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教えてください 性被害の“その後” あなたはどうやって生きていますか?

消えない被害の記憶や後遺症を抱え 周囲の無理解に傷つきながらも、これからの歩み方を探し続けている…。私たち取材班は3年半、そうした方々の声を聞かせていただいてきました。

もがきながら進んできたお一人お一人の経験が、誰かの「道しるべ」になれば―。そうした願いを込め、皆さんの「経験談」や「具体的にやっていること」を共有する場として、新たに「#誰かが誰かの道しるべ」を始めます。

初回のテーマは「仕事や進路 どのように選んで、どう向き合っていますか?」。あなたが性被害のその後の人生をどうやって生きてきたか、教えてください。

(「性暴力を考える」取材班)

社会に出るために 努力してきた2年間

(葵さん 仮名・20歳)

「どれだけ努力しても がんばっても、性暴力被害者である自分はこの社会に受け入れてもらえないのではないかと感じています。性被害に遭った方々は、どうやって生きているんでしょうか?」

高校生のときに教員から性暴力を受けたという、20歳の葵さん(仮名)の問いかけです。このことばをきっかけに、私たちは「#誰かが誰かの道しるべ」を立ち上げようと考えました。

取材班が葵さんに初めて会ったのは、2年前。被害の影響で高校を退学して間もないころで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療のために通院する以外はほとんど自宅にこもる生活をしていました。

後ろに人が立つことが怖くて、病院までの移動中も駅のエスカレーターに乗れず常に階段を使用。電車ではほかの客から距離をとり、立ったままじっと身を固めて耐えていました。被害を思い出してしまうため、半年以上、教科書を開いて勉強することもできなかったそうです。

それでも葵さんは「社会とつながりたい、自分の力で生きていかなくては」という思いから、自分にできることを探してきました。被害のその後の2年間を話してくれました。

治療を始めて半年ほどたったころから、徐々に自分の気持ちを誰かに話したり将来のことを考えたりできるようになった葵さん。大学を卒業することで就職の選択肢が広がると考え、大学受験の準備を始めることにしました。触ることすらできなくなっていた教科書を開きましたが、やはり頭痛や吐き気が襲います。それでもまた次の日にトライし、少しずつ勉強をすることに慣れようとしました。

何かをつかみかけても

しかし葵さんにとって、被害に遭っていたときの状況や感覚を思い出す勉強はあまりにもつらく、ただただ教科書を開くことしかできませんでした。それでも試験を受けることで何か学べることがあるかもしれないと、受験を決意しました。

被害を受けた“教室という空間”に入ることができなかったため、通信制の大学を選ぶしかなかった葵さん。

合格し、朝決まった時間に起きて勉強する生活が送れるようになりましたが、午前中に勉強をした後は昼から夜まで眠る毎日で「自分は誰よりも何もできていない、将来のために何か身につけなくてはいけない」という不安や焦りが常にありました。

できることから積み重ねようと、葵さんはアルバイトを始めることにしました。選んだのは、単発のイベントの手伝いをするアルバイトでした。

葵さん

「イベントにはいろいろなご家族が参加してくださって、喜ぶ姿や話している姿から皆さんの生活が垣間見える気がしました。直接『あなたのおかげで楽しい』と言われるわけではないですが、私がアルバイトをすることで喜んでくれる人がいる、私でも誰かの役に立てるんだと思うとうれしくなりました。加害者の先生には、まるでモノのように扱われていた私が。性被害を受けたということで遠ざけられる存在である私が。何もできない私が」

ようやくつかみ始めた、社会とのつながり。しかし、葵さんの力を奪う出来事が起きます。

やりがいを感じていたアルバイト先で、葵さんはセクハラの被害に遭ったと言います。
名前を呼ばれるとき男性から肩や腰に触れられ、それはコミュニケーションのひとつとして誰も気に止めていないようでしたが、葵さんには恐怖を感じる行為でした。さらに男性上司から2人きりの食事にも誘われ、断ると仕事の内容を教えてもらえないこともあったと言います。

葵さん

「“ただでご飯食べられるならいいじゃん”というアルバイト仲間の女性もいたし気にし過ぎだという人もいるでしょうが、普通の人たちがやり過ごせる 時にはなんでもないようなことが、性被害を受けた私には怖くて気持ち悪くてしょうがないんです。

でもそんなセクハラのようなことが普通にされている社会の中で生きていくためには、我慢しなくてはいけない。でも我慢するのが、死にたくなるほどつらくなるときがあります。

