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2022年11月1日(火)

戦火が引き裂いた心 ウクライナ市民たちの記録

戦火が引き裂いた心 ウクライナ市民たちの記録

首都キーウからおよそ30キロに位置するブチャ。“大量虐殺があった町”として世界に知られることとなったこの町は、かつては閑静な住宅街でした。本来の姿を取り戻そうと復興が始まったものの、その先に待っていたのは戦争がもたらす“もう一つの闇”でした。人間関係や地域のつながりが引き裂かれていく現実や、広がる疑心暗鬼―。終わりの見えない戦争が人々に何をもたらしているのか。市民たちの“心の内”に迫りました。

出演者

  • 片渕 須直さん (アニメーション映画監督)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

ウクライナ市民語る "別の戦争"とは

桑子 真帆キャスター:
2月の軍事侵攻開始以降、私たちは刻々と変化するウクライナ情勢を伝えてきました。今回は、これまでとは違った視点で人々の内面に目を向けていきます。

一緒に見ていくのは、映画「この世界の片隅に」を監督した片渕須直さんです。

スタジオゲスト
片渕 須直さん (アニメーション映画監督)
映画「この世界の片隅に」を監督

今回見ていくのは、ロシアの激しい攻撃や虐殺があったとされるキーウ近郊の町、ブチャです。計り知れない犠牲は、これまで支え合ってきた隣人同士の絆にもひずみをもたらしていました。

戦争が引き裂く"心" ウクライナ市民の記録

キーウからおよそ30キロ、5万人ほどが暮らしていた町、ブチャです。軍事侵攻が始まる前は、閑静な高級住宅街として知られた場所でした。

地元の若者が新築物件を紹介するインターネット動画では…。

「ブチャで人気のマンションを紹介するよ。庭には子どもの遊び場、レクリエーションスペース、大きな噴水も完備されます」

町の中心にある教会は、市民の心のよりどころとなってきました。古い町並みと近代的な建物が融合した町は、定年後の老夫婦やキーウに通う大学生などにも人気でした。

一変したのは、ロシア軍が軍事侵攻を開始した直後の2月27日。

ブチャ市長
「ロシア軍とウクライナ軍が激しく戦った場所です。民間施設も破壊されました」

キーウ攻撃の拠点として、ロシア軍がブチャを占拠。その後、1か月にわたり攻撃が続けられました。分かっているだけでも461人が犠牲となったブチャ(ウクライナ内務省調べ 6月8日時点)。ロシア軍の撤退後、拷問や強姦(ごうかん)など、凄惨(せいさん)な実態が次々と明らかになり、虐殺があった町として世界に知られることになりました。

教会前の広場は臨時の遺体埋葬地となり、悲しみを象徴する場所となりました。

現在、町では再建計画が進められています。

訪ねたのは、自宅を破壊された住民が多く身を寄せている仮設住宅です。教え子を2人亡くしたという女性教師は、子どもたちの傷の深さを測りかねていました。

教師
「授業で、今起きている戦争について考えるために、作文を書いてもらおうとしたのですが、子どもたちは『思い出したくない』と言って泣き出してしまいました。現実に触れることも、まだできないんです」

戦争の記憶と向き合いながら、生活の再建を始めたブチャの人たち。

仮設住宅の管理を任されているオリハさんは、ささいなことで起きるトラブルに日々直面しています。

オリハ・イシチェンコさん
「先日も私がお菓子を各部屋に配ったのですが、自分の子どもが他の子どもより少ないと怒る人がいて、だいぶもめました」

オリハさんが欠かさず行っていることがあります。ボランティアから食事が届くと、後で数が足りなくなった時、盗んだと疑われないよう写真を撮ることにしたのです。

オリハ・イシチェンコさん
「戦争のせいで、人々はみな気分を害し、怒っています。最近はすべてに気を配っていると自分の心が耐えられなくなってしまうので、あまり気にしないようにしています。それでも夜眠れなくて"薬"(抗不安薬)を飲まなければ耐えられないことがあります」

