
いつか私を忘れてしまったとしても 認知症の夫と共に
最愛の人がいつか自分のことを忘れてしまうかもしれない。
そんな事実に直面したら、あなたはどんな思いで支えますか?
「認知症と診断された本人を支えないといけない」
「自分が落ち込んではいけない」
パートナーが認知症と診断された時、相手への思いやりから不安や迷いを見せまいと葛藤する家族は少なくありません。複雑な思いを抱えながらも、認知症と診断された夫と一緒に笑って過ごす瞬間を大切にしようと心に決めた、ある女性の思いをうかがいました。
(NHK社会番組部 ディレクター加藤弘斗)
関連番組:NHKスペシャル「認知症の先輩が教えてくれたこと」(9月26日放送)
いつか私の顔も忘れるんかな…
4年前、アルツハイマー型認知症と診断された高橋通夫さん(69歳)と妻の宗代さん(65歳)。私が取材で初めて出会ったのは去年の7月のことでした。
通夫さんは時間の感覚が曖昧になったり、道がわかりづらくなるなどできないことも増え、認知症と診断されたことをなかなか受け入れらなかったと言います。
通夫さんを一番近くで見守っている妻の宗代さんは、いつも笑顔を絶やさない持ち前の明るさで、通夫さんを支えている姿が印象的でした。
撮影のお願いにも快く応じてくださり、「認知症というのがもうそんなに隠すような病気でもなくて、いろんな病気の中の1つだと思っている」と話してくれました。
いつも前向きな宗代さんですが、通夫さんがいない時に初めてカメラの前でお話を伺うと、突然涙を流しながら語り出しました。

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宗代さん
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「できたら今の状態がずっと続けばいいなとは思う。いつか私の顔も忘れるんかなと思うと何かちょっと寂しい。 (楽しく過ごせば、一緒に暮らせる時間が)2年が3年になり、3年が4年になるというか、伸びるんじゃないかなと思って。極力、楽しい日がたくさん続けばいいなという感じで。あんまりこんなに泣く事なかったんだけれど、いつも私がハッパをかけることが多いので… (夫と)同じ船に乗っているからね。そこから逃げ出す事はできんよね」
認知症と診断された夫の前で、自分が落ち込んだ姿を見せてはいけない。
笑顔の裏で、ひとしれず葛藤を抱えてきた宗代さんの思いを初めて知りました。
認知症になってよかったこともある
高橋さん夫妻は医師から勧められたのがきっかけで、 “認知症の先輩”がいる相談室に通っています。
香川県の西香川病院では、認知症と診断された人を相談員として雇い、認知症を受け入れられない人などに対し同じ当事者として相談に乗っています。
“ピアサポート”と呼ばれる取り組みで、認知症になった人同士が語り合い、支え合っていきます。

当初、宗代さんに連れられて相談室を訪ねた通夫さんは、表情が硬く自分から話すことはほとんどありませんでした。
それでも宗代さんは、通夫さんを連れて何度も何度も相談室に通いました。
二人の話し相手になってくれたのが、“認知症の先輩”である相談員の渡邊康平さんです。
繰り返し話をするなかで、渡邊さんのある言葉が通夫さんの心に響きました。
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渡邊 康平さん
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「人生楽しまなかったら、何のために生きているかわからん。自分のやりたいことはな、どんどんやったらいいと思う。一つでもできることが増えたら、家族も喜ぶしな」
この言葉をきっかけに、通夫さんは自分にできることを探し始めました。
料理の手伝いや洗濯、皿洗い。小さなことでもいいから、今できることをこなそうとしてきました。

少しずつ日常を取り戻していく中で、通夫さんが日記に綴った言葉があります。
認知症になってよかったこと。
妻の優しさにふれたこと。
人のいたみがわかったこと。
いっぱいあるものだ…。

この言葉に込められた思いを通夫さんに尋ねると、通夫さんは書いたこと自体を忘れていました。しかし妻の宗代さんは文章を見てこうつぶやきました。
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宗代さん
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「これを書いてくれた時は、本当にそう思っていてくれたんだね。認知症になってよかったことがあるんや…。」
認知症と診断されたからこそ、通夫さんが気づいたことがある。
そばにいる自分の気持ちは確実に伝わっている。
日記を見つめる宗代さんは、救われた表情をしているように見えました。

忘れても また一緒に思い出せばいい
宗代さんは、通夫さんと少しでも一緒に過ごす時間を作るため、4年間続けていたスクールバスの添乗員の仕事を辞めました。日々の何気ない瞬間を大切に暮らしていきたいと思ったからです。
一緒に料理を作った時。
家に飾られている家族写真を眺めている時。
記憶が長く続かない通夫さんは不安そうにつぶやきます。
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通夫さん
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「そういえば、昔作ったけど、作り方忘れたな…。 こんなところ行ったっけな?忘れたな…」
そんな通夫さんに対し、宗代さんがよくかける言葉があります。
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宗代さん
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「忘れても、また一緒に思い出せばいいじゃない」
認知症になってから、ふたりで過ごす時間が増えた高橋さん夫妻。
その時間を思い出せるように、夫婦ふたりで撮った写真を増やしています。

認知症になった人へ 夫婦でたどり着いたメッセージ
相談室に通い続けておよそ一年。少しずつ前向きになり、自分にできることを模索し始めた通夫さんは、相談員のサポート役を担うようになりました。
自分と同じように認知症と診断された人に、何を伝えられるのかー。
次第に薄れる記憶の中で、通夫さんは必死に考え日記に書き留めています。
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(通夫さんの日記から)
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落ち込んでいた私でしたが、その後なんともなくなり、自分がばからしくなりました。なぜかといえば認知症の前も後も、何も変わらない。まさに気持ちの持ち方ひとつでどうにでもなるものです。(中略)その後認知症のことは忘れてしまって、そんなことは気にせず認知症であったことも忘れています
認知症と診断されても、気持ちの持ち方次第で、自分らしい人生を取り戻すことができるのではないかー。
一年前まで認知症を受け入れられなかった通夫さんがたどり着いた思いに、宗代さんも心を動かされていました。
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宗代さん
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「認知症を忘れて楽になってよかったなっていう気持ちと、それだけ(症状が)進んだのかな、それも忘れてしまうのかなっていう気持ち。でも、楽しく、笑って生活ができたら幸せやねって思うかな。 顔を忘れてしまう時がいつか来るのは逃れられないと思うけど、それを考えるより、一緒に笑って過ごす方がいいと思う。何か認知症になって2人が寄り添える部分も増えた気がするので。落ち込むことばかりでは全然ないかな」
「いつか私の顔も忘れてしまうのではないか」。
宗代さんはそんな思いを抱えながらも、何気ない日常をふたりで笑って過ごしていこうと心に決めています。
「また、一緒に思い出せばいいじゃない」
これからも、そう語りかけながら。