“若い女性”という商品のように扱われ搾取され続けると思うとすごく悔しいし、社会に出て行くことが怖いです」

採用面接で「性被害に遭ったこと」を話したら・・・

それでも自分の足で立たなければと、葵さんは社会とのつながりをあきらめずにいました。偶然見つけた公務員試験を受けることにします。研修体制が整えられていて、ハラスメントで悩むこともないのではないかと期待してのことでした。

しかし、筆記試験と最初の面接を無事に通過し次の面接に進んだところで、またも性暴力の被害が葵さんの前に立ちはだかりました。面接官は男性が2名と女性が1名。よい雰囲気で話がはずんでいたところ、1人の面接官が履歴書を見ながら質問しました。

「なぜ、高校を中退したんですか?」

「やっぱり私の人生は、被害とは切り離せない」
そう思った葵さんは、高校で教員から性被害に遭ったということを話しました。
その瞬間、面接の場は沈黙。盛り上がっていた空気が、凍りつくように一気に変わったことを感じたと言います。

葵さんは深く落ち込みました。面接官の反応によって「自分は社会に受け入れられていないんだ」と突きつけられたようで、心が重く沈みました。

葵さん

「被害に遭ったことはすべて相手のせいだと世間も見ますが、被害に遭った後の人生はすべて私の責任と世間からは見られるということを、公務員試験の一件で知りました。

私がつらくて動けなかった時間も、ほかの人からはただ何もしなかった人として見られます。被害の影響でできないさまざまなことが、つらい“だけ”で何もしようとしない人として見られます。
社会から受け入れられていないと感じることが、今はいちばん苦しいです」

“あきらめること”も必要なのか

何気なく体に触れることが、職場を円滑にまわす“コミュニケーション”とされる。異議を唱えれば、不利益を被る。性被害に遭ったと話せば、聞いた人に悪い印象を抱かせる。こんな社会で、どうやって生きていけばよいのか。葵さんは問いかけます。

葵さん

「こんな思いをするなら、家に閉じこもっていたいです。ですが今ここで立ち止まってしまったら、将来何かをしたいと思ったときに大きなハンデになってしまう。だから働くしかないと思っています。つらい気持ちを抱えながら、どうやって仕事を見つけて生きていけばいいのでしょうか」

そしてもう1つ。葵さんは、ほかの被害者たちがどのくらい“あきらめて”生きているのかを知りたいと話します。

葵さん

「本当はやりたかったことがあっても被害の影響であきらめて生きている方、職場でセクハラがあってもあきらめて生きている方もいるでしょう。

私もアルバイト先の上司から2人で食事に誘われて、全然行きたくなかったんですが仕事がなくなるよりは…と思って行きました。でも、なぜあきらめて我慢しなければならないのかとも思います。

皆さんはどこでどう折り合いをつけて、被害を抱えて生きているんでしょうか」

教えてください。 あなたはどう将来を思い描き、どう生きてきましたか?

これまで取材班は、葵さんと同じような苦悩を抱えながら一日一日を生き延びているという方々に出会ってきました。それを取材者の私たちが一方的に伝えるだけではなく、皆さんがやってきたことや悩みとの向き合い方などを共有することで、苦しむ誰かが“この社会を生きていこう”と思える力になるのではないかと考えました。

今回、皆さんに聞きたいのは「どうやって仕事や進路を選び、生きてきたか」です。

▼やりたいことを こうやって見つけた
▼仕事や進路をこうやって決めた こうやって日々働いている
▼こんな壁にぶつかってきた こうやって乗り越えた
▼外出することはできないけれど 日々こうやって過ごしている
▼就職活動や仕事で 今もこんなことで苦しんでいる


皆さんの経験や思い 具体的にやっていることなどを、下記の「この記事にコメントする」からお寄せください。匿名で書き込むことができます。誹謗(ひぼう)中傷などを除き、このサイトで公開させていただきます。

性被害のつらさを抱えている方はもちろん、ご家族、支援者の方など、ここの情報を必要と感じてくださるすべての人に参加してもらえたらうれしいです。

また「ほかの被害者の方にこんなことを教えてほしい」「被害者の家族としてこんなことを知りたい」など、あなたがほかの読者に聞いてみたいこともお寄せください。

取材班にだけ伝えたい思いがある方は、どうぞこちらよりお寄せください。

みんなのコメント(27件)