極限状態だった戦時下で、命の危険にさらされたという男性が取材に応じてくれました。ホテルの従業員だったオレクシーさん。宿泊客など、30家族をかくまっていました。

しかしある日、ロシア兵に捕まってしまいます。連れていかれた部屋では、3日間にわたって監禁されました。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「拷問で背中を何度も殴られたせいで、後遺症が残ってしまいました」

さらに。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「銃で処刑すると言って、外に連れ出されました。膝をついた瞬間はなんとも言えない、もう恐怖しかありませんでした。1回目は4人連れ出され、撃たれませんでしたが、2回目は2人連れ出され、隣の人が殺されてしまいました」

苦しみはこれだけではありませんでした。ロシア軍が去ったあと、警察が発表した情報に衝撃を受けました。地元の住民が、ロシア軍に情報を提供していたとして検挙されたというのです。その中には、オレクシーさんが知る女性もいました。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「その人は地元の女性で、お金のためにやったのです。これは警察の公式情報です。彼女は地域防衛隊や元ウクライナ兵がいる場所をリストにして、ロシア兵に渡していました。だから、ロシア兵はだれがどこに隠れているか、把握していたのです」

ロシア軍に情報を流した人は、他にも複数いたことが明らかになっています。その中には、「ロシアに占領されることを見越して協力した」と話す人もいました。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「彼らは裏切り者です。ロシア軍に情報を流した人、ウクライナ軍の位置を教えた人、今後、彼らがウクライナで生きる場所はもうありません」

一時期、精神のバランスを崩したこともあったというオレクシーさん。現在は、ボランティアとして働いています。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「ボランティアをしているとストレスが溜まることもあるし、すべてを投げ出したくなることもあります。でも、次の日に起きたら人を助けに行く。今はそれしかありません」

ブチャに暮らす人たちが今、足しげく通う場所があります。多くの遺体が埋葬された、あの教会です。

司祭のアンドリーさんは、すべての遺体の埋葬に立ち会い、その後も住民の悩みや怒りに耳を傾けてきました。アンドリーさんは戦争前、何度も口にしてきた「ゆるす」という言葉を市民にどう伝えるか、悩んでいました。

司祭 アンドリー・ハラヴィンさん
「失ったものが、あまりに大きすぎるのです。何とか生き残った人たちも、彼らの人生は完全に破壊されてしまいました。時々、許せるかということを聞かれます。気持ちを言葉にすることはできません。私は感情を持つ人間なので、誰も見ていないところでしか吐き出すことはできません」

軍事侵攻が始まって8か月余り。プーチン大統領は核を想定した軍事演習を行うなど、ウクライナ側へのけん制を強めていますが、一方のウクライナも徹底抗戦の構えを崩していません。

戦争のさらなる長期化が避けられない中、一部から意外な声が上がり始めています。27歳のこの男性は、メディアの取材に初めて応じたといいます。

ヴォロディームィル・ベリコブさん
「ウクライナのことは好きで愛していますが、私は戦いたくないし、必要だとも感じていません。軍へ行かない方法があるならば、どんな手段でも尽くすつもりです」

現在、ウクライナでは18歳から60歳の男性は徴兵に備え、国外に出ることが原則許されていません。生活を取り戻すため、海外で働きたいという男性。これ以上留め置かれることは受け入れられないといいます。

ヴォロディームィル・ベリコブさん
「国籍を捨てる覚悟です。逃げるためではなく、生きるためです。この気持ちが変わることはありません。でも、国が許してくれないと思いますが…」

戦争の長期化は、新たなあつれきをもたらしていました。

仮設住宅には、国外に逃げていた人や、東部や南部から避難してきた人なども一緒に暮らしています。そうした背景が、あつれきの火種となっているのです。

中でも深刻なのが、親ロシア派の人が一部暮らす、東部から避難してきた人へのひぼう中傷です。「東部奪還のため」と戦争を続けてきたロシア。戦争の長期化は、東部の人たちのせいだと考える人が出てきたのです。

