クローズアップ現代 メニューへ移動 メインコンテンツへ移動
2023年8月23日(水)

戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ

戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ

戦禍のウクライナで、詩人が市民から聞きとった言葉が『戦争語彙集』として出版され、世界10カ国で翻訳が決まるなど異例の早さで広がっています。記録されているのは、戦争によって“日常の言葉の意味が変わった”という体験。「風呂」は爆撃から“身を守る場所”へ変化し、「きれい」は戦争犯罪と結びついて“危険”を意味するといった事態が人々の中で起きています。変わり続ける言葉から、1年半続く戦争の影響を見つめました。

出演者

  • ロバート・キャンベルさん (日本文学研究者)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

戦争が「言葉」を変える 詩人が見たウクライナ

桑子 真帆キャスター:

2023年5月、軍事侵攻のさなかにウクライナで出版された「戦争語彙集」という本。すでに10か国語での翻訳が決まるなど異例の早さで世界に広がっています。

本の中には、私たちがふだん使うような日常の言葉をテーマにしたストーリーが並び、その言葉の意味が戦争でどう変化したのかという視点で市民の体験がつづられています。

例えば「林檎」は、かつて恋人と聞いていた庭先に林檎が落ちる音と、ミサイルが落ちる音が重なるという話。
そして、以前見上げていた「星」。今は爆撃で窓が砕け散るのを防ぐテープを見て、思い浮かべる言葉になったという話もあります。
大切な思い出や美しいイメージが戦争と結び付く様子が、言葉を通して見えてくるのです。

ロシアによるウクライナ侵攻から、8月24日で1年半。日本からは見えづらいウクライナにいる人たちの心の内を身近な言葉を通して探ります。

「戦争語彙集」の証言者たち

「戦争語彙集」をまとめた詩人のオスタップ・スリヴィンスキーさん。避難者が暮らす仮設住宅などで定期的に戦争の体験を聞きとっています。

「戦争語彙集」編著者 詩人 オスタップ・スリヴィンスキーさん
「どんな被害を受けましたか?」
「最初のころ着弾がありました。『畑に“お客様”がいるぞ!』って」
オスタップ・スリヴィンスキーさん
「“お客様”?ロシア兵を“お客様”と呼ぶんですか?」
「ええ」

詩人であるオスタップさんが市民の言葉を記録している理由。きっかけはロシアの侵攻直後、地元リビウに押し寄せた避難者のためにボランティアで支援をしていたときのことでした。当時、詩人として現実を表現できず無力感を抱えていたオスタップさん。避難者の言葉から多様な戦争の姿に触れることになったといいます。

オスタップ・スリヴィンスキーさん
「彼らが必要としていたのは食糧や避難所だけでなく、自分の物語を人に伝えること、会話をすることでした。その物語を記録することが、私の義務のように思えました。それが忘れ去られてしまわないように」

市民たちから聞きとった100を超えるストーリー。その中で注目したのが言葉の意味が変化しているという体験でした。

「戦争語彙集」に収められたストーリーの1つ「沈黙」。

語ったのはウリャーナ・モロズさん。リビウにある人形劇場で演出家として働いています。「沈黙」は、侵攻後避難所となった劇場で鮮明に残った光景でした。


人形劇場が避難シェルターに変わりました。
舞台の上も廊下も、ロビーの中にもマットレスを敷きつめていきました。

はじめのうち子供と動物を連れてくる人が多かったです。
二日間、彼らは朝から晩までマットレスの上でひたすら静かに横たわっていました。

沈黙をこれほど守れる人の集団と動物たちを見たことがありません
わたしは、生きている間にあの静けさをおそらく忘れることはないでしょう。
怖かったですよ。

「沈黙」ウリャーナ リビウ在住

実はそれまで「沈黙」という言葉は、ウリャーナさんの中で全く別の神聖な意味を持っていました。

「戦争語彙集」証言者 ウリャーナ・モロズさん
「私たちの劇を見て、子どもたちが夢中になると沈黙が訪れます。その沈黙は格別です。子どもたちと心が通じ合って、劇場が生き生きとした空間になります」

大好きな時間だった劇場での子どもたちの「沈黙」。しかし、戦争でその意味は一変しました。

ウリャーナ・モロズさん
「なぜ異様な沈黙だったかというと、子どもたちが何も観察しようとしていなかったからです。あの沈黙は彼らがここにたどり着くまでの恐怖を表していました。子どもらしさとはかけ離れた姿だったんです。だから私は、あの『沈黙』を忘れられません」

