なぜ長野の学校は無言清掃?
- 2024年01月25日
おしゃべりせずに黙って掃除をする「無言清掃」は、長野県内の多くの小中学校で導入されています。「なぜ長野県では無言清掃を行う学校が多いの?」という疑問が視聴者から寄せられました。他県ではあまりみられない清掃方法がなぜ信州に根づいたのか?調べてみました。
(浅野怜央)
疑問に思ったきっかけは
疑問を寄せてくれたのは松本市在住の高校3年生、片原真帆さんです。県内で生まれ育った片原さん。小中学校ではずっと無言清掃が行われていました。友達とおしゃべりをして先生に怒られることもしばしば・・・。掃除の時間にはいい思い出がなかったといいます。
ちょっとしゃべっただけで先生に怒られて・・。正直納得がいかなかったです。なんでしゃべってはいけないんだろうと、ずっと疑問に思っていました。
また、当時は無言清掃は全国共通だと思っていたんですけど、最近長野県特有の文化だと知って非常に驚きました!
なぜ無言清掃が長野県の学校で多いのか?ぜひ調べてほしいです!
街の人に聞いてみると・・
「無言清掃」について街の人に聞いてみました。
無言清掃やっていました!しゃべったら怒られます。
そこ!何しゃべっているの!無言清掃だよ!って。
懐かしい。
もう20年以上前ですね。
みんな静かに掃除していました。
本当にきついです。
しゃべれないんで。
ジェスチャーで伝えるんですけど無理です。限界がありますね。
学校を訪ねてみると・・
「無言清掃」に熱心に取り組む長野市の豊野中学校を訪ねました。
掃除の時間のおよそ15分間、校内は静まりかえります。
生徒たちは黙々と掃除をします。
しゃべってはいけないんですか?
しー!
すみません・・・
清掃についてよかったことを発表しあいます。
机の下まできちんと雑巾がけができてよかったです!
隅のほうのゴミまでしっかりとれてよかったと思います。
これで掃除の反省会を終わります。お疲れさまでした!
7割以上の学校が導入
県内の学校数が多い4つの市の公立中学校を取材しところ、
長野市は24校中16校。
松本市は19校中15校。
上田市は11校中9校。
飯田市は9校中8校。
7割以上の中学校が「無言清掃」を取り入れていることが分かりました。
なぜ長野県で広まったのか?
なぜ長野県で「無言清掃」が広まったのか?。
学校の校則や生徒指導に詳しい専門家に聞きました。
諸説あるんですが…。
一つには1970年代に長野県のある先生が学校に導入し、そこから無言清掃が広まった、という説です。
その先生とは当時、中野市の学校で校長を務めていた竹内隆夫先生です。
「無言清掃」が広まったとされるのは1970年代。中学生の非行が社会問題になっていた時期だったといいます。そこで竹内先生が目をつけたのが寺の修行で行われていた清掃でした。
1970年代、当時の学校は非常に荒れていたんですね。中学生がたばこを吸ったり、暴力事件が頻繁にあったり…。生徒がきちんと学校の掃除をする、という雰囲気ではなかった。どうすれば生徒たちの生活態度がよくなるのかと、先生たちは頭を悩ませていました。 そんな時、福井県の永平寺のお坊さんたちが、修行の一環で黙々と熱心に掃除をしている姿を目にした竹内先生は、これは効果が期待できるかもしれないと考え自分の学校に取り入れたのです。
寺の清掃からヒントを得て学校に導入された無言清掃。数年で効果があらわれ、荒れていた学校を立て直したことから注目を集めました。その後、多くの学校が無言清掃を取り入れ、県内に広まることになったといいます。
継承される「無言清掃」
県内の中学校では、年に2回「清掃サミット」が開かれています。代表の生徒や教師が一堂に会し、各校の清掃の取り組みについて発表します。教育現場での清掃の大切さが語り継がれているのです。
もともと長野県は教育に熱心な土地柄です。
それに教員組織もしっかりしていて、誰かが考えた教育方法を
みんなで一緒に実践してみよう、という風土がもともとあった。
だから長野県の中で広まりやすかったのだと思います。
無言清掃について生徒に聞いてみると。
集中できるので掃除が楽しくなりました。ふだんの生活の中でいろんなことに対して隅々まで目が届くようになったと思います。
勉強にも集中できるようになって
続けてよかったなと思います。
さらにこの学校では生徒たちの提案でこんな取り組みも行っています。
私たち美化委員会が清掃中に見回りをして、その中から清掃チャンピオンを毎月選んでいます。このように全校で共有することで私たち1人1人の清掃の意識が高まって、より清掃に集中して取り組めるようにしています。
「無言清掃」は無言になるのが目的ではなくて、掃除を一生懸命やることで自然と無言になるというのが私たちの目指している姿です。自分たちの使っている校舎や教室をきれいにすることも大切だと思いますが、やはり掃除を通して人間性を高める人間磨き、心磨きみたいな部分も大事にできたらと思っています。
なぜ長野県は無言清掃?