セルヒー・サヴチェンコさん
「なんでそうなったのか、東部出身の人たちへの不信感が高まってしまいました。ロシア語で『東南部の人たち』と話しかけたら、嫌な顔をされました。洗濯機のスイッチを切るように言っただけなんですが。これが今の私たちの生活です。もう人と出会っても信用できないでしょう」

ボランティア活動を行っているオレクシーさんも、例外ではありません。

オレクシー・ノヴィコヴさん
「ボランティアですから、東部ルハンシクやドネツクの人たちのことも助けなければなりませんし、彼らに失礼なことや文句を言うことはありません。でも、フラストレーションを感じるようになったことは事実です」

仮設住宅の管理人のオリハさんは、実は東部ドネツク州の出身です。戦況の悪化に伴い親戚がいるブチャに避難してきましたが、夫と息子は今も東部で戦っています。

オリハ・イシチェンコさん
「時間があると、いつもこの写真を見ています。息子は、今はすっかり成長しています」

取材中、いつも気丈にふるまっていたオリハさん。人々の東部への複雑な感情について話を聞くと、初めて涙を見せました。

オリハ・イシチェンコさん
「きょうも、ある教師の人から言われました。『あなた何でここに来たの?東部の人はみなロシアを支持していたでしょ』と。そして『あなたがロシアを呼んだんだ』とも言われました。私たちが呼んだとしたら、なぜ私の家族や故郷の仲間は戦っているのでしょう?」

絶望からはい上がろうとする人々が負っていた、心の傷。その痛みは、戦闘が去ったあとのブチャの町に今も重くのしかかっています。

「この世界の片隅に」 片渕監督とウクライナ

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
片渕さん、さまざまな方の声を聴きましたが、印象に残った方、言葉はどんなものでしたか。

片渕さん:
やはり、いちばん言いたいのはオリハさん。

桑子:
仮設住宅の管理人の。

片渕さん:
東部から来たというだけで言われなき攻撃を、言葉を浴びてしまう。戦争というのはいろんな罪悪があると思うのですが、人と人との関わり方みたいなところに、本来あったはずの文明的な態度まで破壊してしまうのが戦争の大きな罪なんだなということを改めて感じさせられます。

桑子:
文明的な態度というのはどういうことですか。

片渕さん:
人と人とはあまりあつれきを作らないようにして人間関係を築いてきたはずなのに、あまりにも自分の生命が危険にさらされることが多くて、それが他人を攻撃するように出てしまうということです。

桑子:
思いやりとか、配慮とかがどんどんなくなって短絡的になっていくというか。

片渕さん:
そういうものがいろんなもの、世の中を支えてきてたはずなんです。社会というのは何で成り立っていたのか、そこから崩してきているような気がします。

桑子:
侵攻当初、私たちはブチャの方々に戦況や被害状況を取材していたのですが、時間がたって「私たちのことを忘れていませんか」という連絡が来ました。やり取りをする中で今回取材に行ったのですが、ロシア軍は確かに撤退した、でも今、ブチャを見ないといけないのではないか。今、ブチャを見ることについてはどういうふうに感じていますか。

片渕さん:
戦争が始まる前から、この戦争についてはインターネット上とかで少し予感みたいなものが流れていたものですから、戦争が始まる前のウクライナの町から観察することができてしまっていたわけです。ブチャに関しても戦争前、例えば自転車に乗ってタバコを吸いながらスーパーに行くおじさんの姿が画像で見れたわけです。

桑子:
日常ですよね、まさに。

片渕さん:
全く普通の日常ですよね。僕たちが今営んでいるのと同じものだったのですが、それが短期間にここまで変わってしまうものかというのを目の当たりに見せつけられたということです。