キーウに住むスタニスラフ・トゥーリナさんも、自分にとって大事な言葉が変化した1人です。

「戦争語彙集」で語ったのは、1年半前、自分の暮らす町で爆撃が頻発し、命の危険におびえていたときのこと。眠る前に心に浮かんだ「熊」についての空想でした。


悲しくなると幼少期の中まで逃げていきます。
今はもっぱら熊のことを想起しています。

自分のテディベアと、もう一つ想像上の、あわせて二個のテディベアのことです。

頭の中は空想でぐるんぐるん、戦争などありません。
口に出して言ってみようかな―「空想」。
なんと素晴らしい響きでしょう、「空想……」。

「熊」スタニスラフ キーウ在住

不安な気持ちを落ち着かせようと思い浮かべたのは、幼少期に大切にしていたぬいぐるみの熊。思い出の熊は切迫した状況下で自分を保つための空想の対象へと変わっていきました。

「戦争語彙集」証言者 スタニスラフ・トゥーリナさん
「寝る前に妻と何度か人生にお別れをしたことがあります。これまでいい時間を一緒に過ごしたから、もしこれが最後の夜だとしても悲しむことはないよねと。この『熊』についての短い文章には、そのころの気持ちが込められています」

しかし、熊の空想に支えられていた日々はその後、激変します。

自宅からわずか20キロ先の町、ブチャで起きた虐殺。400人以上の市民が犠牲になり、拷問や性暴力も横行する絶望的な現実が襲ってきたのです。精神のバランスを崩したスタニスラフさんは、空想すらできなくなりました。「熊」という言葉は意味を失ったのです。

スタニスラフ・トゥーリナさん
「自分の中で何かが壊れました。何人もの友人が軍隊へ行ってしまったりして…言葉で遊ぶことができなくなりました。きのう悪いニュースを目にして、きょうも悪いニュースを読んで、次々とたまっていく。そうやって言葉で想像する力が壊されていったのかもしれません」

1年半という時間を戦争の中で生きるウクライナの人たち。

町には、その影響を受けた強い言葉がむき出しになっています。

一方で、市民から聞きとりを続けるオスタップさんは、戦時下でそれぞれが表面に出さない感情や埋もれてしまう物語があることも感じてきました。

オスタップ・スリヴィンスキーさん
「戦地にいない人たちは前線にいる人に対して常に罪悪感を抱いています。最前線にいる人たちでさえ同じです。知り合いの軍人は、亡くなった人たちに対して自分が生きていることに罪悪感を抱いていると言っていました。『戦争語彙集』には重要度の高い・低いはありません。すべてのストーリーが平等です」

オスタップさんは、軍人、避難者、支援者などの立場や受けた被害の大きさを区別せず、言葉を拾い上げてきました。

「戦争語彙集」の聞きとりによって、心にしまってきた記憶を初めてはき出せたという人がいます。オレーナ・ステパネンコさんです。

虐殺が起きたブチャの町から避難したときに見た「猫」のストーリーを語りました。それは、あるおばあさんが猫の入ったバッグを置いて逃げるよう説得されている姿でした。


そのおばあさん、バッグをぎゅっと抱え込んだままずっと泣きじゃくっていました。
ところが団地の出口付近で足を止め、芝生の上にバッグをそっと置きました。

立派な白い猫は恐怖心でどうすることもできず、目をきょろきょろし始めました。
いっそう激しく泣くおばあさんを、赤いパンツの女性はぐいぐい引っ張っていきました。

「猫」オレーナ ブチャ在住

猫を残して逃げるという避難の光景のひとコマ。それが心に深く刺さったのは、オレーナさん自身もブチャに猫を置き去りにしたことを後悔していたからでした。

「戦争語彙集」証言者 オレーナ・ステパネンコさん
「毎日あの光景を思い出していました。猫をおいて逃げるべきじゃなかったとか、砲撃の中でも探しに行けばよかったとか、自分を許せませんでした」

さらに避難後、町に残った多くの人が殺されたことを知り、「猫」という言葉は自分への怒りや罪悪感と結びついて、ますますオレーナさんを追い詰めました。行き場のなかった思いを表に出して共有するきっかけとなったのが、オスタップさんの聞きとりだったのです。

オレーナ・ステパネンコさん
「自分の体験はほとんど話してきませんでした。私よりもっと恐ろしくて大変な思いをしている人もいるからです。オスタップさんは、わたしを救ってくれました。それまではずっと思い出しながら心が痛んでいて、戸惑いの中で過ごしていたんです。でも言葉にすることで気持ちが整理されて、苦しみが少し和らいでいきました。私たちは痛みとともに生きていくしかありません。この痛みは、私が生きている証拠。亡くなった人を覚えている証拠です」

