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能登半島地震 茨城ゆかりの輪島塗職人は燃える工房に戻った

「戦争みたい・・・」16年分の思い出の焼け跡で
  • 2024年02月15日

41歳の輪島塗職人は震度7に襲われた夜、工房を兼ねた自宅に戻った。燃えさかる街と爆発音に「戦争みたい・・・」と、ぼう然とするしかなかった。
茨城大を卒業後、結婚し娘も生まれ、16年暮らした輪島市。1か月ぶりの焼け跡で職人は再起を誓う。
(NHK水戸放送局 記者 戸叶直宏)

石川県輪島市の輪島塗職人、諸石健太郎さんです。元日、自宅に1人でいたところ、震度7の揺れに襲われました。
 

(輪島塗職人 諸石健太郎さん)
本震が来て、ちょっとこれはただ事じゃないと。立っていられないような感じで、外に出ると、周りの家が次々に倒壊して、土煙が上がって、うちの前も戸板が外れたりとかガラスが割れたりとかして・・・

妻と出会い娘が生まれた輪島が・・・

諸石さんは茨城大学を卒業した後、輪島塗を学びに石川県に移住しました。

妻の優子さんと作品展

茨城県結城市出身で同じく輪島塗職人の妻、優子さんとともに、5年半前から工房兼自宅を輪島市の「朝市通り」の近くに構えていました。

“本当に戦争みたい・・・”

元日は、妻と子どもが茨城県結城市の実家に帰っていたため、地震のあと1人で自宅を出て高台に避難した諸石さん。その後、輪島朝市で火災が広がっていると聞き、その日の夜、自宅の様子を見に歩いて戻ったといいます。

 

自宅の2階から火が吹き出る 撮影:諸石健太郎さん

(諸石健太郎さん)
近づくにつれて熱い熱と煙とが、どんどん近づいてきて、家はちょうど一番燃えさかってるところで、2階から火が噴き出している状態でした。プロパンガスとか、家の前に止まっている車とか、爆発ししている音がどんどん聞こえてきて本当に戦争みたいな感じがして、呆然とするしかなかったですね。

よみがえる近所の人たちとの思い出

かつての自宅の前で遊ぶ諸石さんの娘

16年暮らしてきた輪島市。結婚して子どもも生まれ、子育てと職人の仕事に、充実した日々だったといいます。多くの建物が焼け落ちた今でも、近所の人たちとの思い出がよみがえるといいます。

(諸石健太郎さん)
子どもがまだちっちゃいので、いつも保育園に行くときとか散歩するときとかに、いつも声をかけてもらったりとか仲良く遊んでもらったりとかしていたので。全部崩れてしまっているんで、やっぱり寂しいですね。

焼け跡で迎えた1か月、再起を誓う

左:諸石さんの自宅    右:焼け跡から見つけた道具

諸石さんは、避難所で一夜を過ごしたあと、妻の実家がある茨城県結城市に避難。
2月1日は、1か月ぶりに輪島市に戻り、何か残っているものがないかと、焼けた家の跡を探し回っていました。

(諸石健太郎さん)
妻と2人で作った漆器や作品とか、もう全部、木と漆でできているので燃えてしまうと何も残らない。残っていないのが悲しかったですね。完全に全部一旦、途切れて、何をするわけでもなく過ごす1ヶ月だったので。正直、毎日状況も変わっていて、どんどんわかんないことばっかりなんですけど、この期間でしっかり次のことをできることを考えていけたらと思っています。

諸石さんは2月6日、輪島市が用意した応急仮設住宅に入ることができました。これまで、夫婦で子育てをしながら昼は漆器店で職人の仕事、夜は自分たちの作品の制作と、睡眠時間を削り働き詰めでした。まずは仮設住宅で、今後のことを考えながら、生活を立て直していきたいということです。

全国の仲間から、支援の輪が

同級生から砥石などの道具を譲り受ける

そんな諸石さんに、全国の職人仲間から心強い協力が広がっています。諸石さんがSNSで被災を報告したところ、全国から、漆器作りの道具をお裾分けしたいという申し出が相次ぎました。
諸石さんは、全国をお礼に回りながら、これからの活動について考えていきたいと話していました。

  • 戸叶直宏(記者)

    水戸放送局 

    戸叶直宏(記者)

    栃木県栃木市岩舟町出身。2010年入局。
    福岡→横浜→首都圏→社会部(文部科学省など教育担当)→週末に家族に会うため水戸に異動してきました。

    教育現場の「不公平さ」の取材を続けてきました。
    子どもや障害のある人などの権利について当事者の声を社会に伝えていきます。

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