宮崎の観光名所 青島でサーフィンが盛んになったのはいつ?
- 2023年04月12日
今回のてげ探は、ラジオ特番「ビビフェス」からの特別編。会場の青島にちなんだ疑問です。
「青島でサーフィンが盛んになったのはいつ?」、そして「青島で初めてサーフィンをしたのは誰?」に迫ります!
ことの発端は3月21日(火・祝)にFMで放送した「ビビフェス!2023 in Aoshima」。
疑問を寄せてくれたのはこの人。
番組のMCを担当してくれた、フリーパーソナリティの木村つづくさんです。ラジオの放送で盛り上がったので、今回テレビ用に追加取材をしちゃいました。
ヒントを探しに青島へ
まずは地元・青島の海に日頃から親しんでいる青島中学校サーフィン部の皆さんに聞いてみました。
中には青島出身の生徒もいますが…。
有力な答えは得られなかったので、青島に詳しそうな方を探しました。
青島神社の参道近くで50年以上続いている土産物店。
お店の鈴木伸子さんに聞いてみると…。
ついに有力な情報をゲット
ということで、次は青島の老舗サーフショップに。
店主の上原文廣さん。
18歳でサーフィンをはじめ、今でも毎週のように波に乗っているそうです。
47年前にお店を始めた当時はサーファーも少なく、ビーチサンダルにアロハシャツ姿の上原さんはかなり浮いていたんだとか。
上原さんが仲間内で開いていた小さな大会が、全国区になったきっかけがこちら。
今から34年前の1989年(平成元年)、青島のお隣り「木崎浜」で
宮崎県初の全日本サーフィン選手権が開かれました。
翌年の1990年にはアマチュアの世界大会が。
そしてその翌年の1991年から3年連続で、なんとプロサーファーの世界選手権が開催されました!
世界のトップ選手が出場することで一気に宮崎の名前が広まり、たくさんのサーファーが波乗りをしにくるようになりました。
ということで、青島でサーフィンが盛んになったのは34年前から隣の木崎浜で有名な大会が次々と開かれるようになったから、という結論にたどり着きました。
サーファー第1号は…?
では青島で初めてサーフィンをしたのは上原さんなのか。
聞いてみると…。
濵田さん…?
上原さんの言う濵田さんとは、濵田紀文(はまだ・のりふみ)さんという方。
昭和42年ごろから外国の雑誌を取り寄せるなど研究し、
青島で初めてサーフィンをした方なんだそうです。
濵田さんのもうひとつの顔
濵田さん、ある青島名物とも深いかかわりがありました。
それが「冷やしパイン」。
濵田さんの実家はパイナップルの卸売業を営んでいて、父親と一緒にパイナップルを台湾から輸入していました。その頃の青島は「フェニックスハネムーン」でにぎわっていて、新婚さんたちの間で人気となった冷やしパインブームの火付け役ともいえるのです。
濵田さんは12年前に病気で亡くなられていたため、妻の麗子さんに、濵田さんがどんな方だったか伺ったところ。
せっかく海の近くに住んでいるからとサーフィンをはじめ、大きな波を求めてサーフィンに行っては満足して帰ってくるような方だったそうです。
冷やしパインは今
濵田さんが営んでいたパイナップルの卸売業、現在は義理の弟さんが受け継いでいて、青島ならではの文化は守られています。
また、3年前には濵田さんの長男の妻・恵さんがパイナップルにこだわったカフェをオープンしました。
新婚旅行ブームの時に宮崎に来た方々が仕事を引退して、最近になってもう一度宮崎遊びに来るといったケースも少ないんだそう。そこで濵田さんの長男・琢磨さんは…。
いろんなパイナップルな楽しみ方を考えているそうです。
サーフィンの謎を追いかけていたら冷やしパインの歴史に行きついたところで、今回のてげ探は終了。
「てげ探」は、毎週木曜日の「てげビビ!」の中で放送しています。
皆さんからの疑問・質問を募集中です。
こちらからどしどしお寄せください!