「戦争語彙集」が記録した言葉は、戦争が続くウクライナで今、多くの人の心を捉えています。

「この本を手に取ったのは6月で、ダムが破壊される惨劇が起きた直後でした。本を開くのが怖かったけれど、読み始めると止まりませんでした。1つ1つのストーリーは短いですが、深い感情が湧いてきます」

この日に行われた出版イベントでは、言葉に触れた読者がみずからの体験を語り始める場面がありました。

読者
「まだ1歳半の私の娘が最初に覚えたのは、『空襲警報』と『空襲警報解除』を省略した『ヴォハ』と『ビィー』という言葉でした」
オスタップ・スリヴィンスキーさん
「ありがとうございます。『戦争語彙集』がコミュニティーの役割を果たし、対話が続いていくことがとてもうれしいです」
読者
「この本は、私たちの感情や戦争体験を言葉にしてくれました。言語化してもらえたことで、もう自分の気持ちを心の奥深くに隠しておかなくて済みます。『戦争語彙集』は、目の前にある現実と向き合っていくきっかけをくれました」

オスタップさんは、意味を変え続ける言葉をこれからも集め、発信したいと考えています。

オスタップ・スリヴィンスキーさん
「まだ戦いは続いています。まだすべての大事な物語を聞き取って発信することができていません。これから生まれる物語もあります。それらに耳を傾けて記録しなければならないと思っています」

ロバート・キャンベルさんが見たウクライナ

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、「戦争語彙集」の日本語訳に取り組んでいる日本文学研究者のロバート・キャンベルさんです。

今回の私たちの取材は、キャンベルさんが翻訳に当たってウクライナの空気を知ろうと現地を訪れる旅に同行させていただく形で実現しました。実際に現地を訪れ、そして今、日本語訳にも取り組んでいますが、言葉が変化していることによって何が起きていると感じていますか。

スタジオゲスト
ロバート・キャンベルさん (日本文学研究者)
「戦争語彙集」の日本語訳に取り組んでいる

キャンベルさん:
VTRにあった「沈黙」ですとか、「熊」も「猫」も耳にしただけでは暴力とは無縁に聞こえるわけですよね。しかし、一つ一つがその人の記憶ですとか人生の中で作った価値観と深く結び付いていて、戦争がその言葉の意味の深いところ、根っこからねじ曲げてしまっていることが証言から分かるわけです。

ウクライナの町を歩いていると、すごく穏やかそうに見えるんですね、豊かですし。ですが、やはり人の話を聞いていると、こすって中をちょっとだけ見ると、一人一人の心の奥に間違いなく変化が起きてるということが分かります。
つまり、日常と戦争がないまぜになっているような状況が今のウクライナだということを知りました。

桑子:
言葉そのものの捉え方も変化していってるのでしょうか。

キャンベルさん:
そうですね。例えば「平和」という言葉、私たちはふだん使いますよね。しかし、毎日のようにミサイルが降ってきて、命の危険を感じる中で「平和」という言葉が奇妙にといいましょうか、すごく弱く感じるんです。
つまり、平和を祈ろう、話し合って解決をしようというような状況では実際にないわけですよね。やはり手に入れたいのは「平和」というよりも、命を守る「勝利」ということで、その「勝利」というのも勝ち負け、相手を打ち負かすということだけではなく、自分のアイデンティティーや文化的な価値を勝ち取るという意味合いもあるわけで、そういう微妙な違いが日本にいるとなかなかつかみにくいかもしれません。しかし、行ってみるととても明確な言葉、強い言葉が必要だということを感じました。

桑子:
なぜ、明確で強い言葉を求めるのだと思いますか。

キャンベルさん:
私は教室で大学生たちと話し合ったのですが、今「平和」という言葉はあいまい過ぎるから「勝利」に言いかえてもらえないかということを突きつけてきたんです。それはやはり、今のウクライナでは人々が同じ方向に向かっていて、今何をすべきかということが確かめ合えるような明確な言葉を求めているためだと思いました。

桑子:
そして戦時下によってなくなっていく、使われなくなっていく、使えなくなっていくという言葉もありますよね。ここで紹介したいお話があります。タイトルは「禁句」というものです。


