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西日本豪雨から5年 アンケートから見つめる被災地のいま

  • 2023年07月28日

「雨の音が怖い」
「収入が元になるまでには10年近くかかります」

西日本豪雨から5年。
100人を超える被災者の方たちが、私たちのアンケートに答えてくれました。
見えてきたのは、いまだに深い傷あとが癒えていない、被災地の現状でした。

(NHK松山放送局 西日本豪雨取材班)

心身への影響 今も7割が残る

5年前の2018年7月に起きた西日本豪雨では、愛媛県内でも川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、災害関連死の6人を含む33人が亡くなりました。

あれから5年。
NHKはことし5月から6月にかけて、被害の大きかった西予市、大洲市、宇和島市を中心に、およそ200人の被災者の方にアンケートを行いました。
回答してくれたのは、およそ半数にあたる102人でした。

私たちがはじめに衝撃を受けたのは「心身への影響」について尋ねた質問です。
「ある」が29%、「どちらかと言えばある」が41%と、合わせて7割にのぼる人が今も心身への影響を感じていたのです。

 

さらに影響を感じていると回答した72人に複数回答で具体的な内容を尋ねました。
▼「不安感やストレスが高まった」が48人
▼「孤独感を感じる」が18人
▼「よく眠れない」が15人でした。

また自由記述を読んでいくと、PTSD=心的外傷後ストレス障害と見られるような症状も少なくありませんでした。

「雨の音が怖い」(30代・女性)

「雨が降ると心配でよく眠れない」(80代・女性)

「今も雨の日の運転はフラッシュバック現象が出ます」(70代・男性)

今も思い出すと息が苦しくなり、心療内科に通院しているという女性もいました。
多くの人が、5年たった今も豪雨で受けた心の傷に苦しんでいる現状が見えてきたのです。

愛媛大学防災情報研究センター・二神透 副センター長

被災者の心理に詳しい専門家は、コロナ禍の影響も大きいと指摘しています。

二神透 副センター長
「現在もPTSDの状態にある人が7割もいるという状況に非常に驚いた。コロナ禍によって人と会うことが制限され、互いにコミュニケーションを取れないという状況が大きく影響したのではないか。被災者に寄り添い支援を続けることが大切だ」

“耳から川の音が離れない”

「心身への影響がある」と回答した1人、宇和島市吉田町の宮本好さん(83)は、5年前に聞いた川の濁流音が、いまも耳から離れないといいます。

西日本豪雨では、宮本さんの自宅の脇を流れる白井谷川が増水し、自宅に土砂が流れ込みました。宮本さんは、ふだんは穏やかで水量も少ない川が一変した様子が忘れられないといいます。

豪雨後、およそ3か月にわたる避難所での生活を経て自宅に戻りましたが、不眠の症状に悩まされました。そのため、医師から睡眠薬を処方されることもありました。しかし、宮本さんは雨への恐怖心が拭えず、薬を服用できないといいます。

宮本さん

「飲んでぐっすり眠って目が覚めなかったときにどうしようと思ったら、(災害時に)誰も助けてくれない」

さらに、宮本さんを悩ませているのが耳鳴りです。以前から耳鳴りに悩まされてきましたが、豪雨後は5年前に聞いた「ゴーゴー」という川の濁流音が突然、頭の中に響き出すことがあるといいます。特に今でも雨が降る日には、自宅が流され、1人取り残されるのではないかという不安が頭をよぎるといいます。

いまだ続く、被災者の不安にどう向き合うのか。宇和島市のNPO団体では、この5年間、被災者の相談に向き合い続けています。

雨への不安が募る宮本さんもこのNPOを訪れ、相談しています。
西日本豪雨から5年経ったいまでも、宮本さんの心の不安が完全に消え去ることはありません。しかし、こうして不安を打ち明けることによって心身の負担が軽減されるともいいます。この5年、道路や住宅など復興が進んだことがある一方で、今なお心に深い傷を残している人がいることを忘れてはいけないと感じました。

