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脳科学者が認知症の母を介護してみたら… 母と“出会い直す”ことができた

「記憶を失っても、母らしい感情は残るのか」

私は、脳科学者として、娘として、ひとつの疑問を抱き認知症の母を介護してきた。

認知症の母の脳を分析し、母の行動を観察してきた7年間。

私は、ひとつの答えにたどり着くことができた。

(取材:大阪拠点放送局ディレクター 加藤弘斗)

恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さん 脳科学者

金城学院大/早稲田大/日本女子大 非常勤講師
自意識と感情・脳の働きについて研究を行ってきた

海馬の萎縮度は最も深刻な状態に

7年前、母がアルツハイマー型認知症になった。65歳の時だった。

診断から7年がたち、母の脳は、着実に萎縮が進んでいる。およそ1年半前、病院で脳の状態を調べると、記憶を司る海馬の萎縮は最も深刻なレベルに達していた。

「ショックではなかった」と言ったら嘘になる。だけど、私は失われていくものではなく、母の“母らしい感情”が残されていることを確かめたいと思った。

私は、脳科学者として人の感情と脳の働きの関係について研究してきた。母の脳を分析し、日々の行動を観察することで、“母らしい感情”が残っていることを示すことができたら、認知症の人やその家族にとって、何か役に立つかもしれないと思ったからだ。そして何より、私自身が母を理解したいと思った。

絢子さんは大学で脳科学を教えている

重度になっても台所にやってくる母

診断から7年が経ち、母は料理ができなくなった。
着替えもできない。時間と場所の感覚もあやふやだ。

失われていくことばかりだったけれど、認知症になってからも残り続けている母らしい行動がある。私が台所で料理をしていると、母は必ず私の様子を見に来るのだ。手伝うことはほとんどできなくても、時折、「危ないよ」などと言って、私を見守ってくれる。

きっと、「自分も何かやりたい」という気持ちや、娘の私を心配する気持ちを抱えているから見に来てくれるのだろう。認知症になり、“変わっていく母”がいることは確かだが、“変わらない母”もまた存在しているのだった。

いつも台所にやってくる母 恵子さん

口癖は「なんでもやってあげるよ」

母は23歳で結婚し、働き詰めの父を支えながら、私と兄、二人の子どもを育ててきた。

子どもが大好きで、地域の子どもたちに、長年、ピアノを教えていた。

料理が得意で、ピアノのレッスンがどんなに忙しくても、家族のためになるべく違うメニューを作ってくれるような母親だった。

「なんでもやってあげるよ」という言葉が口癖で、掃除も家事も完璧にこなす人だった。

こうした母のイメージはあるけれど、それ以上に、母がどんな人かなんて、認知症になるまでは考えたこともなかった。

台所に立つ恵子さん

久しぶりに聞けた 母らしい言葉

母が認知症になったことで、“何でもやってくれる母”ではなくなった。

だけど、「何かをしてあげたい」という気持ちは残っている。そう強く感じる出来事があった。

以前、母は施設から抜け出して行方不明になったことがある。スリッパのまま家を出て、近くの公園で見つかったこともあった。だから、私は申し訳ない気持ちを抱えながら、玄関に鍵をかけざるを得なかった。

すると、母は外に出たそうな様子を見せるようになった。家の中を一通り歩くと、玄関で立ち止まっている。私は、母が外に出たそうにしている時に、鍵をあえて外して、後ろからこっそりついて行くことにした。母が自由になった時、どこに向かい、何をしたいと思っているのかを知りたいと思ったからだ。

家を出ると、母は、しばらく後ろを振り返ることなくスタスタと歩いていく。数百メートルのところで母が振り返った。気付かれてしまった。しかし、私が後ろにいることを確認すると、また歩き出した。