桑子:
ブチャに限らず、ウクライナのかつての写真などもインターネット上でご覧になるようにしているということで、そこにはどういう思いがあるのでしょうか。

片渕さん:
戦争というものをひとつながりのものとして、戦時中だからといって切り出さないで、その前からの長い時の流れの中で見るべきなのではないかなと思います。そうすることによって、その前にあったものが今こうなっているのだ、戦争が何を損ねていたのかというものがよく分かるような気がするのです。

桑子:
片渕さんの作品は日常の細かい部分まで本当に丁寧に描写されていて、人々だったり出来事だったり、一つ一つを丁寧に見ていくことはどんなことを生み出すと考えていますか。

片渕さん:
一つ一つが丁寧に、一つ一つが細やかに、でも、その一つ一つが独立していなくて、ずうっとつながっている一連の時の流れの一部なんだということです。時は広がっているし、同時に空間も広がっていて、僕らは今日本にいる、けれどもウクライナもその他の国々も、同じ世界の一部なんだなと。そういう認識をいだきたかったわけです。

桑子:
「この世界の片隅に」では日本の戦争が描かれているわけですが、今のウクライナでの出来事をご覧になっていて、感じることはどんなことですか。

片渕さん:
戦争というのは今までは物を破壊する、町を破壊する、それから人の命を損ねるということでわれわれは捉えることが多かったのですが、それだけではなくて、こんなふうに人の心に大きく傷を残す。特に今回の戦争は、市民の生活などに可視化されている部分がかなり多い。

桑子:
メディアを通じてということですね。

片渕さん:
SNSとかですね。それでよく感じられると思うんです。今までもそれはあったはずなのですが、ここで改めて戦争がしでかすものの中にこんなものもあったんだということが大きくクローズアップされているような気がします。

桑子:
ウクライナ1つの国で見ても、地域によってはロシア語を話す人がいたり、ウクライナ語を話す人がいたり、さまざまなわけですが、そういった今のウクライナの事情を踏まえて感じることはありますか。

片渕さん:
本来は、これは国境線をどこに引くかという戦争だったわけですが、そもそも大陸でいくつもの言葉を話す人たちが生活している時に、国境線を引くということ自体が矛盾している行為なのではないかということすら思うようになってしまいました。

桑子:
私が今回印象に残ったのが同じくオリハさん、仮設住宅の管理人の方ですが、すべてに気を配っていると心が耐えられないと。だからあまり気にしないようにしているんだという言葉で、でも今後、同じことを繰り返さないためには残さないといけない事実もある中で、でも忘れたいものは忘れたいという気持ちもとてもよく理解できる。この難しさはどのように感じていますか。

片渕さん:
本当に気持ちの上だけで言うと、忘れさせてあげたいですよね。でも、それだけに誰かがそれを背負って考えてあげなければいけない。そういうことも、これからの戦争についての世の中の対応の中に含まれていくべきなのではないかなと思ったりします。

桑子:
忘れさせてあげられるために、周りができることがあるのではないかと。

片渕さん:
それがどんなことなのかは分からないですが、考えていかなければいけないのではないかなと思います。

桑子:
ありがとうございました。最後にご覧いただくのは、ブチャの人たちの声に耳を傾ける中で出会ったこんな場面です。

ブチャの街で出会った "新しい命"の光景

一人一人の苦悩を一手に引き受けてきた、司祭のアンドリーさん。この日、ひとつの希望と向き合っていました。国外に避難していた家族が、新しい命と共にブチャに戻ってきたのです。

取材班
「子どもに何を願いますか?」
国外に避難していた女性
「平和な空の下で生きてほしい。戦争がない世界で」
取材班
「なぜ戻ってきたのですか?」
国外に避難していた女性
「家に帰りたかった」
国外に避難していた男性
「ここが故郷ですから」
司祭 アンドリー・ハラヴィンさん
「希望を失う人、最後まで戦おうとする人、全員を救うのは、多分無理です。今言えることは、憎しみには何の意味のないということです。憎しみの中で生きてはいけない。それだけは伝えなければと思っています」
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