釜石からガザへ 「とにかく生きていて」
- 2023年11月06日
イスラエルとイスラム組織ハマスの大規模な軍事衝突が始まって1か月。危機的な状況が続くパレスチナのガザ地区では、多くの子どもたちが犠牲になっています。
岩手県釜石市では、子どもたちなどが東日本大震災をきっかけにガザ地区の子どもたちと交流を続けてきました。深刻な人道危機が叫ばれる今、それぞれが自分たちにできることは何か模索しています。
(NHK盛岡放送局 アナウンサー 菅谷鈴夏)
ガザと釜石 空でつながる心の交流
ガザ地区と釜石市の子どもたちの交流の始まりは「たこ揚げ」。
釜石も甚大な被害を受けた東日本大震災の翌年、ガザの子どもたちおよそ1000人が被災地の復興へ願いを込め、たこを揚げました。
その思いに応える形で、釜石の子どもたちがガザの平和を願いたこ揚げを始めるなど、戦闘と震災、つらい経験をした子どもたちの間に、互いへの思いやりが芽生えました。
その後も交流は深まり、ガザの子どもたちが釜石を訪問したことも。
ともにたこ揚げをし、直接思いを交わしました。
子どもたちの心の交流は受け継がれ、震災から12年となったことしも続いています。
被災地の更なる復興を願い、難民の子どもたちおよそ500人が集まって、日本の国旗をイメージしたデザインなどを思い思いに描いた、たこがガザ地区の空を彩りました。
しかし今、たこを揚げてくれた子どもたちは無事でいるのか、分からない状況です。
「もう生きる望みがない」
ガザと釜石の子どもたちの交流を支援してきた佐藤直美さんです。
あの子たちは無事なのだろうか。
佐藤さんは軍事衝突が始まってすぐ、ガザにいる友人に連絡をしました。
佐藤直美さん
「最初に元気ですかってことを聞いたら、ひとまず元気そうなメッセージが帰ってきたんですけど。そのあと、ガザの子どもたちがたくさん犠牲になっているニュースが入ってきてから、もう一度メッセージを送ったら、かなり深刻なメッセージが返って来ました」
ガザ地区の戦況の悪化に、深まる人道危機。返ってきたことばは、絶望的なものでした。
“もう、私たちに生きる望みはない”
“せめて安らかに死ぬことを願うだけ”
佐藤直美さん
「ことばを失いました。返す文章が見つからない。でも、あなたのメッセージを届けますということと、生きていてくださいということは、メッセージで送りました。ただ、既読になっていないので、まだ届いていないんだろうと。心配ですし、悲しいです」
「自分にできることは」考え続ける子どもたち
そうした中、ガザでの空爆が始まってすぐ、釜石の子どもたちから「たこを揚げたい」と佐藤さんに連絡がありました。
佐藤直美さん
「ガザの同世代の子どもたちに、とにかく生きていてほしいって思っているのは私だけではなく、子どもたちも同じ。心を通わせたからこそ、子どもたちも自分だけが良ければいいっていう状況じゃないんですよ。ガザの状況を知って自分なりに考えてくれたことだと思います」
震災が起きた時、ガザの子どもたちが思いを寄せてくれたように、今自分たちにできることを考え続ける釜石の子どもたち。
10月、ガザの友達へのメッセージを込めたたこが空高く揚がりました。
ガザの子どもたちに希望を失ってほしくないと作った、たこ。
厳しい状況の中、必死に生きているであろう友達を思い、子どもたちは寄せることばも慎重に選びました。
その中には「世界が絆でつながりますように」という願いを込め、「いとへん」に世界の「世」をあわせて創造した、一つの漢字を書いたものもありました。
またガザ地区で医療活動を行う団体が、子どもたちの心のケアのために折り紙を作っているという話を聞き、次に届ける機会が巡ってくるときまで、鶴を折り続けることを決めました。
子どもたちに「今自分たちができることは?」と改めて問いかけると、こう、回答が返ってきました。
“現状をもっと多くの人に知ってもらうことが必要だと思う。たくさんの人が亡くなっていて、電気も食料もいろいろなものが足りていないということ。ガザやイスラエルに憎しみを感じている人ばかりではないということを”
“常にガザの人たちのことを忘れずに生きる。
パレスチナ側だけの立場で考えない、イスラエル側の立場も考える”
“僕たちには、戦争を止めることはできない。でも、戦争を知ることはできる”
“僕は、できることからやっていくべきだと思う。例えば、募金活動やこのような現状を知ってもらうことなど、少しずつでもできることに協力したりして、自分以外の他の国の子どもたちの支援をしたいと思っている”
答えを出すことが難しいことにも、子どもたちはできることを自分なりに考え続け、行動しようとしています。佐藤さんなど、交流を支援する大人たちは、こうした子どもたちの思いを深めてあげることが、自分たちにできることだと模索を続けます。
佐藤直美さん
「忘れないっていうこと。みんなガザのことを思っているよってことを届けたいですね。ガザの状況がこの活動で何か変わるっていうことはまずないと思うんですが、ただ、ガザの人たちに少しでも届いたらいいなという願いをこめて、続けていきたい」