戦争は“ことば”を変えた ウクライナ市民たちへの聞き取りから
「風呂」は、ミサイルから身を守る「避難場所」になりました。
「きれいなこと」は、敵兵からレイプされるかもしれない「危険なこと」になりました。
ウクライナの市民たちにとって、日常のことばの意味を変えた軍事侵攻。
現地の詩人がまとめた市民たちの“ことば”を、ロバート・キャンベルさんの日本語訳で紹介します。
(クローズアップ現代 取材班)
クローズアップ現代「戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ」
8月23日(水) 午後7:30 〜 午後7:57
放送後1週間NHKプラスで見逃し配信
「戦争語彙集」とは
ことし5月にウクライナで出版された「戦争語彙集」 。10か国語での翻訳が決まるなど、異例の早さで世界に広がっています。
現地の詩人・オスタップ・スリヴィンスキーさんやその仲間が、市井の人たちから聞きとった「ストーリー」を短編にまとめたものです。
タイトルには「風呂」「星」「林檎」「夢」などすべて日常のことばが並び、それにまつわる体験を通して、戦争に直面したことで身近な“ことばの意味”が変わっていく様子が記録されています。
ことし6月には、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが現地に渡り、日本語訳に取り組み、秋以降に出版される予定です(タラス・マルコヴィッチ氏の英訳を重訳)。
収録された81のストーリーのうち、10話を紹介します。
~以下、「戦争語彙集」オスタップ・スリヴィンスキー(2022年・タラス・マルコヴィッチ英訳より、ロバート・キャンベル重訳)から引用~
「バスタブ」 マリーナ/ハルキウ在住
近所にシェルターがないからバスタブを頼りにするしかなかったんですね。アパート一戸を丸ごとバスタブの大きさに縮めるなんて思いも寄らないことでした。ミサイルが数軒先、そして二軒先のところまで飛び交いはじめた時からもうダメだなと思っていて、アパートの片付けも拭き掃除もほどほどにして、というよりかやっても仕方がないと諦めていました。その時私はバスタブに向かって言いました。「どうかよろしく。助けてください!」と。そういう具合に言ったのです。
一発がとうとう家(うち)のバックヤードに着弾した時わたしは入浴中。窓という窓は枠ごと割れてしまい、台所も寝室もガラスだらけになりました。床も、ガラスの破片と枠の残骸に覆われてしまいました。唯一私が切り抜けて生きていけそうな場所は、バスタブ。
それに何と翌日、お湯が出ました。なぜか分からないけれど、何かのご褒美のように覚えました。灯りもなくたって蛇口を捻れば流れてくるお湯!バスタブにたっぷりのお湯を溜め、キャンドルを何本か灯しました。探すとアロマオイルも出てきます。まるで『千夜一夜物語』のヒロイン、シェヘラザードの気分。夜の数は、しかしもう気にすることはなくなりましたけれど。
「きれいなこと」 カテリーナ/ヴィーシュホロド在住
少し前に第二次大戦について書かれた本を読みました。ある女の子がナチス軍に注目されレイプをされないようにお母さんの一番ぼろい服を着ていたという話が出ていました。
わたしは箪笥の前に立ち尽くしていました。今はもう「一番ぼろい」服を着る時期なのだろうか?それともこのまま、逃げ切るのに間に合うのだろうか?世の中はあっという間に変わります。タクシーを呼んでも来ないし、掛けても電話が話し中、あるいは断られてしまうのですもの。仕方がないからキーウまで歩くことを決めました。
戦争の間、きれいなことは危険です。きれいなものや人や関係は、このごろ、心を動かすためにあるわけではなくなっています。根こそぎ潰されるために存在する。憧れと愛撫のためにではなく、苦しみに耐えるためにあるのです。
道路の泥濘(ぬかる)みにブーツがはまってしまいました。携帯にショートメッセージの着信音が聞こえます。「当美容室のネイルアートをご利用くださり、誠にありがとうございます。お客様アンケートへのご協力をお願いいたします」。
「林檎」 アンナ/キーウ在住
その夜は、侵攻以来一番大きな爆発が響きわたりました。聞きながら、わたしは毛布やら枕をバケツみたいにめいっぱい放り込んだ浴槽の中で眠りについたのです。
はるか昔の、わたしの人生では一度燃えるような恋をしました。初めてカルパティア山脈にある一軒家に二人で出かけていくと、秋はもう深まっています。屋根裏でうとうとしていると、わたしは、浴槽とは大して変わらないほど寝心地の悪いベッドの上で聞いていました。庭にある林檎の木々から、果実が一個また一個、いろんな場所から地上に落ちてきます。音を立てながら夜通し、熟みきった大きな林檎が測ったような間隔で、とすっとすっ、と落ちてきます。わたしは幸せでした。
その夜は爆発の音を聞きながら眠っていたわけだけれど、聞こえてきたのはあの木から落ちる林檎の音。庭の林檎の実が、今わたしたちの周囲の地上に落ちてくればいいのになと、心で願いながら。
「星」 ロマンナー/キーウ在住
爆撃で砕け散るのを防ぐためにテープを窓に貼ると、星みたいになります。わたしも、家の窓にテープを貼りました。窓一枚につき不透明テープを四本ずつ、マニュアル通りに斜めに交差して。太陽が出て目が覚めると壁に影が映ります。星のようにゆっくりと、這いずりながら。
ゆくゆく戦争をめぐる唯一の記憶になるように、と思います。
「ゴミ」 カテリーナ/ヴィーシュホロド在住
二月二四日。窓の前をロシア軍のヘリコプターが通り過ぎ、地上にはミサイルが堕ちてきます。わたしはここを出なければなりません。けれど、ゴミを出さなければなりません。
生ゴミの袋に手を伸ばす。プラが入った袋も持っていった方がいいのだろうか? ガラス瓶の袋は? 包装紙はどうするのかな? 戦のカオスに巻き込まれ全部がごっちゃまぜになるのかな? きれいに洗ってあるヨーグルトのジャーとガラス瓶と、子供たちの塗り絵の本と……
わたしの家も、この街も、置いていけばゴミになるの?