絢子さんは、そのときの様子を動画で撮影している

しばらく行くと、母は野菜の直売所で足をとめた。そこで、母が言った。

「やってあげるね」

さらに、母は以前買い物をしていた別の野菜の直売所でも立ち止まり、こうも言った。

「やってみようか」

久しぶりに、昔の母の口癖を聞くことができた。母と会話をすることは、日に日に難しくなっていて、意思を確かめることは容易ではない。

「ダメだから」「もういいじゃない」そんなネガティブな言葉ばかり漏らしていた中で、ようやく母の前向きな気持ちに触れることができたのだ。

母の口癖は、なぜ引き出されたのか。脳には、「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれている回路がある。脳の前側に位置する内側前頭前野と後ろ側にある後部帯状回などをつないでいる回路で、実は、この回路は、集中して何かに取り組んでいる時よりも、休んでいる時やリラックスしている時の方が活性化するとされている。私たちは休息している時にこそ、これまで脳に取り込んだ情報や記憶を整理することができると考えられているのだ。

お風呂に入っている時や、散歩をしている時に、今まで一度も思い出さなかったようなことを思い出してはっとしたり、何か良いアイデアがひらめいたりした経験はないだろうか。これこそ、デフォルト・モード・ネットワークの働きで、母も行きたい場所に自由に行けるリラックスした状況の中で、昔の記憶を思い出し、「やってあげるよ」という言葉を口にしたのかもしれない。

そして何より、野菜の直売所に着いて、娘である私がそばにいることが刺激となり、「料理を作ってあげないと」という気持ちが出てきたのかもしれない。

「やってみようか」は家族のために、ずっと料理を作り続けてきた母だからこそ、こぼれた言葉なのだろう。

人生をかけて母がやってきたことをあらわしている言動に思えた。

認知症が重度に進行した今も、母が「人の役に立ちたい」という思いを持っていることが嬉しかった。久しぶりに、昔の母に会えたような気がした。

台所に来なくなった母

去年の夏。母が、台所に来なくなった。

何かやりたそうな気持ちをのぞかせながら、私を心配して見守ってくれていた母。その姿を見ることができなくなって、私は母が台所に来てくれていたことが、どれだけありがたいことだったのか初めてわかった。

絢子さんが料理をしていても、恵子さんは座ったまま

さらに、母は、ひとりで食事をとることもできなくなった。

この時、初めて母の死を意識した。自分の部屋に戻ると、たまらなく寂しい思いで胸がいっぱいになった。

あれだけ世話をしてもらったのに、母に何もできなかった。いつもやってもらうばっかりで。

私は次第に、母の残された時間を意識せざるをえなくなった。

感情が残っていることを確かめる旅

「最後になるかもしれない」。私は、そんな思いで母を旅行に連れ出すことにした。

だけど、動機はそれだけではなかった。

私は、母に母らしい感情が残っていることを、旅を通して確かめたいと思っていた。

旅行が大好きだった母。認知症になってからも、旅先で豊かな表情を見せてくれた。きっと重度になった今も、新しい環境で新しいものに触れれば、“母らしい感情”を引き出せるのではないかと信じていた。

診断後に訪れた旅先での写真

長良川の鵜飼いを一緒に見た。母にとっては、人生で初めての光景だ。
それでも母の反応は乏しい。

「ママ、あれ見て」

私は、何度も指をさして母の注意を引こうとしていた。母が、ぼーっとしている姿を見ていたくなかったから。

無意識に、私が見ている“はっきりとした世界”に母を引き込もうとしている自分がいた。

これまでは、一緒に旅行に行けば、いろんなものを見て、いろんな感情を抱き、それを言葉で共有することができていた。そんな当たり前のことが、どれだけ貴重な時間だったのか思い知らされた。

恵子さんの注意を鵜飼いに向けようとする恩蔵さん

旅行の最終日。私は、お寺に立ち寄った。そこで、私は思わぬ願いを口にしていた。

「治りますように」

認知症は治らない。そんなことはわかっているはずだった。科学者らしくない言葉だったと思う。だけど、次第に衰えていく母を前に、娘として、そう願わずにはいられなかったのだと思う。