提言
まさらしろ
20代
2023年9月18日
実兄からの7年間の被害から、今は解離や躁鬱状態からやっと抜け出して、自分が望む方向へと人生を進めています。仕事は内定辞退して、自分で作り出すことを決めました。
どうやって生きてきたか?については、自分が納得出来るまで死ななかっただけだと思います。
生き方の正解があったら楽だけど、正解がないと知っているからこそ、葛藤して苦しかった。家族には絶対バレたくない、けど関わり続けるのも無理。
でも自分がする全ての言動は、相手や何かの影響は受けていても、自分で決めている。だから、なぜそうしたか?本当はどうしたかったか?と言動を振り返る。逃げてしまいそうな自分に何度も問いかけました。
今では、自分でも気づいていない自分や、感情に蓋をしたり丸め込んでいたりする自分に気づくことが出来ています。
これからは、自分の生き方が誰かの道しるべになれるように活動していきたいです。
体験談
名無し
20代 女性
2023年9月3日
性被害 一生苦しい と検索したら1番上にこの記事が出てきました。1月の記事ですが今でもコメントがついてるのですね。
子供の頃、血の繋がった父親から性的虐待を受けました。赤の他人からでもありえないのにまさか父親からなんて、こんな目にあった人はこの世で私だけだろうと思ったら出てくる出てくる体験談。全ての男性がそうではないと思っても、どうしても避けてしまいます。父親はどう見ても普通のサラリーマンでしたから、見分けなんてつかないです。
私は父親を恨んでいます。許すことは出来ないです。一生恨むでしょう。

お盆・年末年始には帰省して、いつか好きな人が出来て結婚して出産しておじいちゃんだよって子どもをだっこさせて、こんな、こんな、ありふれた、些細な、人性が、何十年分の、有り得たであろう、幸せが、消えて、

肉親を恨み、不眠・鬱に悩み、これ以上壊れないように心に壁を作り、引きこもる。
これが今の私です。
感想
みかん
19歳以下 女性
2023年8月7日
数ヶ月前に塾の講師から被害を受けた者です。私も勉強していると事件のことがフラッシュバックしてしまってしんどいです。私の第1志望に通う講師だったので志望校も変更しました。
自分と同じような状況になった人がいるってだけでちょっと救われました。ありがとうございます。
悩み
仮名:進藤
20代 女性
2023年8月1日
同業の友人が性被害に遭い、現在示談交渉中。
気力がなく体調が優れないことから何もしたくないと言って、多方面での調整が停滞しがち。

