
現実感がない、記憶が飛んでしまう…「解離」の症状とのつきあい方は?
消えない性暴力被害の記憶や後遺症に振り回され、家族や友だちと今まで通りつきあうことさえ難しい…。それでも、もがきながら生き延びてきたかたがた。
「#誰かが誰かの道しるべ」は、そうした皆さんのひとりひとり異なる道のり、思いや知恵を分かち合い「自分らしい人生」を取り戻すすべを考えるための場です。
2回目となる今回のテーマは「解離」。性暴力などトラウマとなる出来事に遭ったときに、多くのかたに起こる症状のことです。
「解離」の症状とどのようにつきあっているか―。あなたの声をぜひ聞かせて下さい。
(「性暴力を考える」取材班)
幻覚、幻聴… “わけが分からないこと”が次々に
今回「解離」をテーマとするにあたり、私たちにはどうしてもお話を聞きたい人がいました。
写真家の にのみやさをりさん(52歳)です。
にのみやさんは、出版社の新入社員だったころ男性上司からのレイプ被害に遭い、PTSDと解離性障害を発症。今も複数の薬を服用し、さまざまな症状と向き合い続けています。
私たちは2016年からにのみやさんについて伝えてきましたが、「解離」とどう向き合ってきたのか 改めて伺いたいと考えました。

取材の日。約束の時刻より2時間以上早く待ち合わせ場所に現れた、にのみやさん。
「きょうで 28年なんです。曜日も同じ。あのときも金曜日でした」と口にしました。
にのみやさんがレイプ被害に遭ったのは1995年の冬。加害者は 信頼を寄せていた男性上司でした。自分の身に起きたことが「被害だ」と認識することができないうちから、にのみやさんの心身にはさまざまな症状が現われるようになったといいます。
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にのみや さをりさん
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「当時はいずれ乗り越えられるものだと信じて、頑張ってそのまま働き続けていたんです。つらい出来事でしたが “大丈夫じゃないけど大丈夫だ”と思っていた。そうやってジタバタしているうちに、わけが分からないことが起き始める。今までの常識では認知できないことが、次々と起きるようになったんです」
にのみやさんに起きた「わけが分からないこと」。そのひとつが、幻覚と幻聴でした。
ある日、営業先に向かうために東京・渋谷の交差点を歩いていたときのこと。
横断歩道を渡ろうとすると、向こう側から歩いて来る人の顔が全員「のっぺらぼう」に見えたのです。

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にのみや さをりさん
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「人の顔が消えて、えっ何これ、と思って。のっぺらぼうになったみんなが一斉にゆらんゆらんと近づいて来るから、もう怖くて圧倒されて その場にしゃがみ込んで頭を抱えました。私今何を見ちゃったの?と…。それから誰のものかも分からない、おびただしい人たちの声が聞こえてくるんです。『お前なんかいらない』『お前は汚い』『死ねばいい』とか、私のことを徹底的に否定する声です。その後どうしたのか…。覚えていません」
にのみやさんの「わけが分からないこと」は、他にもさまざまな場面で起こりました。
気がつけば人物も周囲の風景も色が失われ、 すべてモノクロでしか認識できないようになっていました。さらに 幻覚や幻聴だけでなく、周囲や自分を捉える感覚そのものも変容。大好きだったシナモンの味やにおいを全く感じられなくなったり、自分で発した声や動かす体が まるで自分のものではないような錯覚に陥ったり…。何をしていても「自分」という存在が、ぽっかりと宙に浮かんでいるようにしか感じられない時間が長く続きました。
しかし当時のにのみやさんは、それが性被害の影響からくる「解離」の症状だとは知らず、振り回されるばかりだったといいます。
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にのみや さをりさん
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「そもそも被害を被害だと思えていないので、目の前で起きることと被害の体験を結びつけられずに大混乱していました。もう全部自分のせいで、自分がおかしくなっちゃったんだと思って落ち込んで。こんなこと誰にも言えない、どうして私はこんなことになっているのだろうって自分を責め立てることしかできなくて…。“ふつうの世界” で生きられなくなっちゃったことがすごくショックでした」
しだいに日常生活を送ることもままならなくなった、にのみやさん。わらにもすがる思いで友人に電話をかけ「私、気が狂ったと思う。病院に連れて行って」と頼み込みました。友人の助けを借り精神科に通い出し、ようやく「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」そして「解離性障害」と診断されました。
夢を抱いて入社した会社も、退職せざるをえませんでした。
“つらさ”から自分を切り離すために起きる 「解離」の症状