そもそもそんなことを、考えている場合か?
「沈黙」 ウリャーナ/リヴィウ在住
人形劇場が避難シェルターに変わりました。舞台の上も廊下も、ロビーの中にもマットレスを敷きつめていきました。はじめのうち子供と動物を連れてくる人が多かったです。二日間、彼らは朝から晩までマットレスの上でひたすら静かに横たわっていました。沈黙をこれほどまもれる人の集団と動物たちを見たことがありません。
そこから少しずつ、元気は取り戻していきました。
それでも、わたしは、生きている間にあの静けさをおそらく忘れることはないでしょう。怖かったですよ。
「熊」 スタニスラフ/キーウ在住
白昼の現実よりわたしの眠りの方がリアルです。日中は雑念をちょっとした用事で紛らわせますが、現実は眠っている間に反撃を仕掛けてきます。フランシスコ・デ・ゴヤの名言に「理性の眠りは怪物を生む」というのがあります。いくつもの意味が考えられようが、今、一つを選び出して言うのなら思考は止めてはいけない、つまり「現実に抗って考えていろ」ということになります。
今日なんかは子供の頃に返りたい、と思っていました。一路戦争のない場所に「避難」したのです。幼い頃のマキイフカ。ウスチ・カメノゴルスクにザカルパッチャ。悲しくなると幼少期の中まで逃げていきます。はじめは就学前の小さな時を順番に思い出します。今はもっぱら熊のことを想起しています。正確に言えば自分のテディベアと、もう一つ想像上の、あわせて二個のテディベアのことです。小さい方をぎゅっと抱きしめているか、そうでなければ白い斑点が付いたデカいぬいぐるみの方がわたしを抱きかかえています。頭の中は空想でぐるんぐるん、戦争などありません。口に出して言ってみようかなー「空想」。なんと素晴らしい響きでしょう、「空想……」。
「猫」 オレーナ/ブチャ在住
占領の十日目にブチャから逃れるための人道回廊を作るという発表がありました。わたしたちはすぐに荷造りをして向かったのです。バスは一時間後、市役所の前から出ると言われたからほとんど走るような格好で歩いていきました。自分たちの前を赤いパンツを穿いた女性が歩いていて、見覚えがありました。三度も街から脱出を試みたが、そのつど、ロシア軍に引き返されてしまった人です。上等そうな猫キャリアバッグを抱えたおばあさんの腕をつかみ、前へ進もうとしていました。ずっと何かを説得しようとしている様子でした。
「その猫がどれくらい重いか分かります?一緒に引っ張っていくのってとても無理よ。わたしいざとなったら猫もあなたも振り落として走って逃げるからね。けど、あんた一人だったら何とかバスの乗り口までたどれると思うの」
そのおばあさん、バッグをぎゅっと抱え込んだままずっと泣きじゃくっていました。ところが団地の出口付近で足を止め、芝生の上にバッグをそっと置きました。立派な白い猫は恐怖心でどうすることもできず、目をきょろきょろし始めました。いっそう激しく泣くおばあさんを、赤いパンツの女性はぐいぐい引っ張っていきました。結局、その日は誰も外へ出られませんでした。少ししたら領土防衛隊の車に載せられいったん家に帰ることができました。数日来、初めて温かさを感じる一〇分間でした。
おばあさんが猫を見つけられたかどうかは、分かりません。どちらも運よく無事だといいな、と思います。
「禁句」 サシュコ/キーウ在住
今までだったらめちゃくちゃウケル話を「爆笑」してみたり、凄えなと思うことでテンションが「爆上がり」だったりして、頭に来るやつには「爆おこ」していましたよ。話をうまく聞き取れない日には「戦車の中のカエル」になってみたりしてさ。
けど、今は、その言い方をしませんよ。禁句になったんです。
「シャワー」 オレクサンドル/ブチャ在住
激しい砲撃を浴びている最中のシャワーは止した方がいい。マジでおススメしない。すべてのお楽しみは台無しだ。ふと頭を過ぎるのは、今ごろ砲弾を食らったらどうなるか?
ってこと。ケツも泡だらけの、むき出しの戦争犠牲者。
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●編著者 オスタップ・スリヴィンスキーさん(詩人)
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ロシアによるウクライナへの軍事侵攻後、地元リビウに国内から避難してきた人々を支援するボランティア活動する中で、“言葉”の聞き取りを始める。
百人以上から聞き取ったストーリーの一部を「戦争語彙集」として出版。
「人々の物語が忘却されてしまわないように、戦争で言葉の意味が変えられていく過程を記録するのが自分の使命」
今もウクライナ各地で、最前線にいる人から一見平穏な日常を送る人まで、さまざまな境遇や視点の戦争体験に耳を傾けている。
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●邦訳 ロバート・キャンベルさん(日本文学研究者)
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ネット上に掲載された「戦争語彙集」の英訳を目にし、「自分で翻訳して日本に届けたい」という強い衝動に駆られる。
今年6月には実際にウクライナへ渡航し、関係者たちと対話して現地の空気を感じとりながら“言葉”と向き合った。
「戦争語彙集は、戦況を伝えるニュースからは知り得ない、一番ゼロ地点を歩いている人たちの目線や経験を丁寧に積み上げている。私たちが想像できる現実とは全く異なる、歴史的なドキュメント」