母のレシピ

父が、思いがけないものを見つけてくれた。

リビングの引き出しの奥深くにしまわれていた、400以上のレシピが記された母のノート。

結婚後から料理番組を見てメモをとったり、新聞記事を切り抜いたりして、母がコツコツと書き留めてきたものだった。

恵子さんのレシピ ノートは4冊に及んでいた

一枚一枚めくっていくと、私の中に母との記憶が蘇ってきた。

子どもの時、誕生日によく作ってくれたニンジンケーキ。いつも誕生日が楽しみだった。

毎年、秋になると作ってくれた茶碗蒸し。具だくさんで、食べられる日が来るのを家族みんなが心待ちにしていた我が家の定番料理だった。

家族のために、毎日違う料理を出してあげたい。好きなものを見つけて、作ってあげたい。そういう母の気持ちがにじみ出ていたレシピだった。

家事やピアノのレッスンで忙しかったはずなのに、一品一品、地道に書き足していった母の姿が思い浮かんだ。母は、こんなふうに、家族のために時間を使うことをいとわない人だった。

私が忘れていた母が、蘇ってきたようだった。

レシピを見て、涙がこぼれた

忘れていた母との記憶

私は、母のことを何も知らなかった。何でもやってくれたから、それが当たり前になっていた。母が空気のような存在になっていた。

母が認知症になって初めて、母が私にかけてくれた愛情をかみしめるようになった。

朝、家族のために、一段一段階段を丁寧に拭いてくれていたこと。

いつも、家族のために台所に立ってくれていたこと。

大学を出るまでずっと、駅までの道を車で送り迎えしてくれたこと。

終電になっても、心配して、いつも迎えに来てくれたこと。
 
母は、頼まれたら「嫌だ」ということがない人だ。
家族のために、時間を割くことをいとわない人だ。
人のために動き続けて、止まっていることがない人だ。
それが、私を育ててくれた母という人だった。

恵子さんと幼い頃の絢子さん

今も流れ続けている 母らしい感情

認知症の母と過ごしていると、奇跡のような、必然のような、そんな瞬間に出くわすことがある。母のレシピに書かれていた茶碗蒸しを、私が作っていた時のことだ。

この日、母は私が初めてひとりで茶碗蒸しを作る姿をじっと見つめていた。

時折、私の方を指さしているような動作を見せることもあった。

母が台所に来てくれることはなくなった。でも、今私は、母がじっと私を見つめていることすら、「料理を作りたい」という気持ちのあらわれなのだと感じている。

母はそうして今も私と一緒に料理を作っている、と言えるのではないかと。

料理をしている絢子さんの方向を指さす恵子さん

料理を始めて30分ほどたったころ、母がゆっくりとイスから立ち上がった。リビングにある机のまわりをウロウロしているかと思えば、次第に私がいる台所に近づいてくる。

以前の足取りよりも、ゆっくりではあったが、一歩ずつ。着実に。

料理に戸惑う私の様子を見て、「あの子が大変だ、手伝ってあげよう」と腰を上げてくれたのだろうか。母が、時間をかけて、久しぶりに台所にやってきたのだ。

久しぶりに台所に来た恵子さん

重度の認知症になっても、母が人生の中でずっと大切にしてきたことは変わらない。

“その人らしい感情”があり続けるのだということを、母との日々の生活の中で、私は信じている。

母は一生懸命な人である。他人の役に立ちたいと、ずっと心を動かしてくれる人である。

こうして母を表現する言葉を見つけるのに、長い時間がかかった。
 
「記憶が失われても、母らしい感情は残るのか」

今、この疑問に対して、私は答えを見つけたような気がしている。

母がずっと抱き続けている、「人の役に立ちたいという気持ち」「家族に対する愛情」。

こうした感情は、認知症が進行すればするほど、見つけづらくなることは事実である。しかし、見つけるのが難しくなっているだけで、母の根底には、人生を通じて、ずっと流れ続けているのである。