今回の結論です。
▼長野県のある先生が寺の清掃からヒントを得て荒れていた学校を建て直した。
▼そこから多くの学校が無言清掃を取り入れて広まった。
▼今も掃除をテーマにした集まりをしている。
なぜ長野県で無言清掃?に対して導き出した一つの説です。※諸説あります。
どっこい清掃って何?
さらに学校の掃除の取材を進めていくと、一風変わった掃除を取り入れている学校がありました。
掃除の時間になると不思議なかけ声が・・。
全員で「どっこい」と声を出しながら掃除をするその名も「どっこい清掃」です。
「無言清掃」の対局にあるようなこの掃除が始まったのはおよそ40年前。
ある生徒が掃除を盛り上げようと「どっこい」と声を出したことがきっかけでした。
全員で声を出すことで一体感が生まれ、掃除に前向きに取り組む生徒が増えたといいます。
最初は恥ずかしくて少し緊張したんですけど、慣れていくごとに今は楽しくなってきています!
どっこい清掃を通じて全員と心が一つになれて今は掃除が楽しいなと思います。
連帯感やつながりを感じながらしんしに掃除に向き合って、床を磨いたり、廊下を掃いたり、非常にいい清掃ができていると思っています。
「自問清掃」とは・・?
放送後に大町市在住の視聴者の方からこんなお手紙を頂きました。(一部を抜粋してご紹介します)
こんにちは。「無言清掃」の放送興味深く視聴させて頂きました。
私も元教員であり、こうした清掃に取り組んだことがあるので興味深く視聴させて頂きました。特に竹内先生のお名前が出たきたのがうれしかったことでした。
無言清掃は「黙ってやる清掃」=「無言清掃」という取り上げ方が多いと思います。
ここでは「無言清掃」に外見は似ているけど、目的が異なる「自問清掃」について紹介させて頂きたいと思い、手紙をお送りさせて頂きました。当時、荒れていた学校を指導するにあたり、竹内先生が実践されていたのは「精神性を高める教育」の実践でした。「必要な教育は、知識を保有する人間ではなく、それを使いこなせる人間になること」その教育の実践の一つが「自問教育」だということです。
当時、このような約束事があったといいます。
①校舎に対する感謝の心を生じた人が清掃する。(心が無ければ清掃しなくて可)
②自分から仕事を見つけて取り組む
③感謝の心がなく、まだ仕事が見つけられない人、体調がすぐれないひとは休んでよい
④休んでいても私語はしない
⑤未完成でも時間が来たら終了する
⑥きれいにするのが目的ではないので時間がきたら用具を片づけ、終了する
⑦生徒間でも指示や依頼はしない
⑧先生も生徒への指示はしない
⑨休んでいる人がいてもねたまない
⑩大きい机を運ぶなど自分でできなくても、人を呼ばないで自主的に来るのを待っている
「自問清掃」が成立するには工夫と忍耐が必要です。「みずから問う」生徒を育成することの意義が全職員に共有されており、生徒にもその価値を伝え、理解させる必要がありました。そのためには校長先生の講話だけではなく授業の改善や生徒会活動、部活動など学校生活全体が同じ目標に向かって工夫された実践ではなくてはいけませんでした。
現在、「無言清掃」は広く残っていても「自問清掃」ということばを聞く機会が減ったのも、
「やんちゃな生徒」を見なくなってきたと共に、「教師のさが」=「待てない」も関係していると思います。つまり「自問清掃」の実践が成立するまでには忍耐が必要なのです。
もし「無言清掃」の続編があれば、ぜひ「自問清掃」について取材してほしいです!
現在でも「自問清掃」と銘打って実践している学校があるかもしれません。
最後に、それぞれの個性を発揮した楽しい番組作りを今後も続けてください。期待しています。
このような貴重なご意見を頂きました。本当にありがとうございました!
同じ「しゃべらない掃除」でも「無言清掃」とは目的が異なる「自問清掃」とはどういうものなのか?
今後も取材を続けていきたいと思います。
この記事を読んでくださった読者様の中で「自問清掃」についてもし情報があれば、ぜひNHK長野放送局までお寄せください!
取材後記
疑問を寄せてくれた片原さんに調査結果を伝えたところ、「学校が荒れていたという時代背景が関わっていたのは驚きました。でも今は真面目な生徒が多いので無言清掃は時代に合っていないと思います」という率直な感想が返ってきました。 小中学校を東京で過ごした私自身も、「無言清掃」を最初に知った時は非常に驚きました。また「無言清掃」や「どっこい清掃」も教育的な必要性から学校が生徒にやらせているもの、という印象を正直持っていました。しかし実際に学校に行ってみると、意外にも楽しそうに納得感を持って取り組む生徒が多かったのが印象的でした。 そもそも学校の掃除については「生徒にやらせるべきなのか?」「雑巾やほうきは時代遅れではないのか?」など疑問や考え方もさまざまあるようです。これからも「学校の掃除」について取材を続けていきたいと思います。