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78年前の“戦争体験” 私たちが向き合う意味は?「平和教育」を考える

8月になると突然 “戦争”のことを考える…それでいいんだっけ?
そんなモヤモヤを抱える人にお届けしたい、戦争や歴史との“新しい”向き合い方を模索する若者たちのお話。

戦後78 年、これから私たちが“自分ごととして”過去の戦争に向き合い、未来を考えていくためにはなにが必要なのか。若者たちの模索、そして「平和教育」先進国とされるドイツの教育現場から考えます。

(NHK社会番組部ディレクター 酒井有華子)

若者たちのモヤモヤ「このままの“平和教育”で大丈夫?」

(第五福竜丸展示館で開かれたイベントに参加した人たち)

7月、都内で開かれたイベントに20代~30代の若者たちが集まりました。自分たちは歴史にどう向き合い、過去の体験をどう受け継いでいけるのか-。グループワークで、それぞれが抱える“モヤモヤ”を共有すると…

広島出身の20代の大学生

当時こういうことがあって、人が苦しんで、核兵器ってよくないものだよというところまでは平和教育で学んだけど、じゃあそこからその後の核の水爆実験だったり、原子力発電だったり、今現実の問題として引きつけて考えるというところまではいかなかった気がしています。昔起こったことで終わっちゃう感じ。おじいちゃん、おばあちゃんってこういうことがあったで終わっちゃう。我々の世代の問題として捉えていないように感じています。

20代の小学校教員

小学校は特に被害の歴史しか教えないです。教科書に書かれているのはすべて原爆のことだし、そこから平和を学ぶ、戦争を学ぶみたいな感じです。

イベント参加者

政治教育とかも、どこまで学校の教育現場で教えるのかっていうのがあるじゃないですか。やっぱり“教師の政治観に左右されちゃう”みたいな…。公立では難しいのかもしれない。

聞こえてきたのは、これまで学校現場で行われてきた平和教育への疑問の声でした。

小学校教員

教員の研修会とかに行くと、『小学校では、歴史はもうとにかく日本の歴史を好きにさせて卒業させればOK』、みたいなこととかも言われているんです。確かに学習指導要領には“我が国の歴史に誇りと愛情を持たせる”というような言葉も載っていたりして、まぁそうなんだな、いろんなところと折り合いをつけながら私もやっていかなくちゃなんだなって。

でも、今日はこうしてみんなが色々な問題意識を持っていて、それを共有できる場があって嬉しかったです。

これまでの“平和教育”からは見えてこなかったこと…

(奥川稀理さん・21歳)

イベントを企画した奥川稀理さんは、現在都内の大学で小学校の教職課程を学ぶ学生です。奥川さんも、自身の受けてきた平和教育に疑問を感じてきた一人。同じモヤモヤを抱える同年代の人たちとつながり、これからの平和教育や歴史との向き合い方を模索したいと、様々なイベントを開催してきました。

奥川稀理さん

歴史継承、記憶の継承だったり、どう向き合えばいいのか、自分の中ですごくモヤモヤしていた。“平和”を考えるのがあまりにも壮大過ぎて、どういうふうに考えていけばいいのかというのは、すごい私の中で、本当に難しいなと思ってきました。

父親の転勤で幼稚園から小学2年生までを広島で過ごした奥川さんですが、最初から平和教育のあり方に疑問を持っていたわけではありませんでした。

広島で通っていた幼稚園の園庭には1945年に被爆した木があり、原爆投下で真っ黒になったお弁当や三輪車についての絵本をよく読み聞かせてもらったと言います。中でも校外学習で行った、平和記念資料館に当時展示されていた被爆した人たちの様子を蝋人形で再現した“被爆再現人形”を見た時の衝撃は忘れられない記憶となっていました。
小学校では、原爆が投下された8月6日はあたり前のように登校し、広島の被爆体験をもとに“平和について考える”ことは奥川さんにとって日常の一コマでした。