豪雨の影響は、経済的な面にも・・・

アンケートでは、経済的な影響についても聞きました。
「経済的な状況は5年前に比べて変わったか」と尋ねたところ、
▼「悪くなった」と答えた人が40%
▼「変わらない」と答えた人が57%
半数近い人が、経済的な状況が5年前よりも悪くなったと感じていることが
分かりました。

悪化の理由を尋ねたところ、「被災した家をリフォームしてお金を使い果たした」とか、「ローンの出費が大きい」といった意見もあり被災した住宅の再建費用が依然、暮らしに深刻な影響を及ぼしているケースもあるようです。

災害公営住宅で暮らす人は・・・

私たちは、「悪くなった」と答えた人の具体的な状況についても取材を進めました。
その1人、肱川の氾濫により自宅が浸水被害にあった西予市野村町の山本信子さん(86)です。

山本さんが大きな負担と感じているのは、災害公営住宅の家賃です。
西予市の場合、被災者の経済状況に配慮し5年間は家賃の段階的な減額を行っています。
山本さんの場合、入居直後の家賃は毎月2900円でしたが、現在は8700円に上昇。
減額が終了する3年後には1万7400円となります。
山本さんの収入は1か月あたり7万円ほどの年金のみ。
家賃の減額の割合が年々少なくなるなか、食費や光熱費を切り詰めて対応せざるをえないといいます。

山本さん

「この先どうなるか不安なので微々たる金額ですが、生活を切り詰めて貯金して、高くなる家賃に備えています」

みかん農業の復興は道半ば

愛媛が全国に誇る特産、みかんの栽培現場でも、豪雨は今も大きな影響を及ぼしています。土砂崩れにより畑が被災した宇和島市吉田町の農家、中島利昌さん(63)も、「悪くなった」と回答しました。

中島さんが案内してくれたのは復旧したみかん畑です。おととしから新たな苗木を植えて栽培を再開させたということですが、この復旧した畑ではいまだにみかんを1個も出荷できない状況だといいます。
なぜなら、みかんは「育てるのに10年かかる」という農産物だからです。畑を復旧し栽培を始めることができても、収入には直結しません。
しかし、被災前のような高い品質のみかんが実る木に育て上げるには、肥料などの資材のほか、木のこまめな手入れなど手間ひまもかかります。このため、被災した畑は、出荷できない限り、経費だけがかかる赤字状態となるのです。

中島さん

「一見、復旧出来ているようにみえるかもしれませんが、農家にとって収入が戻ってこそ、初めて“復興”といえると思います。なので、まだまだ復興は道半ばです」

“これ以上は頑張れない”寄せられた声

復興の状況をどのように感じているかについては、およそ7割の人が復興を実感している一方で、復興の遅れや停滞を感じている人も3割いました。

理由として最も多かったのは「地域住民が減った」というもの。
次いで「防災工事が進んでいない」、「商工業・農業などの復興が進まない」と続きました。

ある方の記述からは、災害の影響が残る地区の様子が目に浮かぶようでした。

「持ち家はなくなり、災害公営住宅に高齢者が多くなり、また他の街へ移られた方もあり、ずいぶんと寂しくなりました。堤防や公共施設の建て替えも次々と進められていますが、人口減少とコロナ感染の時期も重なり、活気が薄れてきました」(60代・女性)

 

防災意識については、豪雨の直後と比べて「高くなった」という人が66%に上りました。

具体的な変化としては
最も多かったのが「気象情報などを積極的に収集するようになった」
次いで「防災用品の準備やハザードマップの確認などの備え」でした。
自由記述でも、防災意識の高まりについて記した人が多くいました。

「1人1人が防災に対する正しい知識と考え方を持つことが大事。なんでもかんでも行政の責任にしたり、頼り切るのではなく、自分でできることは何かを状況に考え、行動すること」(50代・男性)

「防災工事は進んでいるが、各自が日頃から考えておかなければ役に立たない」(70代・男性)

「災害から5年になりますが、いまだにあの日の雨のことは忘れません。だから大雨避難指示の放送があればすぐに公民館に近所の人と避難します」(60代・女性)

