“記憶はないけれど伝えたい”
- 2023年07月13日

「あの時助かったから、いま生きている人がいるっていうのは大事だと思う。だから生きてほしい」
東日本大震災の語り部活動をする岩手県釜石市の高校生のことばです。
震災当時の記憶が全くないという彼女は、自分に“伝える資格”があるのか悩んでいました。
それは、取材した私自身にも重なるところがありました。
震災について取材をしていると「想像してもしきれないような当時の状況を、ここにいなかった自分に伝える資格があるのか」と思うことがあります。彼女はは葛藤の末に何を思い語り部を続けているのでしょうか。
(盛岡放送局 記者 梅澤美紀)
“震災が他人事”
釜石高校3年の大瀧沙來さん。
この日、釜石市で神奈川県鎌倉市の高校生たちと待ち合わせをしていました。
大瀧さんは、鎌倉の高校生たちが企画した鎌倉市での防災イベントに、震災の語り部として招待されていました。そのイベントを前に鎌倉の高校生が釜石を訪れたのです。
大瀧さんは各地を案内しながら自分たちの生活に震災の教訓が根付いていることを説明しました。

大瀧沙來さん
「例えばイオンに遊びに行ったりとかしたら、津波が来たらどこに逃げるべきかって、私たちは考えています」
大瀧さんは、このとき鎌倉の高校生が話したあることばが特に印象に残りました。

「やっぱり(鎌倉では)震災が他人事。あれが鎌倉で起きたらっていう事は、考えることがない」
自分もかつては“他人事”だった
「震災が他人事」。
このことばは、大瀧さんにも心当たりがありました。
釜石市の内陸部で生まれ育った大瀧さん。震災当時は5歳でした。保育園にいるときに地震が発生し、先生に連れられて校庭に避難したということを後になって聞きましたが、当時のことは全く覚えていないといいます。
中学生の頃まで、震災や防災は、どこかひと事だと感じていました。
大瀧沙來さん
「教科書に、鵜住居小学校と東中学校の生徒が一緒に逃げている写真とかが載っているんですけど、私にとっては全く知らない、生まれる前の出来事だって思っていたくらい。本当に何も関わりがないという感覚でした。防災にも興味がなくて」
震災や防災に興味を持ったのは、高校生になってからのことです。
震災の伝承や防災活動に取り組む、釜石高校の生徒有志のボランティア団体「夢団」というグループに入ったことがきっかけでした。それでも、当初は内容に興味があったというわけではなかったといいます。
大瀧沙來さん
「本当に暇つぶし程度くらいの感覚で。ボランティア活動というものに少し興味があって、どちらかというと防災という中身よりも、ボランティア目当てで入ったんです」
しかし、震災の記憶のある同級生や地元の人たちの話を聞いていくうちに、ひと事のままにしていてはいけないと考えるようになりました。

大瀧沙來さん
「本当にその時、自分は生きていたんだな・・・みたいな。記憶はないけれど、本当にその時、釜石にいたんだなって思って」
震災当時、確かに自分は大きな被害があった釜石市にいて、そして生きていた。
だからこそ今の自分がいる。
記憶はないが、そんな自分に何かできることはあるのか。
大瀧さんは地域の人や同級生などに当時の状況など聞きながら、語り部の活動をするようになります。
そして今回、グループを代表して鎌倉の高校生が企画した防災イベントで話をすることになったのです。

記憶がないから語れること 語れないこと
これまでの語り部は2~3分ほど原稿を読み上げる形でした。
しかし、今回の持ち時間は20分。
これだけの時間の中で、自分は何を話し、何を伝えることができるのか。
大瀧さんは頭を悩ませていました。

大瀧沙來さん
「実際の経験を聞きたいという人がほとんどだと思うんですけど、記憶がないから、じゃあ自分に何を伝えられるんだろうって思って…」
大瀧さんは、なぜ自分がイベントに呼ばれたのか。そのことの意味を考えていました。
大瀧沙來さん
「私にしか伝えられないことがあるから呼ばれたのかなって。記憶がないという事は隠さずに、むしろそれが私が呼ばれたいちばんの理由なんじゃないかと個人的には思っています。それをどううまく伝えていこうか考えています」

かつて自分が震災や防災に興味を持たなかった事を、ありのままにさらけ出すことも考えました。
大瀧沙來さん
「釜石で生まれ育った私ですら、震災や防災に興味がなかったし、ひと事だった。都会で全く知らない地域だったらなおさらだし、だから、関心が低いのは仕方がないと思う。記憶もないし防災に興味もなかったのに、なんで今こうしているのか。正直に話すことで、身近に感じてもらえるんじゃないか。身近に感じるからこそ、自分も防災に一歩踏み出せるんじゃないかって思える、ほんのちょっとのきっかけになれば」
一方で、自分のことばで伝えるのは難しいと感じていることもありました。
大瀧沙來さん
「命がいちばん大切だって、私が言っちゃだめと思ってしまう。だって記憶がないんですよ。たとえいろいろな人の話を聞いてたとしても、自分が想像しているよりも何千倍も大変だっただろうし、ことばで表せないような状況だったと思うんです。それを知らないのに命がいちばん大切だなんて・・・」
「命を大切にしてほしい」という思いは、大瀧さんが語り部を続ける原動力の一つです。
それでも、記憶のない自分が口にするには、あまりに責任の重いことばではないかと思い悩んでいました。
背中を押してくれた人たち
迎えたイベント当日。大瀧さんは、初めて鎌倉を訪れました。
イベント前に鎌倉の高校生たちと向かったのは、市内の商店街。
いくつかのお店に、あることへのお礼を伝えることが目的でした。

