曽我ミヨシさん92歳 母の着物と再会待つ娘の思い
- 2023年12月28日
1978年8月、自宅近くの店で買い物を終えた親子が帰宅途中に突然、北朝鮮に拉致されました。
佐渡市の曽我ミヨシさんと娘のひとみさんです。ミヨシさんは46歳、ひとみさんは19歳でした。
曽我ひとみさんは、2002年に帰国を果たしましたが、ミヨシさんの行方は今もわかっていません。
ミヨシさんは、12月28日で92歳の誕生日を迎え、曽我ひとみさんがNHKの取材に対し、ミヨシさんの着物などを見せてくれるとともに母への思いを書面で寄せました。全文を掲載します。
新潟放送局 油布彩那
日本に帰ることを諦めないでほしい
Q.12月28日で、お母様のミヨシさんが92歳の誕生日を迎えます。
45年という長い年月、再会することができないままとなっている状況について、
曽我さん自身の今の思いやミヨシさんに伝えたいことを聞かせてください。
曽我ひとみさん
45年もの長い年月、母が側にいないなんて想像したこともありませんでした。
忘れもしないあの日に全てが変わってしまったのです。翌日は、お墓参りをして家に帰り、一休みしたら寮に帰るはずでした。それなのに家族がバラバラになってしまったのです。
とにかく母には、元気でいてほしい。日本に帰ることを諦めないでいてほしい。
そして、帰ってきてくれたのなら、ずっと私の側にいてほしいと願っています。
母がよく着ていた着物やスカート
Q.ミヨシさんの服に関して、思い出すミヨシさんの姿や思い出について教えてください。
曽我ひとみさん
青色の着物は、母が自分で縫ったもので、集落の寄り合いなどによく着て出かけていました。同時にスカートも出かけるときによく穿いていました。
母の愛情が詰まった成人式の着物
もう一枚の着物は、私が帰国してから家の整理をしていて箪笥の中から出てきました。
初めて見る着物で仕付け糸がついていて、真新しいものでした。拉致された当時は19歳でした。きっと母が私の成人式用に、内緒で準備してくれたものだと思いました。
丁寧に箪笥から出して包みを解き、着物全体を見たとき、母はどんな思いでこの着物を用意したのだろうと思った瞬間、こみ上げるものがあり涙が次々と溢れて止まりませんでした。
母の優しさ、愛情が詰まったこの着物は、私の宝物の一つとなりました。
残された着物や洋服着た姿見たい
Q.ミヨシさんの服などは、どういうときに改めて見たりされますか。
また、そのときはどんな思いですか。
曽我ひとみさん
母の誕生日や私の誕生日、母に会いたいとき、心配でたまらなくなるときに見ます。残された母の着物や洋服をきた姿が見たいので、少しでも早く帰ってきてほしいと願いながら見ています。
政府には全力で 関心を持ち続けて
Q.ミヨシさんとの再会のため、政府に訴えたいことや一般の人に伝えたいことを聞かせてください。
曽我ひとみさん
一日も早く母に会えるよう、拉致問題解決のため、全力で取り組んでほしいと思っています。
まずは日朝間の話し合いの場を用意し、拉致被害者全員の帰国を実現するべく交渉してほしいと切望しています。
国民の皆さんには、拉致問題解決まで、風化させることなく関心を持ち続けてほしいと思っています。