NHKスペシャル「認知症の母と脳科学者の私」

放送:2023年1月7日(土)22:00~[総合]
恩蔵絢子さんと母の恵子さんを取材した番組を放送します。
※1月14日(土)までNHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます

担当 加藤弘斗ディレクターの
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みんなのコメント(27件)

感想
りんご・ごはんデザート付き。
50代 女性
2023年6月18日
御母様の「なんでもやってあげるよ」には溜息が出ました。料理研究家・辰巳芳子さんの母浜子さんも帰宅する夫君を「なんでも有るわよ?」と夕食を振る舞われた…毎日の話だそうでこれは真似できません!愛情の日々が娘さんの献身を生むと感じました。ギャップが大きいほどお辛いでしょうに。御母様がご自分に甘い生涯だったら?「能力でなく感情」と在りましたが…やはり幼き時からの重なる数多き喜びの記憶が娘様を深い理解へ導いたのでしょうか。幸せとは?と感じ入る番組でした。
感想
カズヒ
60代 男性
2023年1月28日
恩蔵様のお母様をみて私の母のことを思い出しました。生き仏様のようなお顔だちしぐさ。
これからは母に恥じないような生き方、母が誇れるような生き方をしたいと決意しました。
感想
はる
50代 女性
2023年1月17日
最近、いよいよ父母が怪しくなってきて、
不安になっていますが、
弟が意に反して、私より良くやってくれ、
ありがたいと思っています。

