ページの本文へ

NHK名古屋のおすすめ

  1. NHK名古屋
  2. 名古屋のおすすめ
  3. 能登の被災地で広がるインスタントハウス

能登の被災地で広がるインスタントハウス

  • 2024年03月28日

能登半島の各地に建つ、まるでふわふわなメレンゲのような白い建物の名前は「インスタントハウス」。実は人が寝泊まりできる頑丈な"おうち"です。被災した人に安心できる空間を届け続ける、名古屋の大学教授と被災地にいる人の思いを取材しました。

(名古屋放送局・鈴木博子)

あの、白い建物は?

ケーキの上に乗っているホイップクリームや角が立っている泡立てたメレンゲにも見える、白い建物。

”ふわふわ”な感じとは逆に、実はこちらは頑丈さや断熱性に優れた簡易住宅です。その名は「インスタントハウス」。

能登半島地震で被災した人に安心できる空間を提供しようと、建てられました。

外側は雨、風、雪に堪えられる防水性の白いテントで覆われ、中は8人から10人ほど入れる空間が広がっています。内側に吹き付けられた黄色の断熱材で暑さ・寒さもしのぐことができます。

このハウスを使っている一人、輪島市の保靖夫さんは自宅が全壊し、地震が起きてから農業用ハウスに自主避難していました。今は農業用ハウスの横に建つインスタントハウスで、妻と2人で寝泊まりしています。

保靖夫
さん

寒さもしのげるし、快適です。本当の自分のおうちというか、自分の部屋みたい

すでに他の場所に建っていたハウスを口コミで知り、実物を見に行った時に「建ててほしい」と思ったそうです。
保さんのほかにも農業用ハウスに身を寄せていた人たちが世帯ごとに寝泊まりできるよう、3棟が建ちました。食事や団らんの際は農業用ハウスに集まるなど使い分けていて、日常の生活に近い形だといいます。

(保さん)
自分のは最後に建てていただいたのですが、やっと自分のやつだって、家ができるなっていう喜びを半分感じました。

すでに現地に建っているインスタントハウスの数はおよそ150棟。輪島市に限らず、能登半島で被災した地域全域に広がっています。

しかし、現地で「ハウスを建ててほしい」という声はひっきりなしに、開発者のもとに届くとといいます。個人でできる支援の”限界”も、一方で感じているというのです。

放っておくとこのまま。少しでも早く…

開発者は、名古屋工業大学で建築設計を教える北川啓介教授です。

開発者の北川啓介教授

もともと、防災とは無縁だった北川さん。インスタントハウスの開発に乗り出すことになったのは、東日本大震災の直後に経験したある出来事でした。

地震から1か月が経ち、石巻市内の避難所となっている中学校を訪ねた時のことです。

避難している人の生活を調査するため避難所を訪れた北川さんの後ろをずっとくっついて一緒に歩いていた、小学校3年生と4年生の男の子が帰り際、声をかけました。

「なんで仮設住宅が建つのに3か月から6か月かかるの。大学の先生なら来週建ててよ」。

北川さん

そのときにわたしの人生は180度変わりましたね。
こんなに困っている人がいるのに仮設住宅ができるのに時間がかかるってどういうことなのかなと。このまま放っておくと(仮設住宅が)建つのに3か月6か月かかる世の中になると思ったんですよ。子どもたちが素直に声をかけてくれたので素直に答えてあげたいなって、心一つで動いていました

その日泊まった宿や名古屋へ帰る飛行機の中で、仮設住宅の建設に時間がかかる原因と、その対になる言葉を40個書き出したといいます。たとえば仮設住宅は「たくさんの職人さんが建設に関わる」⇔対義語は「一人でも建てられる」といったようにです。

そして、飛行機を降りて背負っていたリュックサックからあるものを取り出した時に思ったそうです。

(北川さん)
ダウンジャケットをまとった時に「あ、空気なんだ」と思ったんですよ。
空気は私たちがいきつくところに無料である。原材料も少なくすることができるし、遮音性や断熱性にもすぐれているって。

そこから、研究と開発の日々が続きます。

人が入れる空間を空気を利用してどのようにつくるか、何百回も実験を行いました。はじめは風船を使って、時にはシャボン玉、爆竹を使ったこともあったといいます。

最終的には、外側はカリっとしているのに内側はふんわりとしているフランスパンに着想を得て、今のハウスの原型が完成しました。

防水性のシートに中から空気をいれてふくらませ、遊牧民が使う「ゲル」のような形の建物をつくり、内側から断熱材をふきつけます。断熱材が空気の層をつくることで冬は暖かかく、夏は涼しい空間となります。柱がなくても外側のシートがしなやかな引っ張り材となって、頑丈さも持ち合わせています。