「解離」とはどんな症状で、なぜ起こるのでしょうか。
長年DVや性暴力被害者のトラウマ治療にあたってきた、日本福祉大学教授で精神看護学が専門の長江美代子さんに聞きました。
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長江 美代子さん
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「解離は、苦痛でトラウマになるような出来事を体験した人に起こる症状です。“解いて離れる” と書く字の通り、自分の感覚や感情・知覚・アイデンティティーが切り離されるという現象です。そのために認知が変わってしまって、現実では到底ありえないような不思議なものが見えたり声が聞こえてきたり、自分が現実を生きているような感じがなくなって体の感覚がそっくり変わってしまったりするようなことが起こります。そのメカニズムが100%解明されているわけではなく、社会一般でもなかなか理解されにくいのですが、昔から “ヒステリー” などと呼ばれ存在してきたものです」
長江さんによると、「解離」は 人間が自分の精神を守ろうとするために起こる症状だといいます。
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長江 美代子さん
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「解離は、起きてしまった出来事のつらさをまともに感知しなくて済むように、心を防衛するために起きるんです。被害に遭っている最中から解離が起こって『痛みも感じず、レイプされている自分を天井から見ていた』とおっしゃるかたも少なくありません。私は『あなたが生き延びるために起きていた症状だったんですよ』と伝えるようにしています。継続的に被害に遭っていたかたなどは、解離している状態が「当たり前」になってしまうということも多いですし、とても複雑な症状なので 自分から気付くことは難しいです。まずはどんなことが起こるのか、ひとつずつお話してもらって理解を深めていくことが第一歩になります」
「解離」している状態では、どのようなことが起きるのか。それを知る手がかりとして、長江さんは「解離体験尺度(Dissociative Experiences Scale, DES Ⅱ)」を紹介してくれました。精神科や心療内科などの臨床現場で、「解離」の症状や程度を把握し評価する際に使われているものです。
「解離体験尺度(Dissociative Experiences Scale, DES Ⅱ)」
(※この尺度だけでは、解離性障害やPTSDの診断をすることはできません)
診断を受け適切な治療に取り組むことで、症状の改善が期待できると長江さんはいいます。
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長江 美代子さん
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「身の危険や恐怖を感じるような人から離れたり、そばにいる家族にトラウマに対する理解を深めてもらったりなど、ご本人が『安全で、危害を加えられることはない』と感じられる環境を整えてから治療に入るという流れになります。トラウマの専門的な対応ができる医療機関でしっかり治療することで、症状の改善を目指すことが可能です」
「解離」とPTSDの症状が交互に…翻弄される日常

精神科に通うようになったにのみやさんは “わけが分からないこと”をひとつひとつ言葉にしたり、トラウマ症状について書かれた専門書を読み込んだりして、自分の身に起きていることが性暴力被害に起因する「解離」だったのだと理解していきました。
主治医と信頼関係を結ぶまで 何度も対話する必要がありましたが、繰り返していくことで さらに理解が深まっていったといいます。
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にのみや さをりさん
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「 “分かろう”と努力する中でもさまざまなことが起こるから、そのたびに “これは何!?どうしたらいいの!?”と戸惑って、10年ぐらいかかりました。それでも、正体不明のものが 自分で名前のつけられるものに変わったことは大きい。少しずつですが、症状が起きることへのショックが薄れていったように思います」
「解離」の症状があらわれることへの動揺を、少しずつ抑えられるようになってきた にのみやさん。しかし、症状がすぐに治まるわけではありませんでした。
特ににのみやさんを悩ませたのは、PTSDの症状が「解離」と織りなすように交互にあらわれたことだといいます。
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にのみや さをりさん
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「オポッサムっていう動物、分かります?かれらは危険を感じると、死んでしまったように動かなくなるんです。あれが『解離』のときの私。もうひとつPTSDの症状で『過覚醒』になる私がいて、そのときは怒り狂ったハリネズミのようなんです。両極端ですよね。でもそのどちらかを行き来することしかできない…みたいな時期が長く続きました」

