
教えてください 性被害の“その後” あなたはどうやって生きていますか?
消えない被害の記憶や後遺症を抱え 周囲の無理解に傷つきながらも、これからの歩み方を探し続けている…。私たち取材班は3年半、そうした方々の声を聞かせていただいてきました。
もがきながら進んできたお一人お一人の経験が、誰かの「道しるべ」になれば―。そうした願いを込め、皆さんの「経験談」や「具体的にやっていること」を共有する場として、新たに「#誰かが誰かの道しるべ」を始めます。
初回のテーマは「仕事や進路 どのように選んで、どう向き合っていますか?」。あなたが性被害のその後の人生をどうやって生きてきたか、教えてください。
(「性暴力を考える」取材班)
社会に出るために 努力してきた2年間

「どれだけ努力しても がんばっても、性暴力被害者である自分はこの社会に受け入れてもらえないのではないかと感じています。性被害に遭った方々は、どうやって生きているんでしょうか?」
高校生のときに教員から性暴力を受けたという、20歳の葵さん(仮名)の問いかけです。このことばをきっかけに、私たちは「#誰かが誰かの道しるべ」を立ち上げようと考えました。
取材班が葵さんに初めて会ったのは、2年前。被害の影響で高校を退学して間もないころで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療のために通院する以外はほとんど自宅にこもる生活をしていました。
後ろに人が立つことが怖くて、病院までの移動中も駅のエスカレーターに乗れず常に階段を使用。電車ではほかの客から距離をとり、立ったままじっと身を固めて耐えていました。被害を思い出してしまうため、半年以上、教科書を開いて勉強することもできなかったそうです。
それでも葵さんは「社会とつながりたい、自分の力で生きていかなくては」という思いから、自分にできることを探してきました。被害のその後の2年間を話してくれました。
治療を始めて半年ほどたったころから、徐々に自分の気持ちを誰かに話したり将来のことを考えたりできるようになった葵さん。大学を卒業することで就職の選択肢が広がると考え、大学受験の準備を始めることにしました。触ることすらできなくなっていた教科書を開きましたが、やはり頭痛や吐き気が襲います。それでもまた次の日にトライし、少しずつ勉強をすることに慣れようとしました。
何かをつかみかけても

しかし葵さんにとって、被害に遭っていたときの状況や感覚を思い出す勉強はあまりにもつらく、ただただ教科書を開くことしかできませんでした。それでも試験を受けることで何か学べることがあるかもしれないと、受験を決意しました。
被害を受けた“教室という空間”に入ることができなかったため、通信制の大学を選ぶしかなかった葵さん。
合格し、朝決まった時間に起きて勉強する生活が送れるようになりましたが、午前中に勉強をした後は昼から夜まで眠る毎日で「自分は誰よりも何もできていない、将来のために何か身につけなくてはいけない」という不安や焦りが常にありました。
できることから積み重ねようと、葵さんはアルバイトを始めることにしました。選んだのは、単発のイベントの手伝いをするアルバイトでした。
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葵さん
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「イベントにはいろいろなご家族が参加してくださって、喜ぶ姿や話している姿から皆さんの生活が垣間見える気がしました。直接『あなたのおかげで楽しい』と言われるわけではないですが、私がアルバイトをすることで喜んでくれる人がいる、私でも誰かの役に立てるんだと思うとうれしくなりました。加害者の先生には、まるでモノのように扱われていた私が。性被害を受けたということで遠ざけられる存在である私が。何もできない私が」
ようやくつかみ始めた、社会とのつながり。しかし、葵さんの力を奪う出来事が起きます。
やりがいを感じていたアルバイト先で、葵さんはセクハラの被害に遭ったと言います。
名前を呼ばれるとき男性から肩や腰に触れられ、それはコミュニケーションのひとつとして誰も気に止めていないようでしたが、葵さんには恐怖を感じる行為でした。さらに男性上司から2人きりの食事にも誘われ、断ると仕事の内容を教えてもらえないこともあったと言います。
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葵さん
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「“ただでご飯食べられるならいいじゃん”というアルバイト仲間の女性もいたし気にし過ぎだという人もいるでしょうが、普通の人たちがやり過ごせる 時にはなんでもないようなことが、性被害を受けた私には怖くて気持ち悪くてしょうがないんです。
でもそんなセクハラのようなことが普通にされている社会の中で生きていくためには、我慢しなくてはいけない。でも我慢するのが、死にたくなるほどつらくなるときがあります。
“若い女性”という商品のように扱われ搾取され続けると思うとすごく悔しいし、社会に出て行くことが怖いです」
採用面接で「性被害に遭ったこと」を話したら・・・