今までだったらめちゃくちゃウケル話を「爆笑」してみたり、凄えなと思うことでテンションが「爆上がり」だったりして、頭に来るやつには「爆おこ」していましたよ。
話をうまく聞き取れない日には「戦車の中のカエル」になってみたりしてさ。けど、今は、その言い方をしませんよ。
禁句になったんです。

「禁句」サシュコ キーウ在住

「爆笑」の“爆”と、「爆撃」「爆弾」の“爆”と同じですよね。これを読んだ時に、同じ“爆”でもこんなに日常の中で違う捉え方をする言葉が共存するんだということに驚きました。

キャンベルさん:
ある日、戦争によってどかんとすべてが変わるわけではないんです。少しずつ、足元から言葉の意味が突き崩されていくということを、この証言を読んで感じるんです。
例えば、「爆笑」といって大笑いをしあっている友達同士がいてもおかしくないですよね。だけど、近くで人が爆死しているとすると、誰もその言葉を使いたくなくなるわけです。1つの語彙はとても小さいけれど、私たちの意識とか行動は、言葉によって規定されたり守られている側面もあるので、積み上げていくととてつもなく重く大きな変化が実は人々の心、人々の生活に表れているということが言えると思います。

桑子:
言葉に出したことによって救われたとおっしゃっていた方もいました。キャンベルさん、ここで紹介したいものがあるということで。

キャンベルさん:
「シャワー」。これは多分若い男性、ブチャ在住の方ですけれども。


激しい砲撃を浴びている最中のシャワーは止(よ)した方がいい。マジでおススメしない。
すべてのお楽しみは台無しだ。
ふと頭を過ぎるのは、今ごろ砲弾を食らったらどうなるか?ってこと。ケツも泡だらけの、むき出しの戦争犠牲者。

「シャワー」オレクサンドル ブチャ在住

キャンベルさん:
ちょっとふっと笑っちゃいますけど。

桑子:
笑っちゃいます。ただ、これ状況としては全く笑えるものではない。

キャンベルさん:
ブラックユーモアですよね。桑子さん、この状況の中でやっぱりユーモアを使ったり、言葉を弱くしたり強くしたりすることによって、常に張り詰めている緊張の糸というものを少し緩め、人々を保たせたり、言葉は武器でもあるし、シェルターでもあるということをすごく感じさせるストーリーだと僕は思うんです。

桑子:
シェルターでもあると。

キャンベルさん:
笑うことによって、なんとかそれを現実にしてはつらすぎることを、笑いを共有することによってなんとか呼吸をする。例えば日本でも江戸時代に「はしか」ですとか、感染病があった時に落語で笑い話をしていたこととすごく似ている。普遍的な一つの最悪の状況の中で笑いを共有する、人に渡しあう、シェアをしていくということが精神的なケア、まさにシェルターにもなっていると理解しています。

桑子:
あえておもしろおかしく表現しているケースもあるということですね。「戦争語彙集」は今、広く読まれるようになっているわけですが、広く読まれることの意味、意義ってどういうふうに。

キャンベルさん:
今、世界では分断をあおる言葉、フェイクの言葉がたくさんあるわけです。一方で、私たちはリアルを求める力がすごく強まっていると思います。日本もそうですし、他の言語もそうですけれど、戦争・紛争の記憶や体験が遠のいている地域や言語の中に、この真実、もう一つの小さな言葉を届けることによって一人一人が自分の日常の中で自分のために、できれば人のためにどういうふうな行動を自覚をして変えていくというきっかけが、このような言葉の連なりから得られるのではないかなと信じたいです。

桑子:
ありがとうございます。

ウクライナの人々が見つめる“言葉の未来”

「沈黙」のストーリーを語ったウリャーナさんは今、劇を通して子どもたちが抱えている言葉に耳を傾けています。

「戦争語彙集」証言者 ウリャーナ・モロズさん
「子どもたちはそれ(白い布の役者)を見て『死体だ』と言い、(避難してきた)5歳の子は、たらいをかぶって『ここは僕の家だ』と言いました。それは自分の中の無名のトラウマを治す第一歩です」
「戦争語彙集」編著者 詩人 オスタップ・スリヴィンスキーさん
「すべてが終わったあと、私たちは言葉をもう一度作り直す必要がある。『ろうそく』という言葉が『塹壕(ざんごう)の中を照らす灯』と結びつかないように。『地下室』が再び甘い自家製ジャムや根が顔を出したジャガイモの居場所となるために。私たちは『平和』という言葉を癒やすことができるのだろうか。その中から重武装した占領軍があふれ出てこなくなるまで」
見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

この記事の注目キーワード
ウクライナ情勢

関連キーワード