「過覚醒」とは PTSDの代表的な症状のひとつです。命の危険を感じるような出来事の後、安全な場所にいても常に緊張して神経が過剰に研ぎ澄まされてしまい、ふだんなら気にならないようなことが とても気になってイライラして落ち着きがない状態が続くことです。解離性障害だけでなくPTSDも発症していたにのみやさんには、この症状がありました。
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にのみや さをりさん
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「たとえば友だちとお茶を飲んでいて、相手が指で机をトントントンと突きながら話していたとする。その行動に意味はないんです。でも、『過覚醒』のときの私は、『今、机を5回たたいたよね?それはどういうこと?』と緻密すぎるぐらいに相手の言動が気になって、指摘してしまうんです。しかも、そのどうでもいいようなことを忘れられない。そんな状態でずっと過ごしていると自分でも苦しくて、頭がパンクしそうになります。そうすると、今度はぼうっとしてきて 『解離』が始まるんです。現実にとどまっているのがあまりにしんどいから、ちょっと “飛ばして” しまおう、という感じになる。そうやって『過覚醒』と『解離』を行ったり来たり。これは症状のせいだと分かっていても、なかなか自分でコントロールできないんです。でも何も知らない友人からすれば、私の言動は極端すぎて理解に苦しみますよね。そのせいで、多くの人たちが私から離れていきました。人間って “人の間” にいると書いてニンゲンと読むのに、私は人の間にいられなくなってしまった。つまり、人間じゃなくなってしまったんです」
“症状も自分のひとつ” と捉えてから 少しだけ変わった

被害から28年。苛烈な症状に振り回されながら、にのみやさんはその間に結婚、出産、離婚を経験。シングルマザーを経て理解あるパートナーと再婚しましたが、今も「解離」の症状は日常の中にあるといいます。
「解離」とのつきあい方を、にのみやさんは自身の写真集の巻末にこう記しています。
『たとえば記憶。記憶が途切れる。時間が飛ぶのだ。一日のうちの半分くらいの時間が飛んでしまう。まるでレコードの傷から傷へレコード針が飛んで、その間の演奏部分が抜け堕(お)ちる、といった具合に。私にできるのは、必死に自分を律し、メモを取り、覚えていられることをひとつでも増やすことくらいだ』(『SAWORI』RANGAI文庫 2015年)

にのみやさんは症状が自分自身の生活を不安定にするだけでなく、子どもたちを巻き込んでしまうことに強い引け目を感じているといいます。
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にのみや さをりさん
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「たとえば『解離』している間に自傷行為をしてしまうなんてことが、しょっちゅうありました。でも私はぼんやりしていて、それを覚えていないんです。ぼーっとしながら、会話することさえある。でもやっぱり私は、それを忘れてしまうんですよね。だから “言った、言わない” みたいなことが頻繁に起こるんです。はっきり言って、私は恥だと思います。特に今小学生の息子にとっては…。私の症状のせいで学校に提出しなければならないプリントを忘れてしまうことが、しょっちゅうあるんですから。自分だけのことじゃなく、周りに迷惑をかけてしまうことにひどく落ち込んでしまうんですよね。“あぁ、またやっちゃったんだ” って」

症状とつきあう中で にのみやさんは、ある考え方にたどり着いたといいます。
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にのみや さをりさん
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「極端な話、PTSDも『解離』も一生つきあっていかなければならないんだって諦めたころから、少しずつ過ごし方が変わっていったように思います。いい意味での諦めというか、開き直りというか。毎回落ち込んで悲しんで…ってしてたら身が持たないのでは、と悟ったんです」
にのみやさんの語った「諦め」。それは、治療を全くやめてしまうという意味ではありません。性暴力の理不尽さに打ちのめされることから一旦 距離を取り、まずは日常を積み重ねることを大事にする。そのなかで起こる困った症状を引き受け、うまくあしらう方法を探してみようとすることでした。