時々私に相談の電話をかけてくれますが、
トラウマを掘り返す聞き取り調査、
相手方の弁護士との示談交渉、
職場との休職/復職調整がうまくいかずに
精神的に追いつめられてる様子です。
相談を受ける自分ですら気が滅入ってきます。
体験談
S
20代 女性
2023年7月23日
新卒で入社した会社でひと回り以上歳上の男性社員から性暴力被害を受け妊娠中絶しました。希望していた職種についたのに、入社したばかりなのになどと考えて相談することができず、中絶のため欠勤することを伝えるときにやっと会社に相談しました。加害者は自主退職の形で職場からいなくなりましたが、上司からは「事故みたいなもので、相手も退職したんだからお互い様」などと言われました。心が麻痺したみたいになっておりその後も数ヶ月働きましたが、不眠や体重激減で体調を崩し、結局は1年も経たず退職しました。
現在は被害者支援センターに相談し、弁護士相談や心療内科への通院をしています。加害者は加害を否認しており、上司の言葉も許せません。こんなことで私の人生を奪われたくない、被害後も寄り添ってくれている交際相手と幸せにすごしたい。
体験談
アキ
40代 女性
2023年7月20日
自分が性暴力をうけていることに気づいたのは、3年前の友人のひとことでした。友人は大学の同期で、卒業から20年以上経って再会し、お互いの家族の話をしていたところ「それモラハラじゃない?」と。半信半疑でしたが、モラハラの本を読み、さらに、ハートネットのサイトにつながりました。「いやがっているのに性行為を強要する」「性行為を拒むと不機嫌になる」「避妊に協力しない」「中絶を強要される」「性行為を録画される」夫からうけてきたことは性暴力で、支配関係があること知り、ワンストップ支援センターに相談をしました。そこでは「あなたは何もわるくない」「人格を否定され、物のように扱われている」とハッキリと言われ、夫から離れることにしました。当時、フラッシュバックや悪夢は日常で、些細なことで涙が出たり、ひどい時は失禁もありましたが、徐々に落ち着き、今はカウンセリングに通いながら、週2,3日仕事をしています。
体験談
めめ
30代 女性
2023年7月20日
実の父親から性虐待を受けていました。
5歳から16歳までです。
小学生低学年の頃は何をされているのかも理解出来ず、ただこれはいけない事なのだという何となくの認識でいました。
数年後姉も性虐待を受けていることが発覚し、小学5年生頃に一度母に相談をしました。
母は父と話し合いをしましたが、結局何の解決にもならず、その後も虐待は続き、私は30歳を過ぎても異性と交際が出来ない人間になりました。
学生の頃は、何度か頑張って異性と付き合ってみましたが、その度に嘔吐を繰り返し、私には子供はおろか、結婚すら出来ない人生なのだと今では諦めています。
姉は身体を売り、自殺未遂を繰り返しました。
加害者である父親は何事も無かったかの如く虐待のニュースを見て「人間のすることじゃない」と批判しています。
なら私や姉にしてきたことは?
2人の子供の人生をめちゃくちゃに壊した父親を、一生許しません。
体験談
マサキ
20代 女性
2023年7月2日
小学校低学年の頃に通学路で被害に遭いました。
関係あるかは分かりませんが、中学を卒業する頃から双極性障害を患い、高校も大学も中退して20代前半の今も実家にいます。
犯人がしてきたことの意味が分かったのは10年近く経ってからなので、そのときに深く傷付きました。
自分も含めた皆さんが少しでも楽になれますように。
悩み
ユキ
20代 女性
2023年6月28日
幼少期、おそらく親族から性被害に遭いました。当時の記憶は思い出さない様蓋をしていたらしく、あることがきっかけで学生時代に突然思い出し、パニックになりました。記憶が蘇った当初は事実だとは信じられず、フラッシュバックと自己嫌悪で頭がおかしくなるかと思いました。その後精神科に通い、6年ほどかけて最近やっと薬を手放すことができました。その間は無職とアルバイトを繰り返し、なんとか貯金を貯めるという生活をしてました。
今は自立を目指して仕事を探していますが、今度は親との問題で実家を離れるのが難しそうです。仕事も今まで非正規雇用ばかりだったので、今更正社員で雇ってもらえるのかと不安でなりません。
将来に関しても、精神科の治療は終わりましたが、男性に対する恐怖は変わらず残っているため、結婚出産等は諦めています。
どうすれば普通の人生を歩めるのか、悩み続けてます。
体験談
m
40代 女性
2023年5月8日