母は、寄り添ってくれる人がいて幸せです。
昔の人からしたら当たり前のこと
かもしれないけど。
母は親の面倒もみなかったけど。

子供いない私は、誰にお金預けて、
誰に日常預けて、誰に心預ければ
無事に死んでいけるのでしょうか。
検討する時間も頭もなくなってきました。
国は年寄りに冷たすぎる。
希望はないのでしょうか
感想
ばば
70歳以上 女性
2023年1月14日
認知症の人と家族の会に入会して12年、介護者のつどいで皆さんとたくさん話してきました。看護師の仕事をしながら、私も介護した経験や認知症になった姉をみてきて、恩蔵さんの言われること、心配はよくわかりますが、当人は誰と明確に言えなくても自分にとっての家族、または近しい人だとわかります。また、ご自分にとって好きな方は、にこにこ対応し、嫌いな方は顔で反応します。
昔、行った所の記憶を辿ってと思われがちですが、認知症が少し進んで来ると、自分のいる場所がわからず不安になることもあって、自分でもどうしていいかわからない状態になることもあります。自宅近くの少しでも慣れた場所が安心かも。
認知症は家族関係、生活環境、夫婦関係などが絡み合って、とても複雑で答えは一つではありません。でもあまり気負わず優しい気持ちで接すれば、それでいいのではないでしょうか。
感想
むーぷに
50代 女性
2023年1月13日
涙が止まりませんでした…
母の姿と、娘である私自身も、あまりに似ていました。
娘としての心理も、本当に同じでした。
母が生きていてくれていることに感謝しかないです。
たった一人の大好きな母へ「ありがとう」をたくさんたくさん返そうと思います。
そして、母がくれた最大の愛を我が子たちへ送ることが、母の生きてきた証を残せる気がします。
ありがとうございます。
感想
こじ
50代 女性
2023年1月11日
遠方で一人暮らしの母が認知症と診断され2年が経過しました。母をサポートしたい気持ちと、悪化していく母を看ることがこわいという気持ち、いや母は、子供の世話になどなりたくないのでは、仕事を辞めて自分自身の生活はどうなるのだろう、などぐるぐる考えています。しかし、番組で恩蔵先生の呼び掛けに優しい表情をされているお母様のお姿を拝見し、素晴らしいお嬢様とご家族だと思いました。何ができるかわかりませんが私もできることを精一杯したいと思います。恩蔵先生ご自身もお身体ご自愛くださいませ。ありがとうございました。
体験談
モモ
60代 女性
2023年1月11日
私の母も、認知症です。父も認知症でした。その父の症状と同じ所があったので、なるべく出来る事は手を出さないで、本人に任せるようにしています。買い物や自分の食べる仕度、洗濯物干しや取り込む。母もやってやるやってやると何でも自分でやりたがり、私が嫁に行くまで、台所に立つ事が出来なかった。実家に戻り再婚して、かなり料理が出来るようになって、煮物やら色々作ったら、母の器に入れておくと、食べて。私の料理を受け入れるようになりました。出来ない事だけ手を貸す事が大切だと思います。自分の医者や買い物のさんだん。同級生や親戚に頼んでいます。私は旦那に言って来た時だけ、一緒に買い物をするようにしたり、年末に私が作った煮しめや栗金団を美味しいから、他で取らない、と初めて認めました。日々手探りですが、父の時の経験もあるので、今の所なんとかやり過ごせています。出来ない事が増えるので、出来ることは手を出さない事が大事な
体験談
シン
50代 男性
2023年1月11日
自分は理解できません
自分の母も現在認知症です
でも、年相応だと思います
母のして来たことは否定しません
母の子として受け入れるか入れないかの違いだと思います
ドラマでないです
私は事実を受け入れます
感想
マイク
70歳以上 男性
2023年1月10日
とても参考になりました。認知症だけは避けたいと願います??
感想
みーちゃん
50代 女性
2023年1月9日
この番組に感謝します。
絢子さんとお父様が、認知症を抱えたお母様に自然体で寄り添っているのが素晴らしいと思いました。
今までに色々な葛藤があったと思いますし、現在でもあると想像しますが、苦労を滲ませている家族ではなく、理知的で現実を受け入れながら介護しているご家族のドキュメンタリーは多くの視聴者に勇気と気付きを与えてくれます。