しかしその後、奥川さんは「平和教育」のあたり前を疑うようになっていきます。

親の転勤で、広島を離れ、埼玉の小学校に通うにようになった7歳の時のこと。8月6日は広島と違い登校日ではなく夏休みで、まわりの誰も原爆投下のことなど気にも留めていないように感じたのです。更に中学高校の授業でも、第2次世界大戦については一瞬で終わり、広島については8月6日の日付を覚えるだけでした。
そうした違和感から「平和教育を行う小学校の先生になりたい」と考えるようになり、大学の教職課程に進学した奥川さんは、再び自分の中にあったあたり前を疑うようになります。大学の友人に、「平和教育を子どもたちに教えていきたいんだ」と話したところ、「平和 平和って言うけれど、なにをもって平和だって言っているの?」と問いかけられたのです。

奥川稀理さん

はっとさせられました。どこかで自分は平和を考える時に、広島の被爆のことだけが頭にあったことに気付かされたんです。少し歴史に目を向ければ、日本のアジアなどへの加害の側面もあるのに、広島だけを切り取って平和を語るのは一面的だったかもしれない。

平和ってなんだろう、平和教育ってなんだろうって。

その後、「平和教育」とネットで検索して出てくるイベントに参加する中で、ホロコーストなど海外の歴史にも目を向けるようになった奥川さんは、訪れた第五福竜丸展示館で衝撃的な気づきを得ます。
そこには、戦後間もない頃に行われたアメリカによる水爆実験で被爆した日本の第五福竜丸の乗務員についてだけでなく、学校で習う歴史にはほとんど触れられていない、実験が行われたマーシャル諸島の島民たちの被爆の実態についてなどが詳細に展示されていたのです。奥川さんが生まれてからも、核実験が繰り返し行われていることを示す年表もありました。
それらは、広島の被爆体験に思い入れを持ってきた奥川さんが、意識すらしていなかった現実の数々でした。

(第五福竜丸展示館の展示)

資料館で学芸員のインターンをしながら様々な資料に触れたり、同年代の同じ問題意識を持つ仲間たちと意見を交換したりする中で、歴史との向き合い方への考えを深めていった奥川さん。いまは、子どもたちが、過去の戦争の記憶をどう自分事として捉え、向き合っていけるようにできるかを考え続けています。
幼少期に広島でもった戦争や歴史、平和への関心を大切にしながらも、より広い視野で過去と向き合っていこうとしていました。

奥川稀理さん

これからの平和教育や歴史教育を考えていく上で、キーワードになるのが“つなげる”なのかなと感じています。歴史を学んでいくうちに、『ここも、もしかしたら今と構造は一緒じゃないか』とか、『じゃあこの現代の物事に私はどういうふうに向き合うのか』、歴史に向き合う視点と、歴史とも通じる現代の問題と向き合う自分の視点というのはつながっていて、その発見みたいなのも大事にしていきたいなと学びながら思いました。

子どもたちに対しても、現代とつなげて構造を見ていくとか、その問題を見ている『私』とつなげながら、歴史というのにも向き合っていく、そういう教育にしていけたらなと思っています。

平和教育の“政治的中立性” どう考えれば?

「平和教育」を自分事として考えられるものにしていく模索は、長年平和教育に取り組んできたドイツでも進められてきました。

(ステファン・ロットマンさん)

ドイツで平和教育に取り組んできたハインリッヒ・ハイネ学校の教頭、ステファン・ロットマンさんが、日本での取り組みのヒントになればと、話を聞かせてくれました。

ステファン・ロットマンさん

平和教育の基本は、暗記や復唱によって教えるべきことではないということです。

例えば、人権、民主的権利、福祉国家がどうして不可欠であるかは、歴史によって得た教訓から学んだことです。ドイツは第2次世界大戦で過ちを犯しました。当時ドイツには独裁制がありました。生徒たちは、まずどうしてその過去を学ぶことが必要なのかを学びます。

