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開局90周年「長崎あん時ものがたり」①過去と今つなぐ観覧車

  • 2023年04月04日

これまでNHKに保存されてきた映像を紹介する新企画「長崎あん時ものがたり」。
第1回目は 長崎水族館・スケートリンク・長崎遊園地 を懐かしい映像で振り返ります。
今から27年前に閉園した「長崎遊園地」 通称 “福田の遊園地” のシンボルであった観覧車は別の場所で復活し、過去から今へと思いがつながっていました。

NHK長崎放送局  森下拓磨

長崎水族館(1959~1998)

1959年に戦後復興の象徴として開園した長崎水族館。

NHKに残る一番古い映像は2年後の1961年に昭和天皇が訪問した際のものです。

1961年4月24日放送(NHKニュース)

その後、1965年に国内で初めてキングペンギンの繁殖に成功した事をきっかけに、多くのペンギンを飼育する施設として人気になりました。

人気者であった キングペンギン「ぎん吉」(1962-2002)

しかし開園から39年後の1998年。
施設の老朽化や入館者数の減少により経営難となり、惜しまれつつも閉園します。

1998年3月31日放送 「さようなら長崎水族館 39年の歴史に幕」

長崎ペンギン水族館として再出発(2001~)

それでも、住民の強い要望と署名活動の結果、2001年からは現在の「長崎ペンギン水族館」として
再出発しています。

長崎ペンギン水族館(2022年撮影)

長崎スポーツセンター内 スケートリンク(1966~2010)

1966年、長崎スポーツセンター内に開設されたスケートリンク。
スキー場がない長崎県では、手軽に楽しめる冬のレジャーとして一時は年間10万人が訪れるなど
親しまれてきました。

1997年1月2日放送 「スケート場にぎわう」

2010年。こちらも施設の老朽化の影響などで、40年余りの歴史に幕を閉じました。

2010年4月1日放送 「さよなら長崎スケートリンク」

長崎遊園地(1957~1996)

そして、1957年に開業したのが長崎遊園地。
当時、県内唯一のテーマパークであり「福田の遊園地」の愛称で親しまれました。

最盛期にはジェットコースターなど17基の大型遊具が稼働。

さらに敷地内にはプールや海水浴場もあり、にぎわいました。

長崎遊園地の海水プール

中でも、園内にあった観覧車は長崎遊園地のシンボルでした。

長崎遊園地のシンボル 観覧車(画像中央)

しかし、県民に親しまれた遊園地は新たにできたテーマパークの台頭や、遊具の老朽化による経営難で1996年に閉園となります。

1996年8月31日放送 「長崎遊園地 きょう閉園」

来園者「(閉園は)さみしいですね。 ずっと子どもが小さいときから来てましたから」

来園者「長崎遊園地は遊んで泳げる場所なので、楽しんでいました」

来園者「長崎にはひとつしか遊園地がないから、遊ぶものがひとつ消えると思ったらちょっと悲しい」

遊園地閉園は時代の流れだった

当時、遊園地を運営していた会社に詳しい話を聞きました。
長崎自動車の高元信治次長です。遊園地が閉園した直後に入社しました。

高元次長「やっぱり会社としては、長崎の人に喜んでもらえる場所を作りたいというのが常にあるので(開園には)そういった思いが強かったんじゃないかなと思いますね。閉園は)本意ではなかったと思うので、なんとか継続に向けて動かれたとは思いますけど、どうしようもなくという所で、閉園という形を迎えたんだと思いますね」

現在の跡地は

利用者だけでなく、運営に携わった人たちの思いもたくさん詰まっていた長崎遊園地。
現在、跡地には大きなマンションが建ち並び、当時の姿は残されていません。

長崎遊園地(1996年撮影)
同じ場所から見た長崎遊園地の跡地(2023年撮影)
長崎遊園地の入場ゲート(1996年撮影)
現在はマンションの入り口に(2023年撮影)

大型商業施設にあった遊園地の面影

そんな中、今でも遊園地の面影を感じることができる場所があります。閉園から20年あまりを経た2008年に長崎自動車が建設した大型商業施設『みらい長崎ココウォーク』です。施設には、ひときわ目を引く大型観覧車があります。

観覧車でつながる「過去」と「現在」

この観覧車の設置を推し進めたのが
ココウォーク開業当時の長崎自動車社長、上田惠三さんです。

上田社長は、多くの人に愛された遊園地に強い思い入れがありました。
それを形にするために、遊園地のシンボルだった観覧車を新たに復活させたのです。

15年前ココウォークの開発担当を担っていた高元さんも、上田社長の観覧車への熱い思いを感じていました。

高元次長「当時の上田社長が強い思いがあったので 長崎遊園地をもう一度 みたいなところ。だから観覧車は絶対外せないというのがありましたね」

「(長崎遊園地で)みんなが楽しかった思い出とかってあるじゃないですか。そういった場所を無くしてしまったという所を、今一度そういったみなさんの思い出になるような場所を作りたい。そのシンボリックなのが観覧車です

惜しまれつつ閉園した長崎遊園地。思いや夢が詰まった観覧車は場所と形を変え、今も多くの人にとっての大切な場所になっています。

「長崎遊園地」のシンボル (1996)
「ココウォーク」のシンボル (2008~)

訪れた人「ココウォークっていったら、観覧車があって、いろんな買い物ができる場所」

訪れた人「この観覧車に乗ったことあります何回か。気晴らしにいいです。夕方、夜景とか人気あるんじゃないですか」

高元次長「長崎遊園地は無くなってしまいましたけれども、やっぱり楽しい思い出とか、みんなの憩いの場みたいなところ、そういった思いが ここの観覧車には詰まっていると思ってます

取材後記

私自身長崎で生まれ育ったのですが、長崎遊園地には行ったことはありませんでした。
両親からは「昔は福田の遊園地という場所があったんだよ」と聞かされていたので「どんな場所だったんだろう」と以前から興味がありました。

インタビューの中で遊園地の思い出を県民に聞くと、みなさんキラキラした目で「海水のプールが珍しかった」「初めてデートした場所だった」「スリラー館が怖かった」など色々な話を聞くことができ、「閉園してしまって寂しい」という声が多かったのが印象的です。

そして、ココウォークに引き継がれた長崎遊園地のシンボル・観覧車。
観覧車自体は新しく作り直されていますが、こめられた思いは遊園地があった「あん時」と変わっていないのだなと感じました。

  • 森下拓麿

    NHK長崎放送局

    森下拓麿

    2022年入局 長崎県出身
    ニュースディレクター
    2歳の娘のパパ

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