絢子さんが日々の様子や振り返り語録を正直に見せてくれている勇気にも感動しました。
私も認知症の母がいます。嘆いていても何も良いことはないので、サポートしながら、今できることを一緒に楽しんで、その時間に感謝して暮らしていきたいと思います。
感想
みっちゃんの娘
40代 女性
2023年1月9日
私も現在、重度の認知症の実母を介護しています。母も「何も分からない、出来ない、バカだから…」と云う時期もありましたが今は穏やかにニコニコしている母が愛おしいです。恵子さんを想う絢子さん。絢子さんを娘と認識している場面。私と母と重なり本当に感情を揺さぶられました。実母も優しく完璧な母でしたので働き過ぎた分、今はゆったり過ごして欲しいです。私が思うに、絢子の優しさは恵子に必ず伝わっています。常に笑顔で、笑顔が返ってきます!
どうか、恵子さん實さん絢子さんが健やかであられますように。
感想
天野
40代 女性
2023年1月9日
訪問介護職の者です。
と同時に恩蔵さんと同じ世代で、最後まで見入ってしまいました。
どうしようもない感情で涙が止まりませんでした。
認知症の方の代弁は出来ないけど何か近づいた気がしました。ありがとうございました。
感想
希望の??
50代 男性
2023年1月8日
認知症の母を介護中の中年男子です。
まさにおなじシチュエーション。
母の口癖・・・忘れかけてました。
幼少から中年男子になるまで、
ずっ??と語り続けてきてくれた言霊。
思い出したら、何故か涙が止まらなくなりました。
でもありがとうございます。
肩肘張らず頑張れそうです。
感想
ともりん
40代 女性
2023年1月8日
現在、私も母の看護をしています。神経不安症で毎日一緒に過ごしています。おんぞうさんの言葉母の思いがまるで私とリンクしていました。お母様の認知症を現実として受けとめて、脳科学者として向き合う日々を何と表現していいか難しいのですが、誰しも、両親の老いの現実がくる。今は、ただ、母にやれることをしてあげたい。後悔のない日々を過ごしたい。おんぞうさんの日々は、きっと宝物になると思います。そしてお母様は幸せだと思います。私も、75歳の母と生きる日々を堆積に過ごしたいと思います。
感想
Komichi
60代 女性
2023年1月8日
とても感動しました。
現在、認知機能が低下し始めた母のことで、弟夫婦と考え方が正反対で、胸を痛めているところでした。
母と同居の弟夫婦は「認知症など専門家に任せるべき、素人ではなんともならない」と、
最初からサジを投げ、育ててもらった母親に対する恩返しの気持ちなどは感じられずいつも残念な気持ちでした。
同居しているからと自分たちの所有物のように扱うことへも不満もあったため、
画面を通じで一生懸命、世話をする娘の姿やお母さまの様子に涙なしで観ることはできませんでした。
やはり、育ててもらった恩は
理屈ではなく、気持ち、心で返していきたいと強く思いました。
エールをもらったようで励みになります。
ありがとうございました。
感想
まきこ
40代 女性
2023年1月8日
恩蔵先生に優しいお母様がいらっしゃって、よかったです。もしかしたらお母様は少しずつ言葉をお忘れになっているかもしれません。しかし、お母様のお心の根底には愛娘に対する、言葉に尽くせぬ愛情が確実にあるはずです。お母様から愛されたご自身を大切に。それが多分、お母様に対する最大の親孝行だと思います。
感想
なちと
50代 女性
2023年1月8日
私の母も認知症です。認知症を知りたくて番組を見ました。母が認知症になってからずっと悲しくて寂しくて泣いてばかりいます。私を忘れてしまった母に会いたい気持ちと現実から逃げたくて会いたくない気持ちがありました。でも番組を見て、どんな母になっても私が知ってる母を忘れずにいようと強く思えました。
体験談
しょんつう
60代 女性
2023年1月8日
私は、聴神経腫瘍と言う耳の病になっています。
おかあさんノブを認知症が、早い段階からのようで苦労が多いことでしよう。めまい、ふらつき、顔面けいれん戦いながら父のお世話いたしまた。失語症からはじまり、認知症になっていきました。