19歳の頃、見知らぬ人たちから輪姦被害に遭いましたが、警察にも病院にも通報することができませんでした。「警察に言ったら殺す」という犯人たちの捨て台詞がこわかったこと。そして、警察に連絡をすることで近隣の人や親に知られるのではないかと不安を覚えたことが理由です。憎しみの感情を早く手放したいという思いもありました。今も、「被害者を増やしてしまったかも」という念に駆られます。警察や相談窓口に連絡したあと、どのようにプライバシーが守られ、どういう捜査や手助けがあるのか。その先のイメージができていれば、警察に通報できたかもしれません。誰もが被害者になる可能性もあるので防災教育同様に周知しつづける必要があると感じます。結婚・出産後も配偶者からのセカンドレイプに悩まされ、加害者理解に意識を向けるなかで、アダルトコンテンツによる間違った性の認識がはびこる現状も問題ではないかとも感じています。
感想
たにし
20代 女性
2023年4月27日
私は被害をきっかけに人生が詰んでしまったように思う時がある。発作的にものを殴らないと気が済まなくなったり、元々乏しかった社交性がさらになくなった。
こんな自分が受け入れられる場所はきっと無いと思うし、もしあっても、私や悪意ある誰かに壊されてしまうと思う。
体験談
まる
20代 女性
2023年3月8日
2年近く前に性被害に遭いました。最初は認めることができずに自分を責め続けました。訪問看護、精神科への入院を経て日常生活に戻ろうとしていますが、また悪くなったりとの繰り返しです。夢があって海外に来ましたがそこで同郷の人から被害に遭いました。外に出れば2年経った今でも似た格好の男性を見るだけでパニックを起こします。
一つ幸いだったのは精神医学とサポートが非常に発展した国に住んでいることです。夢は先送りにはなっていますが警察の対応やメンタルヘルスへの理解など、もしかすると自国にいるよりも負担が少なかったかもしれません。本当に少しづつですが回復に向かっています。回復しかけてはまた後戻りしての繰り返しでたまに気が遠くなり、人生そのものを諦めたくなることもしばしばあります。難しいですがほんの少しの前進を見るようにしています。これを読んでいるあなたにもその少しの前進が見えますように。
悩み
もいち
40代 その他
2023年2月27日
私は小学生の時に性被害にあいました。しかし、幼い頃から男の子たちと遊ぶ方が多かった私は、親近感からか、当時は男性不信にまでは発展しませんでした。
私は体が弱かった為に体が細身でしたが、成長するにつれ胸が目立つようになりました。それが原因で社会に出てからは、本当に様々な被害に遭っていたと思います。酔った同僚から街なかで「お願いだから一回やらせてー」と腕を引かれたり、急に抱きつかれ服を脱がされそうになったり。当時はセクハラという言葉はなく、男とはそういうものだと、黙って心にしまい込むことしか出来ませんでした。その後、結婚はしましたが、旦那やその家族からモラハラを受け離婚。子供が欲しかったですが、もうすぐ閉経する年齢になってしまいました。
記憶を辿ってしまうと「自身(の体)が女であること」が本当にツラく、死にたくなることがあります。性被害から自己嫌悪に陥り、性自認に歪みが生じていると思います。
体験談
さくら
20代 女性
2023年2月16日
高校時代、教員からのグルーミング・性被害を受け約10年になります。
被害後フラッシュバック・抑うつ・焦燥感等の症状がありましたがあの出来事が被害であったと気づくのに9年がかかりました。
なんとか大学を卒業して社会に出てから非正規雇用で職場を転々とせざるを得ず、恋人ができてもトラウマの再体験の繰り返しでした。
被害に気づいた後しばらくすると身体が動かなくなりました。今は鬱・PTSDの診断を受けて時々通院とカウンセリングを受ける以外は何もせず療養する日々です。
この先どうすればいいか私もわかりません。しかしゆっくりと、治療の効果で回復に向かっていることを感じています。
加害者への怒りは消えることはありませんが、私はこれからも生きていかなければならない。この現実は変わりません。螺旋階段を描くような回復の先に、なんでもいいから希望を見出せるよう願う事だけが今の私にできる事です。
体験談
chocolate
20代 女性
2023年2月6日
高校時代に性被害を受けました。トイレに行くのを着いてきたり、派手な下着を見せてきたり尿で一杯になった大人用オムツを持ってきてその場で落として私のおむつと言われ私がトイレトレーニングが出来てないと皆の前で言われました。その後鬱になり勉強はついて行けず保健室通いに。腕を掴まれるだけ、少し鍛えられた人の腕の筋肉を見るだけで嫌悪感を抱きました。成績が落ち行きたかった大学にも行けず大学時代も精神科通いが続き遊びも友達も作らず一人で学生時代を過ごしました。社会人になり仕事で上手くいかず退職、一人暮らしも始め孤立しがちで引きこもりがちな中求職活動をし現在に至ります。死にたいと何度も思いました。しかし助けてくれる人は必ずいます。自立出来ず悩んでいた時地域の子ども食堂にお世話になり食欲のない時話を聞いて欲しい時フラッと行き助けて貰いました。市役所の相談窓口等も利用し、明るい未来、復職に向けて励んでいます。
体験談
kiki
40代 女性
2023年1月27日
これまで、父親からのモラハラやセクハラ、交際相手からのデートDVを受けてきました。

