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柴田アナの“遠くへ行きたい!”

~松本市・あがたの森から東へ~
  • 2024年03月29日

 

九州出身で、信州は初心者の私。鉄道・バスで歴史スポットなどを訪ねるのが大好きで、地理的にも時代的にも“遠くへ行きたい!”と、信州の各地を公共交通機関でふらりと訪ねた様子をつづります。風の吹くまま、気の向くままに・・・。

今回は、松本市です。松本市の歴史スポットというと、「松本城」や「旧開智学校」などがすぐに思い浮かぶかもしれませんが、今回訪ねたのは「あがたの森公園」と、その東の方面です。冒頭の写真は、あがたの森公園の池で撮った1枚。すてきな場所なんですよ。

松本駅から、大通りをまっすぐ東へ向かうと、NHK松本支局があります。まつもと市民芸術館の隣ですね。

駅から歩くこと20分あまり、「あがたの森公園」に到着です。シンボルは、なんといってもヒマラヤ杉の並木!市民の憩いの場として、親しまれています。

かつてこの地にあったのが、「旧 松本高等学校」。大正時代の開校です。旧城下町から少し東に離れた、県(あがた)の地が選ばれました。上の写真は、大正11年に建てられた「講堂」です。

こちらは、大正9年完成の「本館」です。大正デモクラシーの思想が反映された、この時代の代表的な洋風木造建築で、学校建築史上、貴重な建造物として、講堂とともに国の重要文化財に指定されています。本館の入り口は、道路に面していて、明治期の権威的で荘重な表現と違い、機能的で親しみやすいものになっています。中央の窓の上のところ「マンサード屋根」というそうで、このほかにも各所に意匠が凝らされているそうですよ。

本館の中に入ることもできるんです。こちらは、復元された教室。木の机が並んでいて、裸電球が1個、ぶら下がっています。当時の学びやの雰囲気を感じられますね。

窓際の席からの眺めです。当時の生徒たちも、こんな景色を眺めていたんでしょうね。

教室には、先生のことばも!「自ら考えて学びとる」「教室の外では羽目(はめ)を外すこと」など、自由で自主性が大切にされていたことが伝わってきますね。

公園内にある石碑には、「われらの青春ここにありき」と刻まれています。戦後の学制改革により廃止となるまで、多くの人材を輩出し、他の学校と統合され信州大学へと生まれ変わりました。
松本高等学校の卒業生の1人で、「どくとるマンボウ」シリーズで知られる作家、北杜夫。彼の日記と、自身が作製した昆虫標本の実物を紹介する企画展が、公園内の旧制高等学校記念館で5月6日まで開かれていますよ。

あがたの森公園から東へ、歩いて30分弱。こんもりとした古墳が見えてきました。県の史跡「針塚(はりづか)古墳」です。5世紀の後半に築かれた、珍しい構造の古墳なんだそう。近くを流れる薄川(すすきがわ)から採取された河原石が1万個以上使われたと推定されています。

古墳からは西の方角に、松本の市街地と北アルプスを見渡すことができます。古代の人も、こんな景色を眺めていたのでしょうね。なお、古墳から出土した銅鏡(どうきょう)や土器などは、松本市立考古博物館で収蔵展示されているそうです。

さらに、数分歩いていくと、兎川寺(とせんじ)というお寺に到着しました。このお寺、去年の大河ドラマに登場した、あの人物にゆかりがあるんですよ!

初代松本城主とされる「石川数正」とその妻の供養塔があります。石川数正は、去年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で、俳優の松重豊さんが好演して、注目されましたよね。徳川家康を、家臣として長年支え続け、小牧・長久手の戦いの後、家康のライバルである秀吉のもとへ謎の出奔をしたことで知られています。

私、大河ドラマ関連のイベントや企画で、松重さんとトークをしたり、松本城を一緒に訪れたりしました。ドラマの場面を思い浮かべながら、お参りしました。ずっと訪ねたいと思っていたので、念願がかないました!

帰りに、筑摩(つかま)神社にお参りした後、近くの橋から西のほうを見ると、ちょうど北アルプスに日が沈む直前でした。薄川(すすきがわ)の川面に夕日が映って、本当にきれいでした!

旅の締めくくりに、松本城にも足をのばしました!夕暮れ時の国宝・松本城、やはり、絵になりますよね。お堀の水の上、白鳥も気持ちよさそうに泳いでいました。

松本の歴史旅、大正から戦国、古墳時代まで・・・楽しいぶらり旅になりました!

※今回の旅の料金
長野-松本(JR信越本線・篠ノ井線) 片道1170円

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