ただ、事実を列挙したり、暗記させたりするのではなくて、どうしてそうなのかということを、歴史的に理解することを大切にしているのです。

ドイツでも、戦争体験世代がいなくなる中で、記憶の継承の課題に直面しているというロットマンさん。そうした中で、教師たちが大切にしているのが、歴史を過去のものとして教えるのではなく、現代の問題とつなげて議論することだと言います。

ステファン・ロットマンさん

いまのドイツにも同じような問題はあるか、迫害の標的や戦争の理由付けになるような集団はドイツにいるか?テーマを現在と関連付けて考えていくことがとても重要です。

そして、現実の問題、解決のためになにができるのか、対立する意見も含めて論争性を持って議論するのです。

そのために、生徒たちには色々な立場の意見を紹介します。もちろん民主主義と法治国家に則った意見ですが、どういった理由で戦争が起きたのか、どうして一つの国で内紛が起きるのかということについてなど、現実に起きる問題への見方を生徒たちが学ぶためにも、対立する意見も含めた議論がとても重要だと考えています。

現代の問題と結びつけて議論すると、どうしても政治的に意見が割れているようなテーマにも向き合うことになります。日本では教育現場に求められる“政治的中立性”から、こうした議論が避けられがちになっていますが、ドイツでは長年平和教育に取り組む中で培われてきた教師たちの向き合い方があると言います。

ステファン・ロットマンさん

特に政治・経済の科目では、教師は自分の意見を言う場合には、非常に慎重にならなければなりません。しかし、自分の意見であるということを伝えた上で、また、違った意見も同等に紹介することを前提に言っていいことになっています。それはとても重要です。

テーマについて生徒たちに調べてもらうこともあります。社会における様々な集団はそのテーマについてどのように考えているか、例えば、ロシアのウクライナへの軍事侵攻について、右派の政治団体はどのように考えているのか、左派の政治団体はどのようにとらえているのかなどを調べる学習です。

異なる意見への向き合い方を、単に排除するのではなくて、授業で扱いながら学ぶのです。

ロットマンさんは、子どもたちが論争性を排除せずに学ぶことは、ロシアによるウクライナ侵攻が起きたいま、その重要性をより増していると考えていました。

ステファン・ロットマンさん

偏見を含む、人種差別的な、ナショナリズム的な意見が、社会に存在しています。

学校の授業でこういったテーマを扱い、こういった意見は反民主的であることをはっきりと伝えなければなりません。生徒たちは、反民主的意見の背後にどういった傾向があるのか、どうしてこういう意見は存在するのかを振り返る機会もあります。

これによって、自分が操作されるとはどういうことなのか、例えばフェイクニュースがどういった場合に発生するのか、インターネットで繰り返し主張されても、それが真実ではないことが理解できるようになります。

生徒たちに、しっかりと情報を見分ける感度を高める能力を身に着けさせるのです。様々な見出しを鵜呑みにするのではなく、熟考すること、セカンドオピニオンにも耳を傾けること、これも重要な平和教育の一つだと言えるでしょう。

ドイツでは平和教育は、重要なカリキュラムとして年間を通して授業のなかに位置づけられています。論争的で複雑なテーマも取り入れながら過去に向き合うために、先生たちには様々な研修の機会や、そのための教材開発なども盛んに行われていると言います。

一方、日本では平和教育は国の定める学習指導要領には位置づけられておらず、平和教育を行う余裕がない、指導方法に自信がもてないと言った教師の声が、取材を通して多く聞こえてきました。そうしたなかでも、若い世代から生まれている、これまで日本で行われてきた平和教育の課題に向き合い、新しい平和教育のあり方を模索する動きを大切にしていかなければならないと感じます。

8月になるとテレビでも戦争について考える番組が増えますが、本来、“歴史との向き合い方”はずっと考え続けなければならない大切なテーマです。
私たちも、過去からなにを学びとるのか、論争性を排除した伝え方をしていないか、これからも取材を通して考え続けていかなくてはいけないと思いました。

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