交際相手からは人目のあるところで身体を触られたりしましたが、父親が原因で男性恐怖症になっていた私は、逆らってはいけないと我慢し、屈辱的な思いをしました。

精神的に限界になり、自殺未遂を起こした際、精神科の医師から、「モラハラやセクハラ、触られたぐらいではPTSDにはならない、なるのは完全にレイプされた時だけだ。」と断言され、さらにショックが深まりました。

メンタルケアをする方々の無理解が、さらに被害者の傷を深めることになると知っていただけたらと思い投稿しました。

今は主治医を変え、過去とどう折り合いを付けながら生きていくか模索しています。
オフィシャル
「性暴力を考える」取材班
ディレクター
2023年1月17日
皆さん、ご自身の経験や思いをコメントしてくださり、本当にありがとうございます。
被害の“その後”との向き合い方は人それぞれで、多くの方が、区切りのつけられない、終わらない苦しみを抱えて生きていらっしゃること、重く受け止めました。必ずしも誰かのためにならなければと感じる必要はまったくありません。それでも、どんなふうに生きているかを伝えてくださった皆さんの声に、力をもらったという人もたくさんいるのではないかと考えています。 

私たちのもとには、仕事を探すことに苦悩したご経験や「ほかの方たちは症状とどうつきあっているのか知りたい」などの問いかけも寄せられています。届けてくださった声をもとにさらなる取材を深め、引き続きこのサイトで発信していきます。
体験談
みんみん
40代 女性
2023年1月14日
母が性暴力被害者でした。異常な心配性、不信感の強い性格で、自己肯定感の低い母は、娘である私の行動を常に束縛し、いつも「どうせうまくいかない。」「自分なんか?」「あんたなんか?」とネガティブな呪いのような言葉を吐き続けていました。
私が30代くらいの時に、ふと、母は、自分は近所の年上の男の子に長い間、性加害を受けていた、と告白してきました。
昔はカウンセリングも普及しておらず、自分の心の傷を癒すこともなく子育てをしてきた母は苦しかったと思います。父には遠慮があって出せない自分の闇を、娘には遠慮なくさらけ出していた母、自分を娘に投影し否定的な言葉を浴びせ続けた母には、同情はしますが、苦しめられてきたことを中々許すことができないです。
体験談
侘助
女性
2023年1月13日
子供の頃に様々な性被害を受けました。
職場や仕事の枠に自分を合わせるのではなく自分がどう生きたいかが先にあるので、周囲には被害経験があることも明かしています。
被害とは関係なく自分にできる事をしていますし、自分がしたいことをしていくつもりです。
交友関係も自分の仕事は自分で作るという人が多いかもしれません。
ですが、働く事よりも前に自分自身をケアする事が必要でしたし、健全で安定した人格を身につけることも必要でした。
大切なのは自分の軸をしっかり持つことだと思います。
体験談
メアリー
40代 女性
2023年1月11日
私は、幼少期からの性的虐待の被害者です。私の場合は実父と近所の年上の男子からの性暴力を受けました。未だにうなされ、似た人を見るだけでパニック症状が出ます。

自分を否定され続け『私は生きていて良いのだろうか?』と思う毎日です。解離とフラッシュバック、感情がコントロール出来なくなることもあります。

虐待や暴力を受けたひと達は『終わったことでしよ?前を向きなよ』と言われなくてはならないのか分かりません。壮絶な虐待に未来を奪われたのに『変な人』『常識なないんだね』と笑われ、更に追い込まれて行きます。終わりなんかじゃなく、苦しみの始まり何だと言う事だと思います。