デイサービスを利用してどうにかお世話することができました。ふらつきがありスマホをうっだけでも大変です。
介護する方も病気にならないよう気をつけてください。
提言
南風
50代 女性
2023年1月8日
「脳科学者」と言うかタイトルが付けられていましたが、恩蔵先生の娘としてのお母様への愛で溢れているお話でした。
私も50代で、母も認知症です。息子は自閉症です。どちらも認知機能の問題ですので、似ているところが、たくさんあります。2人とも、その人たちらしさはあります。恩蔵先生のお気持ちは、痛いほどわかります。しかし、相手に求め過ぎてはいけないと思います。
たとえ、先生の知らないお母様になっても、その人らしさが消えても、お母様はお母様なのです。そして、全てを受け入れるしかないのです。難しいことは承知です。でも、価値観を変えるしかないです。その上で、ご自分がお母様に愛情があれば、それで良いのです。
先生だけではございません。同じような家族はたくさんおります。番組内での先生のご様子では、先生を心配してしまいます。
当事者、家族が過ごしやすくなるご研究をお願い致します。
感想
希望の??
50代 男性
2023年1月8日
母の介護中。年は違えど母と環境や状態が似すぎてしまって・・・何故涙が止まらなくて・・・でもでも、前向きになれた 希望が沸いた
ありがとうございました
感想
かかりん
50代 女性
2023年1月7日
家族にとっては、親が認知症という現実は受け入れがたい事だと思います。しかし、事実を受け止め、少しでも進行を遅らせる事ができる術があり、1日でも長く大切な人と過ごすことができる。だから、諦めずに前に進んで下さい。
私は親孝行もしないうちに母が亡くなってしまいました。亡くなって14年経ちますが、親孝行を出来なかったことが心残りです。
後悔ないよう1日、1日を過ごして下さい。
体験談
あずみのおばさん
70歳以上 女性
2023年1月7日
私の周りでも軽度の認知症と思われるかたがおられ 友達として気にしております。
テレビを見てまず思ったのは 音楽教室をやられていた恵子さんとのことなので 是非音楽をそれも歌を歌ったりピアノを弾いたりを一緒にやってほしいと思いました。友達は大部記憶力がなくなっても 以前の仕事はよく覚えていてびっくりすることがあります。 私も80を越して他人事ではなくなりましたので 友達の様子が気になっています。趣味はいつまでもその人らしさを残している部分と思います?恵子さんも是非音楽教室の頃のお友だちと楽しませてあげてほしいとつくづく思っています。
感想
あきこ
50代
2023年1月7日
父の認知機の低下に悩んでいました
昔から厳格でしたが、わたしたちをかわいがって育ててくれた父の感情表現が失われていくことに戸惑っていた中で番組を見て共感するところがたくさんありました
今後も父に寄り添っていきたい
感想
りょうこちゃん
60代 女性
2023年1月7日
2018年に実母を認知症(アルツハイマー)で亡くしました。生前の母を見ているようで、とても懐かしく拝見しました。その経験から認知症介護サポーターとして、ボランティアをしています。小学校に認知症キッズサポーター養成講座に行き、
宇多津町の介護予防事業に携わっています。ステキなご家族のすばらしい番組でした。たくさんの人に見てほしいです。再放送を希望します。
私の周りの人達に紹介してあげたいです。
感想
ちゃこぷち
50代 男性
2023年1月7日
私の母は、86歳、
レビー小体型認知症
発症し3年が経過しました。
母が失われて行く恐怖に、一昨年の年末
煉炭心中未遂を起し、一年、警察の監視に居ました。
この番組を見て。
あー、今、私をわからないけど
母は、母だ。
この言葉が、心に響きます。
トイレも、食事もできないけど、
私が職場から帰宅するまで、電気もつけないで待って居ます。
ただいま、お帰り。
これだけですが、私の支えです。
感想
テッチャン
60代 男性
2023年1月7日
私の母も認知症でした。子供の顔も名前も解らない母でしたが、93歳で亡くなりました。今思えば帰省したおり、記憶を失くした母に2歳や3歳の子供に話しかける接し方をした時、母がとても情けない悔しそうな顔をしたのを覚えてます。多分思い出せない悔しさと人間としてのプライドがあったんだと、今は理解できます。亡くなる前の施設に顔を見に行った時笑顔で私の手を取って微笑んでくれました。認知症は全てを忘れる事ではなく久しい人や悔しい思いをした感情残っていると思います。
感想
よし
50代 その他
2023年1月7日
精神の薬で逆に症状が悪化していないんですか?
私の母は認知症はないのに
たまたま腹痛と糞詰まりで入院。
母に会いに行ったら
主治医から「お母さんは認知が進んでいます」と、入院中に突然、アルツハイマーの薬を処方されていて
母の表情がまるで別人でした。
私は近くに住んでいるので
2日に1回は必ず様子を見に行ってました。その間、別に普通に話してたのに、入院してからが まるで別人でした。
退院して、処方された薬を調べたら
アルツハイマーの薬、しかも
割と強い薬でした。
私は今は別の仕事をしていますが、
数年までは看護師として働いていました。
精神の薬は逆に症状が悪化してきた患者さんは沢山みてきました。
薬が脳を壊しているんではないですか?
製薬会社も厚生省も利権ばかりだと、はっきり分かります。
だから私は看護師を辞めました。