ここまでたどり着くのに5年半かかりました。

画像提供:北川啓介教授

去年2月に発生したトルコ・シリアの大地震の被災地にハウスを持ち込みました。3棟を設置すると、現地の人たちは「オスマントルコ時代のドームのような雰囲気で心が安まる」と言って喜んでくれたといいます。

そこで、現地の自治体のトップから「100棟お願いしたい」と言われました。

『やばいな』って思ったんですよ。快適さや即座に建てることができるというのは満たせたのに、1棟あたりの値段は車1台が買えるくらいの値段で、現地のプレハブ、コンテナのハウスよりも高くなってしまった。数十万人がふるさとを離れて避難しているのに1つや数十個を建てただけでは、ただやっているだけになってしまう。

もっと安価で、もっとスピーディーに、建てられるものを、と改良を重ねました。

外側のシートや断熱材の素材を当初のものから変えることなどで、およそ6分の1の20万円まで設置費用を抑えました。完成までの時間も作業に慣れると1時間ほどです。

ハウスの床面積は20平方メートル、高さは4.3メートル。屋根にあたる上半分には45度の傾斜がついていて、雨、風、雪をしのぐことができます。水道やガスをハウス内で使うことはできませんが、外部電源があれば電気は使うことができ、耐久性は3年持つということです。

まさに、安く、早くできる”おうち”=インスタントハウスです。

人が集まる場所にも

能登半島地震の発生直後、「自分にもなにかできることがあるはず」と、北川教授は被災地に入りました。

まずは、避難所に避難している人たちが少しでもプライバシーが保たれ、寒さをしのげるよう、インスタントハウスより簡易な段ボール製のハウスの設置に取りかかりました。

発災直後で物資が不足する中、着替えや休めるスペースとして使える段ボール製のハウスは、避難所で重宝されたといいます。

その際に、長年開発に取り組んでいた屋外用のインスタントハウスもあるということを説明して回っていました。避難生活が続くにつれて、足をのばして寝泊まりできるさらに広くて頑丈なハウスが必要になると考えていたからです。

画像提供:北川啓介教授

そこで被災した人たちから口々に言われたのは「多くの人がハウスを使うようになるには、能登ならではの”3ステップ”が重要だ」ということでした。

1ステップは「1棟目を見てみたい」。見た上で、「使ってみる」のが2ステップ目。そこで気に入れば10倍、100倍のニーズが来る。この”能登の3ステップ”が大事だよって言われたんですね。『一日でも早く届けたい』と気持ちが先走っていたんですけど、言葉の通りぽつぽつと各地に1つずつお届けしていたら、みなさんが見に来るようになった。

口コミでハウスの良さが伝わり、連絡先を公開している北川さんのもとに直接、建設の依頼が届くようになりました。

北川さんは避難している人が寒さをしのげ、世帯ごとに遮音性やプライバシーを保った上で安心して過ごせる場所を届けたいという思いでしたが、意外にも多かったのは「コミュニティの場所」として使いたいという要望でした。

橋本由紀さん、輪島市中心部で地元の仲間たちと炊き出しのボランティアをしています。

写真左が橋本さん

炊き出しのお弁当などを食べる場所が室内になく、寒い日には少しでも暖まってもらえたら…と、調理をしている施設のすぐ横に1棟を建ててもらいました。

橋本由紀さん

毎日のようにご飯を食べにきた人が使っています。炊き出しのメンバーも打ち合わせで使いましたが、地震のあとはじめて腰を下ろして話しができて居酒屋にいったような、うちに帰ったような感覚だった。集会所や公民館といった談話する施設が避難所になっているので、こうして集まって話せる場所があってよかったです。

能門亜由子さん、自らが神職を務めている被災した神社の境内に4棟建設してもらいました。

県外から来たボランティアの宿泊に使ったり、休憩場所としても重宝しているということです。

(能門さん)
寒さを少しでも感じない時間があると、体がすごく元気になるので。不思議な感じなんですけど、休憩と同時にエネルギーがたまるというか。インスタントハウスに出会っていなかったら、被災した後の生活は全然違っていたものになっていたと思う。

こうして、避難している人の寝泊まりの場所や地元の人たちが集う場所など、さまざまな使われ方をして、気がつくと能登半島各地に広がりました。

ハウスが建った場所を説明する北川さん

昼も夜もハウスに人が集まって、今後の自分たちの活動とかなりわいのことをどうしていくかを話し合う場になるということは全く想定していなかった。仮設住宅の代わりの簡易住宅くらいかなと思っていたので、人と人とのつながりの中心の場所のひとつになるというのはうれしかった。