 

国や自治体に求めることとして
最も多くの人が挙げたのは「人口減少対策を含めた 地域の復興」で32%。
「被災者への経済的支援」が27%、「地域の防災・減災」が20%でした。

アンケートの自由記述もいくつかご紹介します。いずれも、豪雨が被災者の方々の心境や生活に、どれだけ大きな影響を及ぼしてきたのかが感じられる内容でした。

「豪雨災害のあとは精神的・肉体的・経済的にも限界で、これ以上は頑張れません。毎日を細々と生活するだけしかできません」(80代・男性)

「被災者になって、自分が今までテレビで見ていたことが他人ごとのように思っていた自分に気がつきました。5年前からのことを被災を受けたことのない人に伝えていきたいと思います」(60代・男性)

「災害のせいにはしたくはないけど、花見をしていてもふと“こんなことしていいのかしら。他にやることがまだあるのに”と思ったり。店内の模様替えしながら“また水が来たらどこまで浸かるか!”と思ったり」(60代・女性)

記者が見た被災地

私たちはこうした声を寄せてくれた人たちに直接、話を伺うために被災地を訪ね歩きました。

大洲市手成地区の松井千鶴子さん(87)は、5年前の豪雨で自宅の庭が崩れ落ち、裏山の崩壊のおそれがあるため、自宅から7キロほど離れた災害公営住宅で生活を始めました。かつてのご近所さんとの交流も途絶え、3年前に夫を亡くして以降、1人暮らしを続けています。長年、住み慣れた家を離れた寂しさはいまだに拭うことができません。
取材の中で何度も口にしていたのは家族との暮らしの思い出が詰まった場所へ戻りたいという思いです。

松井さん

「ずっと大事にしていた手成地区の家を手放すのはもったいない。毎日、床についても家がどうなっているかなと考えるし、やっぱり帰りたい」

防災意識が変わった

豪雨がきっかけで防災意識が高まったという被災者にも出会いました。
宇和島市吉田町の清家敬司さん(68歳)です。
5年前の豪雨では自宅前の道路が川のようになり、恐怖を感じたといいます。当時の経験を踏まえて、災害への備えを進めています。
自宅にあるリュックの中には10日間分の非常食と5日分の衣類を備え、ベッドの下にはすぐに安全に避難できるように非常用の靴も置いています。

清家さん

「災害は他人事のように思っていましたが実際に水害を受けて防災に対する意識というのはすごくあがりました。ある程度は自分で対策を進めて、備えていかないといけない」

豪雨乗り越えて公認心理士に

豪雨で傷ついた心を取り戻そうとしている被災者にも出会いました。

大洲市肱川町の自宅が浸水によって全壊した金野たみ子さん(74)です。
被災当時、自宅の再建以上に心配していたことがありました。それは孫のことでした。

当時、高校1年生だった孫の樹さんは豪雨のあとに心身の不調を訴え、PTSD=心的外傷後ストレス障害と診断されたのです。
現在、樹さんは公認心理士を目指し、東京の大学で心理学を学んでいます。
豪雨のあとに通ったカウンセリングの経験がきっかけで災害時の心のケアに関心を持つようになりました。
当時の経験を生かし、将来はカウンセラーとして悩みを抱えた人たちの助けになりたいといいます。
 

樹さん

「結果的に西日本豪雨がきっかけで自分と向き合うことになりました。身近な人に少しずつ恩返しをしていきたいです。」

取材後記

今回、私たちのアンケートには102人の方が回答を寄せてくれました。
徐々に復興を感じている人や、被災の経験を伝えて防災に役立てようとしている人がいる一方で、5年がたった今も豪雨への恐怖に苦しむ人や経済的な影響が続いている人もいました。
この5年で、堤防の整備や住宅の再建は進んだと思います。一方で、今回のアンケートからは被災者が受けた深い心の傷や経済状況の悪化もみえてきて、依然、復興を遂げたといえる状況にないこともわかりました。

私たちは、これからも被災者の方たちと向き合い、被災地の“現在地”を見つめていきたいと思います。
 

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