きょうは、家族と朝ご飯を食べることができた。
犬の散歩に行った。
ため込んでいた洗濯ができた。
コーヒーの香りを感じることができた。
日常のささいな出来事を 「今、ここ」だけのものとしてひとつひとつ丁寧に感じ取るよう意識していくうちに、「解離」の症状が起きても「これも “自分” のひとつ」と捉えられるようになっていったといいます。
症状のためにモノクロに見えてしまう世界をどうにか伝えられないかと、独学でカメラを学び白黒の写真で表現するようになりました。
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にのみや さをりさん
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「私の場合、何かストレスが重なったときや、家にひとりでいて予定がない時間に『解離』が起こりやすいということが分かってきました。それなら息子が小学校に行く時間に必ず一緒に外に出て、散歩をしてみようとか。ぼーっとし始めたな、これは『解離』するかもしれない…というときに手をぎゅっとつねったり冷たい水を飲んだりして体の感覚を確かめてみよう、とか。自分の輪郭を見つめ直してみると、対策というか ちょっとしたアイデアが浮かんでくるんですよね。それでも、だめなときはだめです。そんなときは『まあ、これも自分だから』って、あんまり自分を責めないように努力する。その繰り返しです」

にのみやさんは、今「解離」の症状に苦しめられている人たちに向けて こう語りました。
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にのみや さをりさん
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「『解離』が度重なっていくと人間関係がきしむし、家族や友人にも迷惑をかける。それがどれだけつらいことか…。でも、自分を責め続けても何にもならないんです。私も何度も自分を責めてきたから、本当はこんな説教くさいこと言えないけれど、やっぱり得られるものは何もなかったから、そのことはお伝えしたいな と思います。
それならば『解離』とどううまくつきあってゆくか、自分なりの方法で模索してみてほしいなと思うんです。たぶん、10人いれば10人分の『解離』とのつきあい方があると思います。正解はどこにもない。だから自分の命を削るものでない限りは、みんな思いつく限り いろんなことをやってみればいいと思うの。じたばたするってすっごくしんどいけれど、その人の人生はその人が主役なんであって、自分の道は自分にしか作ることができないものですから。私も、まだまだそうしてみるつもりです」
これも「解離」? 症状が起こりそうなとき、どうしてる? あなたに起きていること 教えて下さい

今回の取材を申し込んだ当初、にのみやさんからは「自分が “誰かの道しるべ” になり得るなんて到底思えないし、正直なところ自分の “生の責任を背負う” ので精いっぱいというところです」と、葛藤しているようすでした。
しばらくたって「症状って本当に人それぞれだから、あくまでも “私の場合は” という話になるけれど、それでもよければ話せると思います」と、取材に応じて下さることになったのです。性暴力被害の「その後」の困難や苦しさを知っている にのみやさんは、自分の経験が押しつけになり、誰かを追いつめてしまうことにならないようにと、言葉を選びながら丁寧に話して下さいました。
この日の別れ際。
にのみやさんは「こんな話で、お役に立てたでしょうか?」とはにかんでいました。その笑顔は「解離」の症状さえも己の一部だと引き受けながら、自分だけのかけがえのない日常を積み重ねることで「人の間」にあろうとする決意に満ちていました。
この記事を読んで下さっているかたの中には、今自分に起きていることが「解離」の症状かどうか分からず、不安や恐怖を抱えている人がいると思います。まずは どんなときにどんなことが起きているか、一緒に書き出してみませんか。あなたと同じ経験をしている人に出会ったり、そこから気付きを得たりすることがあるかもしれません。
たとえば
・友人と過ごしているのに、急に自分だけ透明な壁に挟まれて 違う世界にいるような感覚に陥る。
・誰もいない部屋で、自分を責めるような声が聞こえてくる。
・人と話していても頭がぼーっとして、被害に遭う前なら記憶できるようなことも記憶できないことが増えた。
あるいは、にのみやさんのように「解離」とのつきあい方を模索中…という人もいるかもしれません。「こんなことを意識するようになったら、解離が起こりにくくなった/頻度が落ちついてきた」など、自分なりの対処法をお持ちのかたも、ぜひ共有いただけると嬉しいです。
詳しい治療法や家族など周囲の人の接し方についてなど、専門家に聞いてみたい疑問なども寄せていただけましたら 今後の取材につなげていきます。
性被害のつらさを抱えているかたはもちろん、ご家族、支援者のかたなど、ここの情報を必要と感じて下さるすべての人に参加してもらえたらうれしいです。
取材班にだけ伝えたい思いがあるかたは、どうぞこちらよりお寄せ下さい。