「10段の階段の1段目にも足を乗せられていない」

しかし、またここで「お金」の壁にぶつかりました。

ハウスの施工費用は全額、今回の地震のあとに集まった寄付金でまかなわれています。被災者には無償で提供されています。

そのため、集まった金額では設置できる棟数に限りがうまれてしまうのです。

これまでに4770万円が集まり(3月13日放送時点)、インスタントハウスが150棟、段ボール製のハウスが800棟ほど建ちました。

しかし、すでに設置できたハウスの倍以上の依頼が直接北川さんのもとに届いているといいます。
また、北川さんは要望が届いていなくても今回の地震で被災した人の規模を考えると、まだまだハウスを必要としている人がいるのではないかという焦りもあります。

政府とか自治体とかそういったところのお金1円も入っていない。本当に無償の集まったお金だけで動かしているんですね。本当はみなさんにお届けしたいところなんですけど、『もうちょっと待っていてくださいね』っていう話しかできないんですよ。東日本大震災の時に声をかけてきた小学校3年生と4年生の男の子に答えたのも同じ。『もうちょっと待っててね』だけだった。

東日本大震災で避難所を訪れた際は、悔しさや悲しさ、怒り…さまざまな感情を抱いたといいます。

今の北川さんの表情からも、複雑な思いが読み取れました。

(北川さん)
10段の階段があるとすると、まだ1段目にも足を乗せていないような状態です。ひょっとしたらもっと安価なものかもしれませんし、もっとポン!ってできてしまうものがいいのかもしれない。そういうことをずっと考えている。

それでも… "希望になれば"

農業用ハウスに避難していた、保さんに今後の生活についての思いを聞きました。

保靖夫
さん

仮設ができればそっちに移りたい気持ちもある。でも、移ってもちょくちょく、ここ(インスタントハウスと農業用ハウスがある場所)に顔を出そうかなって思っています。ほかに避難しているみんなの顔を見たいし、輪っちゅうか、そういう感じがいい。行政に見習ってほしいって言ったらおおげさになりますけど、こういう声もあるんだと、耳をかたむけてほしい。

北川さんは、今後も寄付が集まり次第、建設を続けていくつもりです。

ハウスが、本来能登半島にあった人と人とのつながりを取り戻す役目を果たしながら復興に向けた足がかりの一つになってほしいという思いを抱いています。

(北川さん)
ハウスでほっとできる温かさや、そこに集う人々の心の温かさっていうのも感じられるでしょうし、そういったものがみなさんの中で深く、広く、信頼関係をもって次の世代にも受け継いでいけると、ひょっとしたらもっと新しい未来につながっていけるような能登半島になるかもしれない。そんなことを期待しながらこれからも尽力していきます。

 

 

取材後記ー。

大きな災害が発生すると、被災した人の避難場所や住まいは必ずといって問題になります。
個人や団体でその状況を改善しようと動いている人たち、そして何より被災した人たちの思いを、もっとくみ取ることができないのか、取材していて率直に感じたことです。

被災地では地震で住まいを失った人たちのために仮設住宅の建設が進められていますが、必要な数が完成するのはことしの夏ごろを見込まれています。

仮設住宅に詳しい専修大学・佐藤慶一教授に話を聞くと、「今回の地震でも地元の避難所や二次避難先以外に、どこで避難生活を送っているのか把握できていない人が相当数にのぼる」とした上で、「応急仮設住宅が建つまで数ヶ月と時間が経過すると、被災地の外へ避難された方はその場所での生活に慣れてしまい元の場所に戻りづらくなってしまう。希望する方には、応急仮設住宅ができるまでに避難所以外に地域の中にとどまれるような簡易的な場所があるべきだと思う」と話していました。

しかし、応急仮設住宅の建設費用は公費でまかなわれるため、どこに建てるか、どういう仕様にするかなど、被災した自治体と都道府県、そして国との協議が必要です。

佐藤教授は「東日本大震災や熊本地震などで、みなし仮設や木造仮設など新たな取り組みが蓄積されてきた。経験や既存の法律を活かしつつ、被災地の現状に応じた多様な対応をすることが可能なはずだ」と話していました。

日々刻々と状況が変化する中で、復旧・復興にあたる国や自治体が被災した人の思いにどう答えていくのか、今後も取材を続けたいと思います。

  • 鈴木博子

    名古屋放送局 記者

    鈴木博子

    初任地は高松局。令和5年春から名古屋局の遊軍として子育て、福祉などを取材。幼い娘がいます。

ページトップに戻る