはなんとも言えないですけど、別日とかだったら大丈夫です

小嶋光信理事長

大輔さん、国体に現役で出てくれるかな?

出たい気持ちはあるんですけど、僕2度引退したので、戻れないということがあって、出たい気持ちはあるんですけど、申し訳ないです

小嶋光信理事長

大輔さんはふるさと思いで、感謝しています。今後、岡山のみならず日本の選手、アジアの選手等々の指導や育成にご協力いただけることはありますか?

まだ僕自身はパフォーマーとしてやっていきたいところはあるんですけど、指導というところは頭の片隅には残っているので、ただ、本気で指導者になろうと思えば、その道一本でいこうかなと思っていますので、それまではサポートできることはお手伝いしながら協力させていただければと思っています

“岡山でアイスショーを開きたい気持ちはすごくある”

贈呈式のあと、取材に応じた高橋さんは、気になる今後のこと、ふるさと岡山への思いなどを語ってくれました。

(Q改めて、受賞の感想は?)
「こういった賞は最近なかなかもらえていなくて、地元で何回かいただいたことはあるんですけど、こららにはその時期なかなか来ることができず、代理の母に来てもらうことが多かったんですけど、引退をしてこうやって最後にこういった賞を自分自身で受け取ることができたことが非常に嬉しく思います。すごく地元だなという感覚で、すごく懐かしい気持ちになりました」

(Qこれからはどんなことをしていきたい?)
「体が動くうちやオファーが来るうちはパフォーマンスをやり続けていきたいなと思いますし、本当に僕自身、エンターテインメントといったものが好きですし、ひとつのエンターテインメントとして、ずっとスケートを軸に、これからのスケート界もいろいろ変わってくると思いますし、大変なこともたくさん増えてくると思うんですけど、そういった中で、新しい見せ方だったり、いろんな見せ方はまだまだできると思うので、そういったものをいろいろ模索しながら、とりあえず漠然とですけど、4年間ぐらいかけていろいろなものを見て、吸収したり、インプットしたり、その中からアウトプットしていったり、できることをちょっとずつやっていけたらいいなと思います」

(Qスケーターとしての経験を生かしていく?)
「スケートでパフォーマンスをするというのは僕自身の軸にしているので、そこプラス、それ以外の経験も積んでみたいですし、何においても経験をすることって結果につながらなくても、ひとつの経験として、自分のものにはなると思うので、いろんなことにチャレンジしていきたいなと思います。年齢も37なので、タイムリミットもいろんな意味でついてくるので、長い間はなかなか難しいと思うんですけど、その中でできることは精一杯やっていきたいと思っています」

(Q国体について熱烈なエールがあったがどうか?)
「やはり地元で国体が、しかも西日本で初めて冬季国体が開かれるということはなかなかないことなので、すごくうれしく思いますし、現役として滑ることはもう不可能なんですけど、国体を盛り上げるというところでは、僕自身、関われるところがあったら、ぜひ関わらせていただきたいなと思っています」

(Qどんな関わり方ができると思う?)
「現役選手としての育成といった部分では、今、すばらしい先生方がたくさんいらっしゃるので、そういうところは頭になくはないんですけど、スケートを引退した後の選手たちがまだ滑りたいのに滑る場所がないというのがほとんどだと思うんですけど、滑れる環境作りという意味での育成という形も1つ考えていってもいいんじゃないかなという気持ちはあるので、そういったところで、オリンピック選手を目指すというところをサポートするだけじゃなく、そこは僕じゃないかなというところでもあるので、そういったところの環境作りはこれから本当にいろんな可能性もあるし、それと同時に大変なことなんですけど、そこを探していかなければすそ野は広がっていかないんじゃないかなと思うので、そういったところの育成というところで、今後、将来は考えていきたいなというのはひとつあります」

(Q全国のスケーターに対してはサポートなどを考えている?)
「全国になってくるとなかなか難しいことだなと思うので、簡単には言い切れないんですけど、オリンピックだけで見ると、団体競技も始まって3回目ですかね。メダルのチャンスといったとこで、日本といった部分では、徐々には強くはなってきてますけど、トータルとしてメダルのひとつチャンスといったところでは、カップル競技の育成がすごく大きくなってくると思うので、日本でカップル競技をやっていくと、環境的に厳しいところがあるので、経済面でもなかなか海外に行けないから結局できないという子たちもたくさんいるので、そういった環境作りといった部分もちょっとずつ変えていかないといけなかったり、昔に比べたら、カップル競技をやっている方たちが引退して、指導やサポートといったところは昔に比べたらできる方が増えてきたと思うんですけど、でも、シングルに比べるとまだまだなので、そうした部分を広げていくことが必要になってくるんじゃないかなと思います」

(Q岡山県の人たちにメッセージを)
「僕自身、自分でアイスショーをプロデュースしているんですけど、し始めたところなんですけど、まだ地元の岡山でパフォーマンスをアイスショーとしてパフォーマンスを披露したことがないので、いつか、体があと何年動くか分からないので、その中で、一度岡山というところでアイスショーを開きたいなという気持ちはすごくあるので、それに向けて活動はしていきたいというふうに思っていますし、パフォーマーとしても、なかなか練習環境とか難しいところはあるんですけど、レベルを落とさずにいけるところまでは、いいパフォーマンスを観客の皆さんにお見せできるように努力していきたいなと思っています」

(Q贈呈式の中で「地元を感じた」と言っていたが、どんなところで地元らしさを感じたのか?)
「やっぱり、温かさというか、空気感というか、そういったところはすごくウェルカムで皆さんいてくださいますし、いすぎたらぬるま湯につかってしまうかなぐらい温かい目で見てくださるので、そこが一番大きいところかなと思います。今はまだまだもまれていきたいので、厳しい世界で戦って、自分自身がもう限界と思うところまでは戦って、その後はいろんな今まで助けてくれたところを還元していけるようにしていきたいと思っています」

(Q体が動かなくなるまでパフォーマーとしてやっていく原動力は?)
「一度引退したときにいろんな経験をさせていただいて、本当に自分に自信がなくなっていた時に、唯一スケートのことが大嫌いだったんですけど、当時は。それが僕自身を形成していたなと感じて、覚悟じゃないですけど、スケートとともに生きていくと決めてからの僕自身の気持ちの充実感が本当に180度変わって、そうなった時に僕自身スケートというものが自分にとって大事だなと。サポートはもちろんですけど、自分がパフォーマンスをしているときが、一番自分で輝けているなと感じたので、できるうちは、続けていきたいなと思っていますし、それができなくなったとしても、輝ける人たちをサポートしていきたいなと。なので、死ぬまでじゃないですけど、せっかくスケートしかしてこなかったので、最後までスケートに関わっていけたらなというふうに思っています」

高橋さん、またぜひ、岡山に帰ってきて下さい!

  • 山田俊輔

    岡山放送局 記者

    山田俊輔

    2017年入局 岡山県政やスポーツなどを担当

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