それでも自分の足で立たなければと、葵さんは社会とのつながりをあきらめずにいました。偶然見つけた公務員試験を受けることにします。研修体制が整えられていて、ハラスメントで悩むこともないのではないかと期待してのことでした。
しかし、筆記試験と最初の面接を無事に通過し次の面接に進んだところで、またも性暴力の被害が葵さんの前に立ちはだかりました。面接官は男性が2名と女性が1名。よい雰囲気で話がはずんでいたところ、1人の面接官が履歴書を見ながら質問しました。
「なぜ、高校を中退したんですか?」
「やっぱり私の人生は、被害とは切り離せない」
そう思った葵さんは、高校で教員から性被害に遭ったということを話しました。
その瞬間、面接の場は沈黙。盛り上がっていた空気が、凍りつくように一気に変わったことを感じたと言います。
葵さんは深く落ち込みました。面接官の反応によって「自分は社会に受け入れられていないんだ」と突きつけられたようで、心が重く沈みました。
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葵さん
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「被害に遭ったことはすべて相手のせいだと世間も見ますが、被害に遭った後の人生はすべて私の責任と世間からは見られるということを、公務員試験の一件で知りました。
私がつらくて動けなかった時間も、ほかの人からはただ何もしなかった人として見られます。被害の影響でできないさまざまなことが、つらい“だけ”で何もしようとしない人として見られます。
社会から受け入れられていないと感じることが、今はいちばん苦しいです」
“あきらめること”も必要なのか

何気なく体に触れることが、職場を円滑にまわす“コミュニケーション”とされる。異議を唱えれば、不利益を被る。性被害に遭ったと話せば、聞いた人に悪い印象を抱かせる。こんな社会で、どうやって生きていけばよいのか。葵さんは問いかけます。
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葵さん
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「こんな思いをするなら、家に閉じこもっていたいです。ですが今ここで立ち止まってしまったら、将来何かをしたいと思ったときに大きなハンデになってしまう。だから働くしかないと思っています。つらい気持ちを抱えながら、どうやって仕事を見つけて生きていけばいいのでしょうか」
そしてもう1つ。葵さんは、ほかの被害者たちがどのくらい“あきらめて”生きているのかを知りたいと話します。
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葵さん
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「本当はやりたかったことがあっても被害の影響であきらめて生きている方、職場でセクハラがあってもあきらめて生きている方もいるでしょう。
私もアルバイト先の上司から2人で食事に誘われて、全然行きたくなかったんですが仕事がなくなるよりは…と思って行きました。でも、なぜあきらめて我慢しなければならないのかとも思います。
皆さんはどこでどう折り合いをつけて、被害を抱えて生きているんでしょうか」
教えてください。 あなたはどう将来を思い描き、どう生きてきましたか?
これまで取材班は、葵さんと同じような苦悩を抱えながら一日一日を生き延びているという方々に出会ってきました。それを取材者の私たちが一方的に伝えるだけではなく、皆さんがやってきたことや悩みとの向き合い方などを共有することで、苦しむ誰かが“この社会を生きていこう”と思える力になるのではないかと考えました。
今回、皆さんに聞きたいのは「どうやって仕事や進路を選び、生きてきたか」です。
▼やりたいことを こうやって見つけた
▼仕事や進路をこうやって決めた こうやって日々働いている
▼こんな壁にぶつかってきた こうやって乗り越えた
▼外出することはできないけれど 日々こうやって過ごしている
▼就職活動や仕事で 今もこんなことで苦しんでいる
皆さんの経験や思い 具体的にやっていることなどを、下記の「この記事にコメントする」からお寄せください。匿名で書き込むことができます。誹謗(ひぼう)中傷などを除き、このサイトで公開させていただきます。
性被害のつらさを抱えている方はもちろん、ご家族、支援者の方など、ここの情報を必要と感じてくださるすべての人に参加してもらえたらうれしいです。
また「ほかの被害者の方にこんなことを教えてほしい」「被害者の家族としてこんなことを知りたい」など、あなたがほかの読者に聞いてみたいこともお寄せください。
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