実はことし3月、夢団と知り合った鎌倉の高校生たちが、夢団の活動を支援するための募金活動を行ったのです。およそ40万円が集まり、釜石の夢団に届けられました。大瀧さんは、その際に募金箱の設置に協力してくれた店舗を訪れ、お礼を伝えました。
募金に協力したアイスクリーム店 店長
「本気で応援しています。湘南エリアも防災に関しては意識高めていかないと。何か起こったときにっていうよりかは、やっぱり備えることが大事。その大切さを伝えようとする若者たちの活動に心惹かれました」
イベントで鎌倉の人たちに向けて自分の語りがどう伝わるか、怖さも感じていた大瀧さんですが、まちの人たちのこうした応援のことばが、少しだけ背中を押してくれました。
大瀧沙來さん
「遠く離れた鎌倉の方々がこんなふうに応援してくれて、本当にうれしいし、尊敬する。ちょっと勇気をもらえたので、いま自分ができる精一杯のことをやろうかなって思ってます」
ことばにした思い
イベント会場には、地域住民など40人余りが集まりました。
大瀧沙來さん
「私には全く震災の記憶がないという状況です。それでも今、夢団の語り部の1人として参加させてもらっています」
大瀧さんは、冒頭から自分の震災の記憶がないことを正直に話しました。
「私は震災当時の記憶がありません。それどころか、中学校までは全く防災とか震災に興味がなくて。どこか他人事といいますか・・・」
「そういう全く興味のなかった私ですが、今はこの場にいられるくらい、防災に興味を持っています。そんなに難しく固くならずに、自由に気軽に防災への第一歩を踏み出す人が増えてくれればいいなって思っています」
記憶がないのに震災を話すということに、どこか後ろめたさを感じていた沙來さん。
それでも語り部をする理由はなにか。
伝えたかった思いを、ことばにしました。

「語り部をする理由は、生きてほしいって思ったからです。あの時助かった人が、いま生きて、私のそばにいるということは事実で。あの時助かっていなければ、いまここにいないって思うと、すごく怖くて。それは、他の人には経験してほしくない。私は記憶がないけれど、でも身近に、あの時助かったから今生きているっていう人がいるっていうのは、記憶がないけどすごいことであって、結構、大事だと思うんです」
「一人ひとりに人生があって、家族があって、友達があって。そういうことを考えたら、やっぱりどんな人でも生きていてほしいなって思ったので、語り部を今、頑張って続けています」
大瀧さんの話を聞いた人たちは、何を感じたのか。
鎌倉市 40代
「体験を覚えていないというのが、いちばん最初にすごく驚きました。そういう方が話すというのは、より体験していない自分たちにとって、すごく考えるきっかけになりました」
横浜市 50代
「関東とか横浜とか、自分の身近な地域でも必ず誰もが一度は経験するであろうって言われていることなので、ひと事だと思わないで考え続けることが大切だと思いました」
鎌倉市 30代
「僕は関西出身で、幼い時に阪神淡路大震災があったんです。僕も記憶にほとんどなくて、でも大きな出来事としてずっと心に残っている。それを自分の中で大切にして、さらに周囲とシェアしていくっていうことが、すごく重要なことだと思いました」
記憶がなくても
発表の直前、「記憶のない自分の語りに納得しない人もいるのではないかと思うと、怖い」と私に話していた大瀧さん。イベントが終わった後は、どこかほっとしたような、明るい表情に見えました。

大瀧沙來さん
「今までは記憶がないっていうことをすごくネガティブに捉えていたんですけど、記憶がないなりに思うことがあるし、逆に記憶がなくても命の大切さとかありがたみとか、そういうのが身近な人から感じられるんだなっていう発見がありました」
「私の発表を聞いて、逃げようと思ったとか、命を守ろうと思ったみたいに言ってくださったのがうれしかったし、また頑張りたいなって。応援された気分になりました」

取材後記
「記憶はなくても、命の大切さは感じられる」と気づき、それをことばにして伝えた大瀧さん。
震災でどんな経験をしたか、どれだけ記憶があるか、それは人それぞれ異なります。
しかし一人ひとりの思いに耳を傾け、そこから何かを感じ、周囲に伝えていくことは、経験や記憶の濃淡に関わらずできること、濃淡があるからこそ共有していかなければならないことだと感じました。
大瀧さんも、企画した鎌倉の高校生たちも、震災の記憶がわずかにあるか、あるいは全くない世代です。そんな若い世代が震災を語り継いで“命を守る大切さ”を伝えていく姿を追い続けるとともに、自分自身も、取材を通して伝え続けていきたいと感じました。