性的虐待、暴力を受けた人へのケア、幼少期から大人になった後も後遺症は続く事を理解をして欲しいです。
体験談
うーたん
19歳以下 女性
2023年1月10日
生きるのをやめたい、生きるのを続けてみたいという2つの気持ちが混在しながら日々の生活を送っています。本当はすっごくすっごく悲しくて辛くてたまらないです。被害に遭った影響ですぐ過呼吸になるしすぐ倒れるし、ごく一部の友人ですが、体調のことで嫌味を言われるし、父親には被害に遭ったあとの症状を理解してもらえないし、何より、私は被害に遭ったから汚い人間なんだと(被害に遭った方は誰1人汚い人間なんかではないけれど)思ってしまうからとっても苦しいです。でも無力な10代の私には夢があって、綺麗事かもしれないけれど、なにかの弾みで人生を諦めたいと思っている方に、ぜったいぜったい大丈夫、かならずよくなるって証明して、ほんの一瞬でも生きていてよかったと思えるようにしたいです。周りの支えありでこうして今を過ごせていることに感謝して、どこまでやれるか挑戦してみたいです。
体験談
ななし
40代
2023年1月9日
被害者のその後が綺麗事や成功ばかりだけではないことを知ってください。幼い頃から長期的に性的虐待を受けて育ち、本当の自分を自覚する以前から被害を受けた為、本当の自分がわからない。本当の自分を知らず被害を受けたまま、まともなケアや医療にも繋がれず40年を生き不安定な心のまま、今は仕事につけない状態が続いている。毎日何かにイライラし感情の起伏が激しい。常に周りに合わせて生きている。
悩み
こま
50代 女性
2023年1月9日
小学生の頃から性被害にあっていましたが、大きなショックを受ける性被害にあった時、私はすでに3人の母親になっていました。私は母親とは自分のことを後回しまたは諦めるものと思っていたので、育児で自分の性被害すら忙殺される生活だったのが救いだったのかもしれません。ただ集中力がなくなり、前は一円単位で家計簿をつけていたのが全くできなくなり、料理も簡単なものしか作れなくなってしまいました。しかも寝る前の一番ほっとするはずの瞬間に被害を毎日思い出してしまいます。惰性のまま生活してきただけで、努力してこの過程を経てきた訳ではないので、このままだと子育てが終わった時に、自分がどうなるんだろうという不安があります。何とか前向きな生活がしたいと思い、子供が手を離れるようになって心療内科にも行きましたが、不安な時に薬で症状を緩和するだけで、何も変われません。カウンセリングも怖くて受けられません。
体験談
もふもふ
40代 女性
2023年1月8日
誰かのほんの少しでも未来に繋がればと思って。
20代前半、知らない男性に襲われ、婚約者の目の前で性暴力に遭いました。被害後、婚約者ともうまくいかなくなり婚約は破棄、絶望でした。いつになったら元気になれるのかわからないまま眠れない夜を過ごし体重も10キロ以上減り。当時カウンセラーさんに言われた言葉が印象に残っています。「あなたのような体験をしてしまったら誰でも10年はかかる、でも必ず元気になれるから」当時の私には苦しい言葉でした。10年もかかるのか、と。
今振り返れば、確かに10年以上かかりましたが、10年経たずにできるようになったことも。大きかったのは周囲の支えで半年後から働けるようになったこと。フラッシュバックがほぼなくなるまでには15年位かかったけれど。20年以上過ぎた今、私は仕事を続け、別の方と結婚も。私は今、元気で幸せです。辛かった時を忘れることはないけれど。幸せです。
体験談
ラザロ
20代 女性
2023年1月8日
知り合いの伝手で、職員も利用者もほぼ女性しか居ない小規模の介護施設で自身のリハビリと思い勤め始めました。後に転職しますが、何もしないよりは良いと思いました。過去の性被害をきっかけに自殺未遂を繰り返していたので「失うものは何も無い」と背水の陣の気持ちと、死ぬことを許されなかった自身の運命を呪いながら生きています。
悩み
しゅがるん
40代 女性
2023年1月7日
夫から性加害を受けていました。
義家族中心の生活で心を病んでしまい睡眠薬を飲むようになり、飲む前にもう飲んでしまいますよと予告するのですが、その時には返事がなく、薬が効いて意識が混濁し始めてからレイプされるようになりました。
AV等の影響で元々レイプ願望があったようで、そのうち薬に馴れて意識があるようになると、イメクラのように設定の演技をさせられるようになりました。
最終的には離婚届を向こうが勝手に提出して気が付いたら離婚していて、別れられたという点ではよかったのですが、精神的な傷は治りません。
夫婦間のことなので当時周囲に相談しても取り合ってもらえず、私もあれは性加害だったとわかってるはずなのですが自信がありません。
病院に8年以上通ってもトラウマ治療などは保険適用外ですし特に改善もなく40歳を迎えてしまいました。
伴侶に人間として扱われなかった惨めさをうまく消化できません。
提言
rescue rainbow
40代 男性
2023年1月7日
教員性暴力被害生徒の親です。
被害に苦しむ葵さんの姿に加害者への怒りを改めて痛感した次第です。
然しながらその中において自らの尊厳に向き合い希求する葵さんの姿に、誰かを想う気持ちをこうして性暴力取材班の方々と共に形にされたことに力を貰ったような気がします。
娘も事件後4年でPTSD発症不登校2年目です。
本人はずっと耐えてきたんだと思います。
不登校という形で自分の気持ちを表出して意思表示できた事、荒れに荒れた時期もありましたが漸く緩解期を迎えて少しづつ前向きに楽しいと感じることを始めています。
親も喧嘩したり、学校や病院など方々に説明に行ったり支援先を探して心理士を何人も会いに。
今思う事、尊厳を取り戻す過程をゆっくり支えてあげてください。時に荒れ、時に笑う紆余曲折がありますがその意思を尊重しゆっくり見守ってあげて欲しいと。親はゆっくりが丁度いいかと